第74話 急性胆嚢炎3
坂になっている第十一階層を越え、第十二階層の断崖絶壁を登り始める。よく見ると壁のようになっている樹皮の至る所に杭が打ち付けられており、そこに足をかけることで登ることが可能だった。先人たちが長い年月をかけて作り上げたものに違いなかった。
所々にここを登った冒険者たちが設置した縄梯子の残骸がある。すでに耐久性を失ったそれらは魔物が壊すこともあるらしく、頼りにはできない。
「まずはあの部分まで一気に行く」
アレンが先頭となって登り始めた。前の人間がどう登るのかを見ておいて、同じ杭に足を引っかける。ちょうどいい場所につかむことのできる杭も存在した。
目標になっている場所は一息つけそうな面積がある。ちょっとこの人数全員が待機するわけにはいかないくらいだけど、僕らが到達するころにはアレンたちは次のポイントに進んでいるだろうという計算らしい。
アレンは壊れそうになっている杭の修理を行いながらも器用に登っていく。慣れている感じだった。
ユグドラシルゴートの姿はまだかなり遠くにあった。レナたちが魔法で追い払うということも考えたらしいけど、アレンとシルクが振り回す鈎付きのロープで十分だと自信たっぷりに言う。ただし、この絶壁から落ちてもなんとかバランスを立て直すユグドラシルゴートが絶命することは少ないんだとか。人間ならばすぐに死んでしまいそうな高さまで登ってきた。
「上から降りてくる冒険者がいなければいいが。これから先はすれ違うことができないのでな」
これまでのポイントのどこにすれ違うことができる場所があったのかが分からないけど、アレンはそう言った。
もともと身のこなしが軽いほうではない僕はこういったロッククライミングに近い運動は苦手である。レナもミリヤも苦戦している。なぜかそれなりに重装備のノイマンがするすると登るのがイラッと来るけど、落っこちて足手まといになるよりはずいぶんと助かると思ってそれを見ていた。
「ちょっとみんなきつそうね……
休憩が終わった頃にヴェールが全員に速度が上がる補助魔法をかけた。体が軽く感じて壁登りのためにある魔法なのではと疑いたくなるほどの効果である。
「助かるよ。さすがだね」
「いえいえ、それほどでも」
少し照れているような表情のヴェールは、心眼を使わなければ本物の人間と区別がつかない。警戒をすべきと考えていたけど、どう見ても僕らの手助けをしているようにしか見えなかった。
あるパーティーが難所にわざわざ持ち込んだ鉄板を打ち付けた「階段」の部分にまで来た。鉄板は人が一人立つことができるほどの大きさで、十分な深さで食い込んでいる。少しくらい魔物が激突してもはずれそうにない。
「ここは楽ね」
汗を拭きながらレナが言う。僕もその最初の鉄板に踏み出して、ほっとした。僕の後ろにはシルクが周囲を警戒しながら登ってきてくれている。手に持たれた鈎縄はまだ使っていない。
「これができるまではここが一番の難所と言われていたの」
「へえ、そうなんですね」
「ええ、ユグドラシルゴートがよく襲ってくるのよね。まあ、これがあっても襲ってくるのだけれども」
それはフラグというやつではと思っていると、壁の上のほうから「メェ~」という鳴き声とともに羊の群れが現れた。どうやって壁に立っているのか謎なのだけども、そんなのを考えている間もなく壁を蹴って突進してくる。その数は六……いや、七匹か。平地で出会ったとしてもなんとも思わないだろうけど、その角がやけに凶悪に見える。
「ほんと、ここの足場がこれだけきちんとしていなかったらこの数はさばけないわ」
ため息をつくようにシルクは鈎縄を回しだした。一行の先頭ではアレンがすでに縄を飛ばして一匹のユグドラシルゴートを第十一階層方向の地上とでもいうべき真下へ落としている。
「少し数が多いわね……
レナが二人に加勢した。
落下したユグドラシルゴートたちはたしかに死んでいないようだった。地面というか樹皮にに打ち付けられるかに見えたが、体勢を立て直して着地している。レナが
「諦めずにしつこく突進してくるのよね」
「なるほど、これは厄介だ」
まだ半分にも到達していない。このペースだとあと何回かは襲撃があると思われるくらい、ユグドラシルゴートたちは自由に断崖を駆け上がってくる。
「レナ、魔法を打つのは構わないが、壁に打ち込んだ杭が壊れないようにしてくれ」
「あっ、そうね。杭が壊れたら登ってこれなくなるわね」
やりにくいと思ったのだろう。レナの眉間にしわがよった。しかし、この距離からは
***
「おーい」
もうちょっとで登り切れる。そんな時だった、上から声がかかったのは。
「他の冒険者かな」
「あ、あれはリントさんたちですね。Bランクのパーティーです」
「さすがはギルドの受付だね」
手を振る冒険者たちが見える。彼らはロープ状の梯子を降ろそうとしてくれているようだった。
「さあ、掴まって」
一人ずつそのロープを掴んで壁を登る。アレンなどはあっという間に駆け上がってしまった。
「アレンさんじゃないですか」
「リントか。こんな所で会うとはな」
「はは、あたしたちもそれなりに成長しているんですよ」
斥候業の女の子はアレンと親しげに喋っている。先に上に上がったアレンは他にもロープを取り出して僕らが上がってくるのを補助した。ノイマンが登り切ってからは協力して一人ずつ引き上げていく。
「それよりも治癒師はいませんか? ユンの調子が悪くて」
僕が壁を登り切った時にリントがそう言った。彼女が指さす先にはつらそうに座り込む戦士風の男性冒険者がいる。隣には魔法使いらしき男が心配そうに付き添っていた。座っているのがユン、魔法使いがノモウという名前らしい。ちょっとこの状況で第十二階層を降りるのはきついかもしれないとリントが言う。
「昨日からお腹が痛いって言うんですけど、ポーション飲んでも治らなくて」
彼女たちのパーティーには治癒師がいないようである。世界樹の樹液に回復効果があるのと、ポーションでなんとかしているのだとか。そういえば、体力的に第十二階層を登る事のできる治癒師は少ないというのを、ギルドの酒場で聞いたことがあるかもしれない。
「
先に登っていたミリヤがそのユンという戦士に
「ちょっと……良くなったかな」
怪我であれば
「シュージ先生」
「はぁ、やっぱりか」
効き具合からしてミリヤも思いついたのだろう。そもそも外傷が見当たらない時点で内臓からくる腹痛であるのは明白だ。僕はユンの腹部に手を置いた。
「あいたた」
「少し、押し込みますよ大きく息を吸い込んでみてください」
「ああ、わかっ……うぐ」
ユンに横になってもらい右の肋骨の下に手を差し込んだ状態で深呼吸をしてもらう。しかし、ユンは痛みで息が吸えないようだった。それにかなり熱を持っている。まぶたを広げて目の白い部分を見るとうっすらと黄ばんでいた。
腹痛、発熱、黄疸。これはあれだ。僕は心眼を発動させて診断を確定させる。
「先生、どうですか?」
「ああ、これはまずいね」
右の肋骨の下を押さえている時に痛みで深呼吸ができないのは
「石だよ。ここのところに石ができている」
診断は、急性胆嚢炎。それの原因は胆石である。
僕は自分の右の肋骨の下をポンポンと触って言った。それだけでレナもミリヤも病名が分かったようである。
「放っておくわけにはいかないな。できれば手術、そうでなくても胆嚢ドレナージをしなければそのうち敗血症になってしまう」
ユンもリントやノモウも僕の言ったことが理解できていない顔をしていた。彼を救うためにはここで詳しい説明をしている暇はない。
ユンは、胆嚢の入り口に石が詰まってしまって胆嚢がパンパンになった状態だった。人間の体というのはそういう循環が悪くなった部分に細菌が感染しやすい。すでにかなりの大きさに膨れ上がった胆嚢には細菌が感染しているのだろう。発熱具合から考えても早めに処置をしなければならない。
手術で胆嚢を取り切るのでなければ、針を刺して胆嚢の中に入っている細菌混じりの胆汁を取り除いてあげる必要がある。しかし、こんなところでそんな事ができるとは到底思えなかった。
「アレン、すまないが僕は彼を連れて診療所に戻るよ。ユグドラシルスパイダーは任せても大丈夫かい?」
「ああ、仕方ない」
僕はため息をついて、自分でユグドラシルスパイダーを取りに行くのを諦めた。
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