第46話 包虫症2

 ナインテイルズというのは狐の魔物であり、その尾は九本あると言われている。しかし、本当に九本あるかどうかはよく分からないというのがその年配の冒険者の言葉だった。


「見つけた時にはな、一本にしか見えなかったんだがな」


 その冒険者は左額の傷跡をさすりながら続けた。レナがレーヴァンテインに帰省中の僕はギルドの酒場で三食のご飯を食べている。たまたま夜に一人でご飯を食べているところに、数人の冒険者に声をかけられて一緒にお酒を飲むことになったのだ。もし、酔いつぶれそうになったら診療所で寝るつもりである。


「やつが魔法を使おうとした時に尾が九本に見えたってのは確かだ」

「ははは、その後に頭を吹き飛ばされて意識を失ってるって言うんだろ? 何度も聞いたぜ」

「うるせえ! 先生はこの話は初めてだろうが!」

 

 とても小さいその魔物は人間に害をなすことは少ないと言われている。自衛のために魔法を行使するということは知られているけど、自分から人間を攻撃するなんてことはせずに逃げるだけだという。しかし、その魔法はとても強力で、返り討ちにあったという冒険者は意外にも多い。


「ほんのりと黄色く光ってたんだぜ。だからナインテイルズだって分かったんだ」


 そうじゃなけりゃ、ただの狐だと思ってたところだと年配の冒険者は語った。


 なるほど、魔力が強いわりには臆病であまり人前に姿を現さない魔物だという事は分かった。世界樹から更に北へと向かった場所で目撃はあったそうだけど、その皮を加工できる人間がいないから依頼すら出されない。たまに希少な魔物の素材マニアのようなものから依頼が出ることもあっても、成功率はもの凄く少ないそうだ。



「先生はナインテイルズに興味があるんかね?」

「いえ、この前来ていた行商人さんが探していたので。ナインテイルズというよりも、その素材を加工できる人を」

「そりゃ無理だ。もし仕留めたとしても皮はボロボロになっちまうよ。回収できるのは肉と骨って言うぜ?」

「え? それは何で?」

「毛皮が魔力で保たれているからだとかなんとか。俺もよく分からねえんだがな」


 分からねえのは酒の飲み過ぎだと仲間から言われ、半分笑いながら怒る冒険者へと礼を言うと、僕は帰宅することにした。まだ意識は大丈夫だから、きちんと家まで帰ることにしよう。レナがいないけど、最近はなんとか風呂を沸かす魔法を唱えることができている。それでもお酒が回ってできないかもしれないし、眠くなったから明日の朝にしようかと考えながら歩いた。



 ユグドラシルの町は治安がいい。四方を城壁に囲まれていて、畑を含めた全てがその城壁の中にあるために夜間は通行ができないようになっている。もちろん、衛兵の巡回があるために盗賊なんて出るわけがない。だから、比較的夜遅くまで店がやっているし通りにも人の行き来があったりする。


「今帰っても、レナいないしなぁ」


 帰って寝るつもりだったのであるが、このまま帰るのはもったいない気がする。僕は家の方角に歩きつつも、いつもは通らない道へと行ってみることにした。通りを一つだけ向こう側に歩くのである。路地裏とかに入らなければとくにトラブルとかには巻き込まれないだろうと気分が大きくなっていた。


 通りには一軒だけ宿があった。その一階というのは酒場や食堂であることが多い。開放的な店構えのその宿の前で、一人の男が立って宿の主人と何やら話をしているところに遭遇した。


「通貨の持ち合わせが今のところないのだ。魔物の素材ならばあるのだが」

「お客さん、うちは物々交換はしてなくてねえ。誰か立て替えてくれる知り合いはいるかい?」

「いや、あいにくと一人なのだ」


 その人は困ったことにお金を持ち合わせていないらしい。見た感じは狩人のような恰好だった。黄色の毛皮を羽織り、丈夫そうな弓を持っている。背嚢の中には魔物のものと思われる毛皮がパンパンにつまっていた。一番上は閉まりきらないのか白い毛皮が外にはみ出ている。


 おそらく、城門が閉まるギリギリでユグドラシルの町に入ってきたのだろう。それで宿を探しているうちに夜になって、素材の交換をしてくれる施設がほとんど閉まってしまったに違いない。


「困ったねえ、しかしうちも商売なんで」

「そこをなんとか頼めないだろうか。明日になれば素材屋も開くだろう」

「うーん、前払いが原則なんだよ」


 冒険者や旅人を泊める宿というのは基本的に前払いである。それはもちろん逃げられるのを防止するためだ。素材を担保としようという狩人に対して、宿の主人もその素材がどのくらいの価値があるのかが分からない以上、許可をだすわけにはいかないと言っている。


「お困りのようですね」


 いつもなら絶対に声をかけないのだけども、僕はお酒が入っていたこともあって声をかけてしまった。そして、それ以上に狩人の背嚢に詰め込まれた魔物の毛皮のような物に興味が沸いたのである。


「もしかして、それってスノウラビットの毛皮じゃないですか?」

「ああ、そうだ。この町に来る前に北で狩った」

「僕がそれを素材屋に持ち込んだ時の相場で買ってあげましょうか」


 純白といってもいいほどの綺麗な毛皮である。素材屋を介してしまうと結構金額が跳ね上がるのだけども、直接狩人から買えば安くつく。サントネ親方の工房へ持ち込んで加工してもらえばいいなと僕は思った。日頃の感謝もこめて、レナに何か作ってもらおう。


「よいのか?」

「ええ、いいですよ」


 真っ白な毛皮はきちんと処理されており、さすがは狩人だと思う出来栄えだった。僕はたまたまこんな通りを歩いていただけなのに掘り出し物に出会えて運が良かったなと思う。代金を支払うと、狩人の人も納得してくれたらしく、その中から宿の主人へ宿泊料と夕食代を差し出した。宿の主人も厄介ごとがなくなって安心したのか僕にお礼を言うと、宿の中へと戻っていった。この人の部屋と食事の準備をするのだろう。


「本当に助かった」

「いえいえ、僕も得をしましたから」

「それならば良かった。俺の名はガルダという」

「あ、僕はシュージです。この先の冒険者ギルド所属の診療所で医者をしています」

「イシャ?」

「治癒師のようなものですね」


 通りすがりの人に医者を説明するというのは難しい。とりあえず医者とは名乗るけど、治癒師と言ってしまった方が分かりやすいだろう。

 

「そうか。もし怪我でもしたら訪ねることとしよう。ともかく礼を言う。ありがとう」

「明日になれば素材屋さんも開きますから、一安心ですね。それでは」


 僕はスノウラビットの毛皮を抱えると帰路についた。本当に良い品物を安く手に入れることができたと思う。こんな幸運が転がっているなんて、たまには寄り道もいいものだと思って、僕は上機嫌で家に帰りついたのであった。




 ***




「いい……本当に良い毛皮ですね」

「でしょ? たまたまお金をもっていない狩人さんから直接買うことができたんだ」


 サントネ親方の工房へとスノウラビットの毛皮を持っていったのは翌日の昼過ぎである。午前中はいつもの通りに診療を行って、午後から時間が空いたのだ。マインはサーシャさんから仕事を教わると言って診療所から出てこようとしなかったし、マインがいるからローガンもあまり外出には気乗りがしなかったようなので置いてきた。

 スノウラビットの毛皮は本当に上質なものだったらしく、センリがほれぼれしながら眺めている。


「それで、何を作りましょうか?」

「ええと、枕とかどうかな」

「……そういえば先生は冒険者ではなかったんですよね」


 僕は冒険者を引退して医者をやっているのだ。だからべつに冒険者の装備を作らなければならないわけではない。


「この工房に来る人のほとんどが冒険者だったので、こんな上質な素材を使って装備を作らない人ってのは初めてです」

「普段の睡眠は重要だよ。それこそ装備以上に」

「野営には持っていきませんよね?」

「まあ、そうだね。それにレナにあげようと思って」

「ついにプロポーズですか!? 二人用の長いやつを作るんですね!?」

「なんでだよ。日頃の感謝をこめてさ。一人用でいいです。毛皮も足りないだろうし」


 センリが何を勘違いしているのかおかしな事を聞いて来るけど、僕は当初の予定通りにレナに枕をあげることにした。冒険者の装備というのも考えなかったわけではないけど、レナの装備品の多くには魔力が通っているものが使われているのである。

 残念ながらスノウラビットの毛皮でつくった装備というのは魔力が通りにくい。そのために戦士などならともかくも魔法使いのレナの装備としてはあまり適していないのである。その代わり、真っ白な毛皮の手触りはとてもいい。毎日の睡眠で使ってくれると快眠が得られるのじゃなかろうか。


「それじゃ、製作に一日ほどいただきますね」

「え? 明日にはできるの?」

「そりゃ、枕カバーとして成形するだけですから」

「まあ、そうか」


 中身の枕も見繕ってくれるというし、良いものができるのではないだろうかと思って僕は工房を後にした。帰り際にサントネ親方の呆れ顔が見えたけど、笑ってかえしておいた。ところで親方は薬をちゃんと飲んでいるのだろうか?





 診療所への帰りに素材屋からでてきたガルダとばったり出くわした。素材屋が工房などがある地区にあるのは当たり前の事で、その中でも一番良いとされる店を探していたのだろうか。お勧めするとしたらここだろうという店から出てきたのである。


「あ、ガルダさん」

「む、シュージ。昨日は世話になった」

「さっそくスノウラビットの毛皮を使って工房に依頼を出してきましたよ」

「それで何を作ってもらうのだ?」

「枕です」

「そ、そうか。シュージは変わっているな」


 昨日見た時はパンパンに詰まっていて重そうだった背嚢は中身がなくなって随分と軽そうに見えた。その代わりに腰に布袋が吊り下げられており、ずっしりと重そうである。


「そういえば、冒険者ギルドと関わりがあると言っていたが、俺もこの町に滞在するにあたって魔物の狩りをしようと思うのだ。冒険者ギルドに所属しておくといいと聞いた」


 たしかに魔物の討伐依頼はランクが上がらなければ受けることはできないけど、依頼を受けていない状況で魔物を倒してくるとある程度の報奨金がでることが多い。素材の買い取りもしてくれるし、魔物を対象とする狩人には冒険者ギルドに入っておくべきだろうと思う。


「それでだな、できれば冒険者ギルドに連れて行ってもらえないか?」

「ええ、いいですよ。一緒にいきましょう」


 ガルダはほっとした顔をして僕についてきた。



 これが、ナインテイルズに関わる一連の騒動の始まりだったのである。

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