第45話 包虫症1

「だから、この胆管がなんらかの原因で詰まってしまうと、肝臓が腫れてしまって黄疸が出るのさ」

「なるほど。イーネさんはこの出口に癌という名前の変なものができていたんだな」

「変なものって……まあ、間違ってはいないけど」


 病気の原因をローガンに説明するというのは根気のいる作業である。それは基本的な解剖の知識すらない子供に最先端の知識を教え込む必要があるのだ。もともと、それなりに勉強ができるような人間しか入れない大学の医学部というところで最低でも六年間以上の勉強をし、さらに実践経験を詰んで初めて医者になれるところを十歳程度の子供に教え込むというのは無理というのものである。


 それでもローガンはその辺の子供なんかよりもずっと要領よく知識をかきこんでくれている。併行して製薬魔法や鑑定魔法の上達もめざましく、回復ヒールの練習までし始めていた。



 そのローガンが献身的に看護してくれたイーネさんは順調に快復した。もともと手術終了の時点で縫合不全がないことを確認できるという卑怯でチートな魔法を使っているのだ。あとは消化管が問題なく動いていることを確認さえできれば退院である。


「もうイーネさんをお父様だとか呼ばなくてすむから助かるわ」


 そしてそのイーネさんの養女役をしていたマインはこの診療所で働くことになった。瞼を二重に美容整形して顔が変わったと言っても、声や性格が変わったわけではないためにイーネ商会で顔を合わせた数人に正体がバレてしまうこともあるかもしれないというイーネさんの判断である。

 

 極力イーネ商会には行かないことにしているが、その分イーネさんが定期受診を装ってマインに会いに来ていた。


「そんな事言って、本当はイーネさんをお父さんと呼べて嬉しかったんだろ?」

「さあね、知らない」


 ローガンは医者として、マインは看護師として修行をするということになったのである。今は二人に病気と解剖のことについて教えているところだった。ローガンはマインにいい所を見せようと張り切っている。


「さあ、どうせ一年や二年じゃ全ての知識は手に入らないからね。それよりも記録をしっかりとる練習をしよう」


 僕はカルテを取り出して、その書き方だとかどこを診たかだとかをローガンに教えていく。その間にサーシャさんがマインに色んな作業を教えてくれていた。


「なんだか、半分は花嫁修業みたいね」

「そうですね。身の回りのお世話をすることが半分、あとは先生の治療の手伝いをするのが主な仕事になります」

「サーシャさんは手術にも入っているんでしょ?」

「先生に適切な道具を渡す係ですよ。手術をしているわけではありません」

「それでも凄いわ!」


 マインは天然の人たらしなんだと僕は思う。こりゃ、ローガンがあっという間に惚れるわけだ。サーシャさんも褒められて悪い気がしないのか様々なことを教えてくれている。



 数日前にブラッドが診療所までやってきた。


「シュージ、俺はレーヴァンテインに帰るぞ」

「そうか。マインは悲しむな」

「湿っぽいのは苦手だから、お前から伝えてやってくれ。イーネには全て伝えてある」


 執事服ではなく冒険者の恰好に戻ったブラッドは僕の良く知るブラッドだった。


「レイヴンにもお前がこんな所で変な事しているって教えてやらないといけないしな。シードルも話を聞きたがるだろう」

「ああ、皆によろしく伝えておいてくれ」

「分かった。……おう、レナも世話になったな」


 いつの間にかレナが僕の後ろに来ていた。


「お前はいつでも転移テレポートでレーヴァンテインに帰ってこれるんだろう。たまには顔を出せよ」

「その時はシュージを連れて行くわ」

「ああ、それがいい」

「というよりも、レーヴァンテインまで転移テレポート使ってあげるわよ。何を遠慮しているんだか」


 馬車で帰ろうとしていたブラッドはレナが送っていくことになった。転移テレポートで帰ることができるのであればそれが一番いい。なにせレーヴァンテインは大陸の反対側にあるから馬車では一か月くらいかかってしまう。


「レナ、数日は向こうにいなよ。僕について急にここに来ちゃったから話とかできていない人も多いだろうし」

「そうね。それじゃお言葉に甘えるわ」


 僕はブラッドとレナを送り出すと、白衣を着て日常の診療へと戻るのだった。




 ***




「我が一族の宿命だ。受け入れろ」


 すでに三世代を超えて、呪いが彼らの一族を侵していた。皮膚や目の色が変わり、右の脇腹が痛くなるともう長くないと言われている。腕利きの治癒師を雇う金はあり、それでも効果があった者はいなかった。


「ナインテイルズとともに生きるというのはこういう事だ」


 秘伝の技術。それがこの一族の誇りであった。そしてその魔力の秘伝が少しでも外界へと漏れると、それは伝説として語られるほどだという事をこの一族は知っている。少なくとも他部族の精鋭とも言われる者たちではその領域に届かないほどの魔力をこの一族は扱っていたのである。


 真っ白な皮衣に身を包んだ族長は、それをはぎとって息子へと手渡した。


「お前の分を作るのは間に合わなんだ。これで我慢しろ」

「父上……」


 その皮衣を受け取って、次期の族長は魔力をみなぎらせた。



 数日後に族長は息を引き取った。葬儀は青年が中心となって行ったが、自分の祖父の代にはこの倍はいたと思われる一族の数を見て、青年は決意する。


「お前が族長よ」

「母上、この呪いをどうにかしない限り、我が部族は滅びるしかありません」

「しかし、これは宿命です」

「私は外界へ出ようと思います。もしかしたら、呪いをどうにかする事ができるかもしれない」

「族長はお前です。お前が決めなさい」


 族長となった青年は決意した。族長を止める者は誰もいない。父親から譲られた皮衣を脱ぎ、もともと着ていた黄色いものへと着替えた。


「俺が帰らなければ、お前が族長だ」

「兄上、これは受け取れません」

「どちらにせよ、それは父上がお作りになられたものではない。俺の物は俺自身が作らねばならんのだ」


 手製の弓には魔力が宿る。それはこの一族にのみ伝わる秘伝の一つであり、一般的と言われる魔力では到底行うことができない技術だった。さらに言えば、その魔力がなければ成し遂げられないことを、この一族は行っている。


「ナインテイルズの恵みは、我が一族を呪うのか否か」


 すでに人口の半減してしまった一族の住居を見渡して青年は呟いた。このままでは滅びを待つだけであることは明白であった。しかし、先代たちのようにそれを宿命と決めてよいものだろうか。




 ***




「伝説の武器っていうと、聖剣とかかい?」

「その聖剣っていうのが何を指すかは分かんないんだけどさ、伝説は大魔術師キャンベルの伝説だよ」


 診療所には奇妙な客が来ていた。それは患者じゃなくて行商人であったようだけど、暇だった僕はその話し相手をしている。


「まあ、持ってないから買ってくれとは言わないけどさ。大魔術師の使った装備ってのを扱えるような商人になるのが私の夢でして」

「ちなみにその大魔術師ってのはどんな装備をしていたの?」

「おっ、聞いてくれるかい? それは大魔術師キャンベルと言えば、大森林の杖に白のローブと言われているよ」

「大森林の杖? 白のローブ?」


 行商人はもはや商品を売るのが目的ではなく、自分の夢を語るのが目的になってしまったかのようにしゃべり続けている。


「大森林の杖ってのは世界樹の枝を削って、その先に誰も見た事のないような大きさのトレントっていう樹の魔物の魔石を取り付けてあったって聞いたよ。大魔術師キャンベルがその杖を一振りすると、町が一つ吹き飛ぶんじゃないかっていうくらいの風が巻き起こったって言われている」


 行商人はサーシャさんが出してくれたお茶を美味そうにすすると続けた。


「白のローブっていうのは何かの魔物の毛皮でできているって言うんだけど、その素材がなにかっていうのは分かってないんだよ。ただし、そのローブにはあり得ないほどの魔力が宿っていて、剣や槍はおろか魔法も通さない代物だって言うね。それに術者の魔力を増幅する作用があるとかないとか」


 全部、伝説って言われているくらいだから信憑性はないんだけど、と行商人は付け加えた。


 面白い話だ。僕がまだ冒険者をやっていたら、大森林の杖はともかくも白のローブは欲しいと思うかもしれない。レナは杖とか欲しいと言うだろうなと思う。


「その素材って、見当がつかないのかい?」

「よくぞ聞いてくれた!」


 調子にのってきた行商人は膝をうつと、飲んでいたお茶を置いて身振り手振りを交えて語りだした。


「伝説ってのはどうも大げさに言うことも多いんだが、私はそれらしい素材に思い当たりがあるんだよ!」

「へえ、何なんだい?」

「ここだけの話だよ?」


 もったいつけて、行商人は話した。ここだけの話がどれだけの箇所あるのかは分からないけど。


「ナインテイルズっていう狐の魔物の毛皮が術者からむりやり魔力を吸い出して増強するんじゃないかって言われているんだよ。それはもう王侯貴族くらいしか手にはいらない貴重な品らしいんだけど……」

「だけど?」

「一つ問題があってね」


 それまでの勢いがなくなってシュンとした行商人は呟く。


「でも、そのナインテイルズは黄色い狐なんだ」

「あー、じゃあ白のローブじゃなくて黄色のローブになっちゃうんだ」

「そうなんだよ。性能が同じ感じでも見た目が違うのは駄目なのさ」


 白いナインテイルズがいたらなぁ、と行商人は言う。


「それにね、ナインテイルズの皮っていうのは扱いが難しくて、それの製作者っていうのがどこの誰なのか分からないんだって。王都に現物は存在するから、だれか作ることのできる人は存在するんだろうけどさ」

「へえ、性能は伝説のとおりなのかい?」


 まさか現物が存在しているという流れだとは思わなかった。


「王宮に保管されているだけだから、本当に魔力を増強するかどうかってのは記録だけになるよ。それを着て戦ったって人を見たわけじゃないし、聞いた事もないね」

「すくなくとも、その王宮に保管されているのは白のローブじゃなくてナインテイルズのローブなんだね」

「う、うん。そうなんだよ」


 話しているうちに仮説の信憑性がなくなってきたためか、行商人は最初ほどの勢いはなくなってしまった。


「だけどね、私はそのナインテイルズのローブをつくることのできる人ってのを探しているのさ」

「それでユグドラシルの町へ」

「そう。そもそもナインテイルズは魔力がとても強くて狩るのは難しいんだよ。それをローブに必要なだけ狩ろうと思うと、一匹や二匹じゃ足りないからね」


 百匹とか千匹必要なわけじゃないけど、と行商人は付け加えた。



 ん? そういうえば、古代中国の話で狐の皮衣の話がなかったっけ? それも、白いやつの。


 僕は、随分と前に日本にいた頃の記憶、しかも読んだ本の記憶を掘り起こすのを頑張ったけど、すぐには出てこなかった。

 行商人が帰って、診療所の片づけを終わらせて、レナがレーヴァンテインに帰省中だから一人で帰路についたのだけど、その際に思い出した。



「そうだ! 狐白裘こはくきゅうだ!」


 古代の中国では狐の皮衣をつくっていた。そして、その中でも最高級と言われたのが狐白裘こはくきゅうである。その製法はとんでもないもので、狐のわきの下の白い部分の皮だけを使って作られたと言われていた。



 それに必要な狐は、一万匹とかなんとか。あの行商人が白のローブを手に入れる頃にはナインテイルズが絶滅しているかもしれない。

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