第73話 急性胆嚢炎2
世界樹の第八階層に入るまではとくに魔物に出会うこともなかった。この前と同様に根っこの上を通っていてもグリフォンたちをみかける事はなかったけど、遠くに何か飛んでいたようだから、もしかしたらあれがグリフォンだったのかもしれない。
出てきた大ムカデをシルクとノイマンが特に手こずるまでもなく討伐する。前衛職が二人となってついて行く僕たちもかなり安心感があった。
「いいなぁ、
「ノイマンも使ってみたら?」
「ああ、なんかシルクの動きを見てたら俺も使いたくなってきた」
シルクは
「あれはジャックも尻に敷かれるわけだ」
ノイマンも最近は様々な武器を使うようになっている。アンデッドたちがユグドラシルの町に攻めてきた際に剣が折れ、たまたまその場で借りた片手斧というのが使いやすかったようだった。それに盾も使って戦い方まで変わってきている。それがノイマンとの相性がよく、実力が一段階あがったのではと思わせるほどだった。
実力のある前衛職が二人もいると世界樹も登りやすい。僕らはほとんど二人の後をついていくだけだった。後ろの警戒はアレンがやってくれている。
世界樹の内部を通り第十階層にまで到達する。中の空洞内部を登るのは相変わらず足場が悪く大変だった。
「第十二階層はこんなものではないのだ」
この中で唯一の第二十階層到達者であるアレンがそう言った。らせん状にぐるっと巻きながら天高く登っていく世界樹は全体的には緩やかな形状をしている。しかし、第十二階層は断崖絶壁に近い角度で登らなければならない場所が多く、世界樹を登る冒険者たちが軽装を好むのもこれが理由であった。
先人たちが登るために打ち込んだ杭が所々にあり、中には階段を作り上げている場所もあるが、足場は最低の環境である。さらに魔物がよく襲ってくるのだという。体力のない後衛職が狙われやすく、第十二階層を超えることができればAランク認定は確実とまで言われている。
「レナは大丈夫だと思うけど、ミリヤとヴェールは登れるのかな」
「ミリヤならいける。ヴェールは知らんがな」
アレンはそう言う。パーティーメンバーがそう言うのだからミリヤは大丈夫なのだろう。以外にも体力はあるという事だった。ヴェールは未知数だけど、おそらく大丈夫だろうと僕は思っている。そこで、問題は登っている間に、どう警戒しようかという事を考える。
警戒の対象は魔物ではない、ヴェールだ。
僕は世界樹に登る前にこっそりと心眼でヴェールを見た。なんでそうしたのかというとはっきりとした理由は思いつかないのだけども、直感がそうさせたとしか言いようがない。
手が驚くほどに冷たかった。
どれも一つ一つはたいした事ではないけど、何かが僕の頭にひっかかったのだ。
そして、判明した。彼女は人間ではない。
あまりの事に、どうすべきかの判断を誤ったかもしれない。彼女が世界樹に同行してきた場合に、僕らに害をなす存在なのかどうか。今のところはユグドラシルの町の防衛にも参加してくれたし、診療所に来ていても僕らに何かをする素振りはなかった。油断していた時ならばいくらでも僕らに攻撃なりなんなりできたはずである。だけど、彼女はそれをしなかった。
人間ではないというだけで排除の対象にするという考えは僕にはない。だから、世界樹に共に登って見極めようと思ったのだけど。
「魔法人形とか、かな?」
心眼でみた限り、彼女は体の内部に魔力を発生させる装置のようなものを組み込まれている。筋肉なんかは人間のそれとほぼ同じだけど、内臓が明らかに違う。違うというよりも少ないのだ。おそらく食べ物を食べることはできても消化吸収なんかはしないのだろう。
アマンダ婆さんや僕のように心眼が使える人間はほとんどいない。外見だけは人間であるために、いままでばれたことはなかったのだろう。
とにかく、彼女が通常の人間ではないという事は確かだった。これは少なくともレナには伝えておいたほうがいいかもしれない。あとで知らせなかったことがばれるとまずい。
「レナ、ちょっといいかい?」
「何よ?」
幸いにもヴェールは少し離れた距離の先を歩いている。しかし、ここで僕はなんと言えばいいのか考えていなかった。さらにそんなことを考えていると、ヴェールが人間と同じ程度の聴力をもっているかどうかも心配になってくる。魔法人形ならば、聴覚などを強化されている可能性は非常に高い。
視覚ならば、遮ってしまえば見られることはないだろう。
僕は手のひらに文字を書いた。
『彼女は人間じゃない、心眼を』
レナも最近は少しであるが心眼を使ってみる練習をしていた。その精度は僕やアマンダ婆さんに比べると全然実用できるレベルではないのだが、それでも心眼は心眼だった。人間かどうかくらいの判断はつく。
目に魔力をためた彼女の顔が驚きで染まった。
「どうするの?」
「分からない、まだ様子を見ているだけなんだけど」
そう言うとレナは頷いた。彼女も判断に困ったのだろう。
あと伝えるとしたらアレンくらいだろうか。ノイマンとミリヤは分かってしまうと態度がぎこちなくなってしまうだろうし、シルクはどうなるか予想がつかなかった。
『耳がいいかも』
手のひらにもう一度文字を書いてレナに伝える。またしても彼女は小さく頷いた。
それにしても魔法人形としては完成度が高すぎる。見た目は完全に人間のそれだった。そして話をした感じも含めてヴェールが人間ではないと言われてもいまだに信じ切れていない。
人間を基礎に作った魔法生物なのかもしれない。元は人間だったと考えるべきだろうか。
誰が、どうやって、なんのために。考えても答えが出てくるわけではない問いが僕の頭の中を占めていく。
「シュージ、集中力が切れていないか?」
「ああ、そうかもしれないね」
僕が不用意に落ちていた枝を踏み抜いた音にアレンが顔をしかめる。普段の僕ならばそういった事はしないと、彼は信用してくれているのだ。すこし買いかぶりな気もするけど、今はたしかに世界樹を登ることを優先させるべきだろう。ヴェールが危険だときまったわけではないのだ。
「なあ、この先の第十二階層にはどんな魔物が出るんだ?」
その時、先頭のノイマンが後ろを向いて言った。答えるのは僕ではなくてシルクかアレンだろう。当然のようにアレンが答えた。
「十二階層はユグドラシルゴートという山羊の巣だ」
「や、山羊?」
「断崖絶壁に住む山羊の話を聞いたことはないか? あり得ないバランス感覚で断崖絶壁を登り、角で突進してくる」
聞いただけでも嫌になる話であるけど、この魔物の話は冒険者ギルドの酒場で食事をしていればよく話題に登る。なんでノイマンは知らなかったんだよと思っていると、ヴェールが驚いた声をだした。
「山羊? なによそれ」
「山羊は山羊だ。ユグドラシルゴートだ。断崖絶壁を登っている最中に攻撃を仕掛けてくるからかなりやっかいな魔物だな。逆に平地だとただの山羊だ」
「へえ、そんな魔物は初めて見るわね」
だから、奴らは第十二階層にしか生息していないとアレンは付け加えた。断崖のところどころにあまり深くない横穴があって、そこで寝るらしい。草食だから断崖のいたるところに生えている苔などを食べるのだとか。山羊にしてはでかい立派な角が生えているとか。
ユグドラシルゴートに邪魔をされるために第十二階層以降にろくな装備を持って行けない。輸送をしようにも落ち着かないのだという。
なにやら獲物でも見つけたかのような表情をしているヴェールだったけど、僕と目が合って後ろに戻ってきた。
「ねえ、先生はそのユグドラシルゴートを見たことはあるの?」
「ないよ、僕の最大到達階層は第十一階層だから」
アレンを助けに行った時である。たしかに第十二階層の断崖は見たけど、距離があったしそこに生息しているであろう魔物に注意を払うほどに余裕があった状況じゃなかった。
「そろそろその第十一階層だね」
「うむ、あの時は世話になった」
アレンが感慨深げに言う。レナとアマンダ婆さんの二人で氷の柱というか滑り台を作り上げたのだ。その巨大な氷は言うまでもなくすべて溶けてしまって今はない。
上空に第十八階層のベースキャンプらしき部分が見えた。
「ちょ、ちょっとあんた! 隊列が乱れてるじゃない! 早く先に進みなさいよ!」
「はあ? 別にちょっとくらいいいじゃない、ねえ先生?」
「いや、隊列重要だから元にもどろうね」
レナが自然な振る舞い《?》をしてくれているがちょっとぎこちない。ヴェールが僕につきまとう理由もよく分からないし、僕も体が硬くなるのを感じた。それを感づかれていないかが心配だった。
***
「ついに第十二階層か……」
ノイマンが断崖を見上げながら言った。たしかに、所々に白い山羊のような魔物が立っているのが見える。四本足とはいえ、よくあんなところにあんな角度で立っていられるもんだ。
「あいつらをかいくぐるか討伐してから登る必要がある」
アレンが荷物の中から鈎付きのロープを取り出した。
「それで登るのか?」
「ノイマン、何を馬鹿な事を言っているんだ」
「いや、どう見たってロープだろう」
「これは武器だ」
え? と一同が言う。シルクだけは驚いていないようだったけどアレンは器用にその鈎付きのロープを回し出すと真横に放り投げた。目標としていたと思われる岩に鈎が引っかかるとアレンは力任せにロープを引っ張った。岩がボコンという音をして転がる。
「こうやってユグドラシルゴートを引っかけて落下させる。近づけると巻き添えを食らうからそれまでに仕留めろ」
当たり前のような顔をしていうアレンに対して、僕は一旦撤退したほうがいいのではないかと提案するかどうか真剣に考えた。
練習なしでそんな曲芸みたいなことできるわけがないじゃないか。
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