第72話 急性胆嚢炎1

「臨時収入が入ったし、当分仕事しなくてもいいのよ。貯金もたくさんあるしね」

「だからって、邪魔なのよ!」

「いいじゃない、私も先生にとっても興味があるの」


 ヴェールが診療所に入り浸るようになってレナの機嫌が悪い。僕の診療技術に興味を持ってくれたようなんだけど、そんなに医学が普及するのが嫌だったのかな? 僕はこれから医学をいろんな人に広めたいと思っているのだけれども。


「先生、仕事になんないよ。どうにかして」


 ローガンまでがそんな事を言い出した。患者さんの診療の邪魔はしていないようなのだけど、レナの機嫌が悪いのが他の仕事に影響しまくっている。こんな時にビシッと言ってくれるはずのサーシャさんは早々に諦めたと言って無視して仕事をしてくれていた。

 ヴェールは隙あらば僕に近づこうとし、それをレナが阻止するというのが続いていた。


「いい加減にしないと討伐するわよ……」

「で、できるもんならやってみなさいよ……」


 レナが雷撃サンダーボルトを準備し、ヴェールがそれに負けじと両手に氷柱アイシクルで対抗しようとする。そんなのをぶっ放されたら診療所がぶっ壊れてしまうじゃないか。


「ちょっと、やるなら外でやって」


 僕の少し不機嫌な声に両者ともに魔法を引っ込めた。にらみ合いは続いているようだけど、もうちょっと仲良くできないものかな。



 シグルドはすぐに快復した。当初は拗ねていたが、体が元気になるにつれていろんな人と会話をするようになっている。たまに感謝の言葉も出るようになってなりよりだ。

 ジャックがお見舞いにくる頻度も少なくなったようだし、逆にロンがまた診療所におしこまれる形で入院していた。二人は同じ部屋に寝かされているけど、お互い暇らしくでずっと何かしゃべっている。


 僕は定期診察ということでこの病室を訪れていた。


「とりあえずジャックさんが帰ってきて仕事も減ったでしょう」

「逆にあいつがちゃんとやれているか心配なのだが」


 もう何をやってもだめなのではと僕は思い始めている。心眼を発動してもロンの神経性胃炎はそこまで良くなっていない。強めに腹部を押して回復ヒールをかけると、ロンは「ぐえっ」と声をだした。


「ギルドマスター、なにやってんですか」

「うるさい、シグルド。ジャックが帰ってくるのが遅くなったのはお前のせいだとシルクが言っていたぞ」

「げぇっ! いや、そんな事ないですって」

「まあよい。お前もここを退院したら次の日からギルドの職員だからな」

「はい!?」

「いまさら誰と組んで冒険者をやろうというのだ。ジャックもシルクもギルドの幹部だ。お前もあいつらの手伝いをしろ。そうだ、ここの診療所の手伝いもできるな、お前は治癒師だったし」

「ちょ、そんな呪いを治しちまうような規格外な事できませんて」


 なにはともあれ、ユグドラシル冒険者ギルドは凄腕の職員を二人確保したというわけか。これで少しはロンの仕事の負担が減ってくれると助かる。

 シグルドの方はほとんどやることはない。あとはいつ退院するかを決めるだけの状態だった。腹部を触ったけど痛みはないようなので回復ヒールはかけない。膵臓はむしろ背中側からかけたほうが近いかもしれない。


「しかし、本当に腹が痛くないんだな……」

「もうお酒は駄目ですがね」


 僕は心眼でシグルドの腹部を見た。開腹して直接回復ヒールをかけたものだから慢性膵炎もずいぶんと良くなっていた。それでも完全に治ったわけではないと説明する。


「なんで浴びるように酒飲んでたんですか?」

「いや、もう未来が見えなくてな。それにジャックにも悪かったし」

「ジャックさんが王都に行きたがったんでしょう?」

「あいつは俺のためにそう言ったんじゃないかと思ってたんだよ」


 Bランクで行き詰まっていたのはジャックではなくてシグルドだったのか。隣で聞いていたロンも渋い顔をしていた。ジャックは両親には半分嘘をついて出て行ったんだろう。

 結局シグルドは王都でもBランクのままだったそうだけど、実力はAランク以上だという事で、このあとジャックがAランクに昇格させていたという。




 ***




「頼まれていたアレだがな、ちょっと素材がジャイアントスパイダーの糸じゃあ作れねえ」

「親方、それなら何が必要なんですか?」

「もっと純度の高い蜘蛛の糸が必要だな」


 サントネ親方に頼んでいたはジャイアントスパイダーの糸ではどうしてもできないとの事だった。

 サントネもセンリも道具を作ることに関してはプロである。その技術は他の誰にも追随を許さないほどであった。


「俺の生成魔法じゃどうしても強度が保てない。もっと強靱な元の素材が必要だ」

「さすがに僕ら素人の魔法じゃ形すら全然できないしね」

「当たり前よ、と言ってもこの状況じゃあ自慢になんねえな」


 いつかは必要になる素材だと思われるし、これを基本に様々なものが作れると思われた。

 サントネ親方ならば作ってくれるものと思っていたのだけども、やはり元の素材が悪ければ生成魔法でもどうにもならないらしい。

 逆に素材がよければ血管手術用の極細の針糸も作れる。最近はセンリもその針の生成に成功しているとのことだった。


 僕はついでにサントネ親方の頭の診察を行って心眼を発動させる。異常はなし。


「他の魔物の素材が必要ということだね」

「ああ、魔物には詳しくねえけどよ……」


 もっと強靱な糸を出す蜘蛛の魔物の糸がいるというわけか。糸ならば蜘蛛でなくてもいいのかもしれないけど、僕もこのあたりの魔物にそこまで詳しいわけではなかった。

 誰かに聞かなければならないと思い、思いつかなかった僕は諦めて冒険者ギルドへと向かった。



「それならばユグドラシルスパイダーか」


 受付は忙しかったけど、僕の相談はなぜか副ギルドマスターのジャックが対応した。最近までは王都に行っていたジャックであるだけに少しこの情報は古いのではないかと思ったのが顔に出ていたようであるけど、そのあたりはあきれられながらも否定された。かなり昔からいる魔物らしい。


「ユグドラシルスパイダー?」

「世界樹のかなり上のほうに住むと言われている魔物だな。俺もあんまり見たことない。世界樹の葉に糸をかけて巣を張るんだが、これがマジで綺麗なんだよ。近づいてもそれが糸とは分からない細さでさ、遠くからなら光を反射するから巣があると分かるんだが」

「アレンだったら知ってるかな」

「ああ、アレン様なら知っているだろう。第二十階層での目撃情報はあったはずだ。最近のものだからそれはアレン様の情報だろうな」


 第二十階層か。僕が直接行くのはちょっとやめとこうかなと思うくらいの階層である。僕の最高到達階層はアレン救出の時に行った第十一階層であるし、第二十階層になると幹の部分から枝の部分に分かれるところだった。今の冒険者ギルドではアレンしか登ったことのない領域である。


「正式に採取依頼をだしたらどのくらいの金額になるかな」

「うーん、こんくらいかな」


 ジャックが提示した金額はちょっと手がでないくらいのものだった。基本的に僕らの診療所に余裕はない。アレンに個人的に頼むと言っても一人で登るのは危険が伴う。実際に、前回アレンは死にそうになって僕らが救出に向かった。


「やっぱり、自分で行くしかないかな」


 僕とレナと、あと何人かに頼んで採取しに行くしかない。アレンたちも手伝ってくれるだろう。他にも素材を持ち帰ることで依頼料の代わりにしてやりくりするしかなかった。


「なんだ? 先生が登るのか?」

「ええ、仕方ありません」

「おっし、俺もついていっていいか?」


 ジャックがそう言い出した。副ギルドマスターが何言ってるんだ? 僕が何も言い返せないでいるとジャックは気にせずに続けた。


「いや、一度は世界樹登っておかないと、この前のガルーダの事があっただろ? 今現在は世界樹に入るのも禁止している状態だし、何か変化があったかどうかを調査するならギルド職員が必要だ」

「そうかもしれませんが……」

「シルクとシグルドもつれてさ、俺と先生とレナさんでどうだ?」


 何をいってるんだろうか、この人は。


「そうと決まれば……」

「いや、決まってませんから」

「なんだよ、いいじゃねえか。硬いこと言うなって」

「よくありません」


 大問題が一つあるのだ。硬いとかそういう次元ではない。



「前衛職が誰もいないじゃないですか……」

「あ……いや、シルクは一応前衛職だ。戦士だ」

「……シルクさん戦士なんですか? それでも一人だと無理ですし、魔法使いはまだいいとして治癒師二人って……」


 シルクが前衛職だったのは意外だけど、それにしたってなんてバランスの悪いパーティーなんだ。斥候職いないじゃないか。この人は何も考えずに突っ走るところがあるのかもしれないなと僕は警戒することにした。




 ***




「それで、私たちにギルド職員としてシルクがついてくるのね」

「ええ、ジャックは仕事しててもらいます」


 結局、世界樹の調査は僕とレナにノイマンのパーティー(アマンダ婆さんは除いて)、それにシルクで行くことになった。とりあえずは冒険者ギルドの酒場に集合ということになった。ノイマンとミリヤはすでに準備ができており、アレンとシルクが加わったところである。これで全員だ。


 しかし予想外とはこのことで、僕はシルクという人物を見誤っていたようだった。


槍斧ハルバード?」

「ええ」


 鎧こそそこまで重くないものであるけど、シルクが持っていたのは大の大人でも扱うのが難しそうな槍斧ハルバードだった。なんてダイナミックな武器を使うのか。人は見た目にはよらないものである。 片手にバックラーをしこんで両手で扱うそれは、素人には扱い切れないほどの威力を出す。兜もシンプルなものだったけどフルフェイスの逸品だ。



「ねえ、面白そうね。私もいくわ」


 そんな時に後ろから声がかかった。


「はぁ!? いい加減にしなさいよあんた!」

「いいじゃない! これでもAランクの魔法使いよ!」


 すぐさまレナが反対したのは、もちろんヴェールである。

 僕としては腰痛があるアマンダ婆さんが参加しない今回のクエストにAランクの魔法使いが加わるのはうれしいのだけども。というよりも足手まといにならないレベルの冒険者であれば戦力増強は反対する理由がない。


「何が目的よ!」

「べつに、面白そうだから」


 一触即発な二人だったけど、ヴェールは最後まで諦めなかった。レナもしぶしぶ戦力の増加を受け入れたようだった。

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