第84話 乳癌1

「そしたらこんなによくなっちまってよぉ!」

「おおぉぉ!!!」

「はっはっは、今日は半額だぁ! 飲めぇ!」

「「「いやっほぉぉぉ~!!!!」」」


 冒険者ギルドの酒場が超満員である。それもそのはず、シングの復帰祝いとして酒が半額となっているのだそうだ。慣れない仕事で他の店員が酒を多めに仕入れてしまったというのはここだけの話であるのだが、半額でも利益はなんとか出るというから商魂たくましい。一と七を間違えたから、樽が六つ多いのだとか。日本の算用数字とは文字が違うと思うけど、そこはどうなんだろうか。

 ちなみに僕らは料理もふくめてシングのおごりである。


 歩けることがよほどうれしいのか、シングはカウンターの中には入らずに常に酒を運ぶ役をしているようだ。というよりもいろんなテーブルを回って一緒に飲んでいる。カウンターの中のソフィアさんもいつもはそんなシングを見ると怒ってたはずだけど、今日は嬉しそうだった。


「おやっさん、ユグドラシルチキンのローストをみっつ!」

「おお、ノイマン! お前もシュジュツに加わってくれたんだってな!?」

「いやぁ、外で道具出したりしてただけだけどな」

「いやいや、ありがとよぉ!」


 死ぬかもしれないという事を伝えていたシングとソフィアは、手術が成功すると泣いて喜んだ。輸血のないこの世界で大血管の手術というのはかなり危険を伴う。回復魔法でも血は増えないということはよく分かっていた。だから、回収式の自己血輸血が魔法で行えた時はかなりほっとした。ゴブリンでも試していたけど、人間でできるかどうかは分からなかった。

 そして、三日後には何事もなかったかのように退院した。この世界の連中の回復力がおかしいのか、回復魔法がすごいのか。


「いや、酒がうめえ!」

「その不摂生が動脈硬化と血管の閉塞の原因ですからね」

「今日くらいいいじゃねえか、先生も飲め!」


 僕はシングに無理矢理冷たいエールを飲まされた。しかし、よく冷えていてうまい。


「今日のエールは格段にうめえな、よく冷えている」

「いつもはここまで冷えてないですよね?」

「ああ、氷室には入れているけどな。今日は氷魔法で冷やしてくれるやつがいるんだよ。俺の復帰祝いだって」

「なんて粋なことを……」


 カウンターの近くには冒険者パーティーの座るテーブルがあり、その近くに大量のエールのジョッキと、それに氷魔法を定期的にかけながらも飲んでいる魔法使いがいた。


「あれはソアラのとこの魔法使いのフォンじゃねえかな」

「ああ、どうりで見た事があると思ったよ。ずいぶんと良い装備を買えるようになったみたいだね」

「駆け出しからはとっくの昔に卒業しちゃってるぜ、あいつら」


 僕はかつてゴブリンの短剣による傷で破傷風にかかったソアラという斥候業の冒険者の男を助けている。まだ駆け出しだった彼らは傷の処置をおろそかにしたために破傷風菌が全身をめぐってソアラは命を失いかけた。全身管理を行うために気管切開までして、寝ずの番で彼を助けたのはこの町にきてまだ間もない頃の話である。

 ちなみにその時の治癒師に僕は結構きつい事を言ったために、彼にはいまだに距離を置かれている。


「しかし、フォンは姉御肌って感じだな」


 ノイマンがその様子を見て言った。豪快とまではいかないけど、面倒見が良さそうな印象を受けるし、実際に他のパーティーメンバーたちの世話を焼いている場面をたまにみかける。リーダーである戦士よりもずいぶんとリーダーっぽい。

 もしかしたらレナより若いかもしれない。確実に僕よりは若い。そしてなんというか、小麦色の肌のナイスバディである。


「ちょっと、なにデレデレ見てるのよ」

「いてて、そんなことないってミリヤ」


 スリットの入った黒いローブのフォンを凝視していたノイマンの耳をミリヤが引っ張っていた。


「シュ、シュージもあんな……ああいうおっきいのが、好みなの?」

「え? さあ、どうかなぁ」


 いきなりレナがとんでもない事を言い出した。エルフの血筋が半分で当然のようにまったく胸のないレナにはこの手の話題は禁句である。全力でごまかさないといけない事を僕は長年の付き合いで知っている。

「たしかに大きいね。対抗できるのはアマンダ婆さんとソフィアさんと……」

「シュージ、やめろ。酒がまずくなる」


 アレンがそっとつぶやいた。彼のなんとも言えない表情を確認しつつも、レナは毒気を抜かれたのかさきほどまでの微妙な顔はしていないようである。


「おいこら先生! うちの母ちゃんに手を出したら許さねえぞ!」

「ぐえっ!」


 完全にできあがって接客ができなくなっているシングが僕の首に巻き付いてきて、レナどころじゃなくなったのは失策だった。




 ***




 ちなみにフォンはアマンダ婆さんの弟子である。以前もアマンダ婆さんと一緒にゴブリン狩りに行っていて、そこでソアラが傷を負ったこともあって、アマンダ婆さんはその後もあのパーティーの面倒を見続けているらしい。

 最近はノイマンたちのパーティーも世界樹の第十二階層を越える依頼があったりするために、移動距離や高低差がきつい依頼にはついて行かないことが多かった。その分、若手のパーティーを無理やりに高ランクの依頼に連れて行っては魔法をぶっ放しているのだとか。ユグドラシルの町の冒険者が他と比べて早熟と言われるのには理由があるようだ。


 ソアラとフォンたちのパーティーもいつの間にか全員Cランクをもらうようなパーティーに成長していた。もうすぐBランクが狙えるのではないかというくらいで、同期連中の中では出世頭である。


「あの子は、心眼が使えるようになるさね」


 アマンダ婆さんがいつかそんな事を言っていたような気がした。自分よりも才能はありそうだから、いつかはレナにも教えを請わせたいとか。レナの方がもしかしたら年下かもしれないけど、そんなことは気にしていないらしい。

 レナに弟子をとる気があるかと聞いたことがあるが……。


「ないわ。とりあえず今はね」


 と即答だったために、完全な師弟関係は無理だろう。でもレナは性根が優しいから、聞きに行けばなんだかんだ言って教えてくれるはずだとも思う。


 そして、そんなフォンが診療所のレナの所にやってきたのは次の日だった。その日は昼にソフィアさんがやってきて……。


「昨日の残りでごめんなさいね」


 といいつつも出来立てのユグドラシルチキンのローストを始めとしたランチを差し入れてくれたのだ。報酬はギルド経由とはいえ、別にもらっているからいいというのも野暮だと思った僕らはありがたくそれをいただき、昨日あれだけ飲みまくったくせに酒が欲しいなとレナと言い合っていたところだった。昼なのに。


「あのう……」


 いつもの自信ある姉御肌ではなく、そこにはまだCランクになったばかりの魔法使いとしか見えないフォンがいる。そんなにここは緊張するところなのだろうか?


「レナさん、いますか?」

「どうしたの?」

「えっと、お話がありまして」


 ああ、これは弟子入りの話ではないかと僕は思った。飲み会に参加できていなかったローガンとマインたちがユグドラシルチキンを食べ尽くす勢いだったけど、一人分は確保しておいて「ランチは残しておいてあげるから、話を聞いてあげなよ」と言ったのである。



 実際は、全くそんな話じゃなかったのだけども。

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