第75話 急性胆嚢炎4

「やっぱり魔力が安定しない。少し降りる必要があるわ」


 世界樹は幹の付近の漂う魔力が多く、レナの転移テレポートは使えないことが多かった。根の部分の第六階層にまで降りるとなんとかなるが、この場ですぐに帰るというわけにはいかないようだった。以前第七階層から転移テレポートできた事はあったため、登れば登るほどに魔力が濃くなっているに違いない。


「とりあえず、僕とレナは彼らとともに降りるよ」

「ユグドラシルスパイダーの糸は任せておけ。意外と下の階に降りていることもあるからな」

「すまないが頼むよ」


 そう言いながらも、さっきまでやっとの事で登ってきた第十二階層をまた降りなければならないという事実にうんざりする。しかし、ユンの容態は放っておいていいものではない。

 それにもう一つ問題があった。


「ねえシュージ、あの問題はどうするの?」

「うん、向こうがどう出てくるかで対応が変わっちゃうよね」


 ヴェールのことである。彼女が僕らと一緒に降りると言うならばこのまま監視を継続し、もしアレンたちについて行くというのならばアレンにだけは彼女の事を伝えておいたほうがいいかもしれない。

 そしてそのヴェールはなんて事ない顔をして、成り行きを見守っているようだった。このままアレンたちとユグドラシルスパイダーの捜索についていくのだろうか。


「ヴェールはどうする?」

「うーん、このまま世界樹を登ろうかしら」


 ノイマンが何も考えずにヴェールに聞いた。ナイス、ノイマン。何も考えていなければ何も察されることはない。


「アレン、ちょっといいかい。素材の取り方とかでの注意事項を伝えておきたいんだが」

「……ああ、いいが?」


 僕はアレンだけつれて皆から距離をとった。その不可解な行動にアレンは違和感を覚えているのだろう。それでも何も文句なくついてくるあたり、彼の人の良さというのが分かる。


「どうしたんだ、シュージ。皆の前で言えないことか?」

「察しがよくて助かるよ」


 だが、ヴェールの聴力がどのくらいなのかは分からない。


「素材のことなんだけど、この部分がね」


 僕はそう言いながらも筆談を始める。アレンもまったく気づいていなかったらしく、しかし心眼でみると完全に人間ではないために確実にそうだと伝えた。まだ、敵かどうかも不明だ。


「どうすればよい?」

「今のところは注意することしかないと思う。ユグドラシルスパイダーを討伐してみないことにはなんとも言えないね」

「分かった、気をつけておく」


 素材採取の話のようにまとめて、アレンには注意を続けるように伝えた。すぐに排除をしようと言わないところに好感が持てる。余裕のない人間というのはこういった場合に不安要素を排除する傾向があるけど、アレンはそんな人間ではない。

 ただし、後ろから撃たれる危険性というのはある。ヴェールの実力もかなりのものであり、ユグドラシルスパイダーを始めとして世界樹の上の階層の強い魔物と戦っている時に裏切られたら全滅しかねない。


「僕が見極めるつもりだったけど、頼んだよ」

「任せろと言った」


 ノイマンやミリヤでは、仕草に表れてしまうだろう。アレンはそんな事はない。俳優としても生きていけるのではないだろうか。


「どちらにせよ、この先に穴が開いている場所がある。樹液も出ていないから魔物たちがやってくることもすくない。今日はそこで野営だ」


 そう言えば、以前アマンダ婆さんが第十二階層で休むことのできる場所があると言っていたっけ。リントたちもそこで休んでおり、誰かが登ってくる気配がしたからここまで出てきたとのことだった。


「気を付けて」

「ユンの治療を頼む」


 僕らはアレンたちに任せて第十二階層を降りることにした。と言っても降りる時は体にロープをくくり付けて、上にいるノイマンたちに引っ張ってもらいながら降りたのでさほど大変でもなかった。




 ***




「シュージ先生は治癒師なのに前衛もできるんですね!」


 ユンという戦士職の欠けたリントたちのパーティーでは、前衛を務めるものがいない。ノモウはユンに肩を貸して歩いており、僕が自然と前衛を務めることになった。後衛にはレナがいるからこのくらいの階層ならば問題ない。僕はメイスでユグドラシルジャイアントビートルの頭を潰して続けざまに蹴り上げた。虫の魔物というのは頭が潰されたくらいでは死にはしない。その生命力は他の生物と比較すると半端ない。


「はやく第十一階層を下ってしまおう。足場が悪いここでは戦いにくい」


 先の第九階層ではもっと足場が悪いが、ここほどに視界が開けているわけではないので魔物には襲われにくい。

 レナによると、おそらくは第七階層付近にまで降りなければ転移テレポートは行えないだろうとの事だった。ここまで来たのが大変だった分、帰る先は長い。それに帰ったら緊急手術が必要である。レナの魔力は残しておく必要があるし、途中で世界樹の雫を採取しておく必要まであった。ついでに僕の体力も残しておかなくてはならない。


「シュージ先生、私も戦います」

「お願いするよ」


 リントも頑張って前線に出て戦ってくれている。お互いに盾がない状況なために魔物の攻撃をできるだけ避ける必要があった。僕のメイスはまだ頑丈だけど、リントは短剣しか持っていない。代わりに短弓を持っていて、それで魔物を牽制してくれていた。



 バードラビットの群れをなんとか討伐して、第十一階層へと入る。道が平坦になったためにユンに肩を貸しているノモウも一息つけそうだ。


「もう一人くらい一緒に降りてもらえばよかったかも」

「でもそれじゃ、アレンたちの負担が増えるわよ」


 おそらくはヴェールはそのことを気にして探索班に残ってくれたのだろう。戦力低下はそのまま死につながることも多い。単独行動で登ることのできたアレンも集団であれば魔物にも見つかりやすくなるし、魔法使いが誰もいない状況というのは囲まれた時につらい。


「ヴェールは、どういう判断だったんだろうね」

「分からないわ」


 すべてはアレンに任すしかなかった。ヴェールの目的がまだ分からないこの状況で、下手なこともできない。僕は見極めるだなんて甘いことを言っていた自分を責めるしかなかった。


「中止に、すべきだったかな」

「……。」


 苦悩を分かち合えるのはレナだけだった。



 第七階層まで降りた僕たちはなんとかレナが転移テレポートできる場所までもどった。


「魔力を温存しなきゃならないけど、昏睡コーマはかけてあげてくれ」

「ちょっと待って、先生。私たちはまだどういった治療をするのか聞いていないんだけど」

「ああ、そうだね。選択肢はないと思うけど簡単に説明するよ」


 急性胆嚢炎、胆石に対しての治療方法となると胆嚢ドレナージもしくは手術にて胆嚢摘出術となる。根治を目指すならば胆嚢摘出術だった。取ってしまえば、石が詰まることもない。

 胆嚢は以前の手術の時に取ってしまったこともあるとおり、取ったとしても大きな合併症の出ない臓器だった。あっても無意味という事はないが、なくても十分生きていける。大きな石が胆嚢の中にあるのであれば、胆嚢摘出術をしてしまったほうが後腐れがなくていいと思うのは、医療者側からの意見である。対して患者側には当然のこと、できるだけ手術は避けたいと思う人もいる。


「マジですか。腹を切ると……」

「ユン、やってもらいなさい」

「リント、おめえは人ごとだと思って……」


 胆嚢摘出術は手術の難易度としては低い。若手の医師の登竜門的な手術と言っても過言ではない。特に近年は腹腔鏡が発展してきたこともあって、初めての執刀が胆嚢摘出術である外科医も増えているはずである。さらには他の大きな手術に付随することもあって、その部分だけ経験するという事もある。

 それでも、危険が全くないわけじゃない。


「き、危険が危ない……」

「いや、自分のことだからってこんな時にふざけないでよ。頭痛が痛いわ」

「あ、すまん」

「つっこみは!?」


 無口なノモウと違って、ユンとリントはそんな事を言い合っている。もともとはかなり騒がしいペアなのかもしれない。ただ、軽口は言っていてもユンの状態がいいわけではない。早めに手術してしまわないと、体中に細菌が回ってしまうかもしれないのだ。


「意識がないうちに手術を行う。だから、僕を信用してもらわないといけない」

「先生のことは、有名ですから。信じます」


 有名だから信じるというのは僕の本意ではないんだけどなあ、と思いつつも話がこじれるのが嫌で僕はレナに向かってうなずいた。




 ***




「お願いします。メスください」

「お願いします」


 サーシャさんがメスを渡してくれる。


「ねえ、シュージ。本当に大丈夫?」

「僕の指示通りにしていれば絶対に大丈夫。ただし、絶対に勝手なことはしないこと。分かったね」

「分かりました」


 レナはユンに昏睡コーマをかけたあとに転移テレポートを使ったが、それでも魔力はまだ十分にあると言った。どこまで本当かは分からないけど、すでに昏睡コーマはかかっているわけだし、僕が心眼で確認したところはなんとか大丈夫そうだった。


「腹部正中切開だ。ここからここまで切る」

「はい、先生」


 メスを受け取ったのは僕ではない。僕の前に立っているローガンだった。


 緊急手術というのはしばしば教育の現場にもなる。安全面を考慮すれば熟練が手術を行うというのが最もよいと思うかもしれないけど、下の世代を教育しない組織というのはすぐにだめになる。教育をしない一番上は衰えていくだけだ。僕はそれに関しては日本にいたときに身をもって体験していた。

 だから、僕は常に下の世代を教育しながら治療を行う。


 ローガンに魔力を使用する電気メスは使わせない。だけど、それ以外のところは少しずつやらせる。この方針には誰にも文句を言わせるつもりはなかった。

 と言っても重要な部分の糸結びだとか、手術の責任部位とでもいうべきところは僕がやるつもりである。今回は腹部正中切開と、閉腹の経験だ。

 

「ここが白線だ」

「本当に白い」

「ここまでに出血がひどいと、血で染まって分からなくなる。まずこれが出る手前で出血のコントロールをした方がいい」

「はい、先生」



 第十二階層を登ったり降りたりするより、よっぽど神経をすり減らす。僕はローガンが絶対に失敗しないように注意しながら、腹部を切る方法を教え続けた。

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