第24話 バセドウ病4

「うーん、ちょっと厳しいかな」


 僕はローガンとともに製薬室で手に入れてきた人型の魔物の甲状腺から甲状腺ホルモンの抽出を行っていた。

 結論を言うと、魔物から甲状腺ホルモンの抽出はできたのである。おそらくではあるけど、これを投与すれば甲状腺ホルモンの補充は問題なくできる。しかし一つ大きな問題があった。


「先生。これじゃ量が足りないよね」

「うん、一週間に一度はオーガを仕留めないといけないとか、大貴族でもなければ用意できないよ」


 ローガンとともにため息をつくしかなかった。手に入れた甲状腺からの抽出量が思ったよりも少なかったのだ。僕の製薬魔法が未熟というのもあるかもしれないけど、基本的に量が少ないんだろう。毎日内服するなんて、現実的に無理な話なんだろう。


「先生、どうするんだ?」

「ああ、まあできない事もないんだけどさ。ちょっと難しい」


 甲状腺機能亢進、バセドウ病には抗甲状腺ホルモン薬が使用されるけど、それが効果を発揮しない時には甲状腺全摘術が行われる。それによって完全に甲状腺を取り除いたのちに、必要な分だけは甲状腺ホルモンを補充するのが一般的な治療であった。甲状腺がなくなってしまうのであるために、その薬の内服をやめるという選択肢はなくなる。もしやめてしまったら、甲状腺機能低下症の症状が出てしまうからだ。



「先生、エリエルさんが来られました」

「分かりました。すぐに降ります」


 僕がいろいろと悩んでいるとサーシャさんが製薬室へとやってきた。センリにお願いして、エリエルに診療所を訪ねるようにと伝えてもらっていたのだ。


「えっと、エリエルと言います」

「あ、これはご丁寧に。僕はシュージ。ここで医者をやっています」

「イシャ……ですか?」


 診療室で向かい合って座ると、エリエルは少し緊張していたようだった。相変わらずかなりの汗をかいている。運動したりするとすぐに汗だくになってしまうのだろう。そしてその代謝を補うためにかなりの食欲があるはずで、いくら食べてもむしろ痩せていく。


「先日、サントネ工房でお見掛けしまして、もしかしたら色々と苦しんでいるのではと思いまして」

「見ただけで分かるのですか?」

「ええ、それにセンリに少し話も聞きましたし」


 僕は首の前面を触らせてもらうようにお願いする。すでに冒険者ギルドにいたエリエルを心眼で観察して、甲状腺が腫れていることは確認していたけど念のためだ。


「ここにある甲状腺という臓器が腫れています。心臓がどきどきしたり、興奮して眠りにくかったりするのはこれが原因ですね。もしかしたら集中力も低下しているのかもしれません」

「えっ、なんでそんな事を知ってるんですか?」

「これは病気です。貴方たちはこれを「呪い」というかもしれませんけど、治療は可能です」


 センリにも「呪い」と言われて逆上したらしい。そのためにエリエルは大きく驚く事はなかったけど、僕がその病気を知っているということは理解してもらえたようだった。


「どうすれば、治りますか?」

「詳しく説明しましょう」



 バセドウ病の原因は自己抗体と言われる。自己抗体は自分の体の一部に対して抗体が反応することで、甲状腺の組織に抗体が反応するために甲状腺が腫れてしまう。結果、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されてしまうのだ。

 先ほど言ったとおり、甲状腺の全摘術が基本的な治療である。そして甲状腺ホルモンの内服が必要なのであるけど、現実的にこの薬を一生飲み続けるというのはエリエルには不可能だった。では、どうすれば良いか。


「甲状腺亜全摘というのを行います」

「亜全摘?」

「簡単に言うと、一部分だけを取り除いて来るのです」


 甲状腺全部ではなく、一部だけを切り取ってホルモンの産生量を調節する手術である。しかし、その手術は完璧と呼ばれるものではなく、取り過ぎて甲状腺機能低下症になってしまうことも、取らなさ過ぎて甲状腺機能亢進症が再発することもあった。丁度よい量というのは個人によって変わってくるために非常に難しい。


「そして、取り過ぎてしまった場合には一生薬が必要となります。おそらく、その薬代は普通の冒険者には払うことのできない金額となってしまうでしょう」

「では、どうするんですか?」

「まずはエリエルさんの血液の中にどれだけの甲状腺ホルモンが出ているのかを調べないといけません。そこから亜全摘する量を計算して、再手術の可能性を残したまま、すこし少な目に亜全摘しましょう」


 二度の手術の方がまだ一生高額な薬代を払い続けるよりもマシではないかという事を提案したのだ。しかし、こんなに不確実な治療を行う必要が出てくるなんて僕としては納得いかないところもあるけど、製薬技術がまったく発展していないこの世界であるために仕方がない。


「それをしないと、私はずっとこの呪い……いえ、病気から解放されないのね?」


 エリエルは僕をまっすぐに見つめてそう言った。やはり彼女は苦しんでいたのだろう。そしてそれを誰にも打ち明けられなかったに違いない。この世界では病気にかかっていても他人には隠し通そうという人が多い。それほどに呪いというのを人々は恐れていた。


「できる事は全力で行います」

「分かった。お願いします」


 手術の覚悟を決めてくれて良かった。これからは僕らが全力を尽くすだけである。

 バセドウ病は日本ではそれなりに知れ渡っている病気ではあるけど、死に至る可能性があるというのはあまり知られていない。なんらかの強いストレスが加わると甲状腺からさらに過剰の甲状腺ホルモンが分泌されてしまい、それが各臓器へ負担をかけて多臓器不全にまで陥る。これを甲状腺クリーゼと呼び、そのストレスというのは大きな外傷や全身麻酔などでも起こるのである。


 普段の生活を一変させてしまうバセドウ病は、年齢によっては更年期障害と間違われることもある。性格の変化や怒りっぽくなるというのは、本人にはどうしようもない事である。



 しかし、まだ僕らは問題を抱えていた。そのために僕は製薬室でため息をついていたのである。この問題をクリアできなければ、手術を行ったとしてもそれがうまくいったかどうかが分からない。


「ローガン、これがエリエルの血液だよ」


 僕は血液が固まらないように薬を加えた小瓶に入れられたエリエルの血液をローガンに見せた。


「今から鑑定魔法を発動させる」

「は、はい」

「この鑑定魔法は普段は薬の成分を鑑定するために使う魔法だけど、血液検査に使わないといけない。さあ、ローガンもやるんだ。そして今回は甲状腺ホルモンの量がどのくらいなのかというのをイメージしなければならない。これが成功しなければエリエルの手術でどのくらいの量を取るかが決定しないから責任は重大だよ」

「は、はい!」


 薬に対して鑑定魔法を使う場合、だいたいが製薬魔法で作られた薬を鑑定することになる、薬師の多くは魔力量や自己治癒力がどれだけ補充できるかを鑑定するわけではあるけど、僕はこの鑑定魔法を製薬した薬の成分に応用して使っている。

 そして、それは問題なくできるのだけれども、血液の鑑定にはひとつの問題があった。


 それは薬と違って血液には様々は成分が多く混ざっているという事である。あまり成分の種類の多くないいつもの薬と違って、血液に鑑定魔法は成功しにくい。対象の成分をきちんとイメージするのは非常に難しかった。実際に行ってみたけど、できなかったのである。


「魔力が続く限り、練習しよう」

「はい、先生」


 抽出しておいた甲状腺ホルモンの瓶も用意してある。僕らはエリエルの血液を使って、甲状腺ホルモンがどのくらい多いのかというのが分かるまで鑑定魔法を訓練した。


 そして、この鑑定魔法が成功したのはそれから三日後のことだった。


 成功させたのは僕ではなく、ローガンだった。




 ***




「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 エリエルの手術は鑑定魔法で血液検査ができるようになってからさらに三日後に行った。


「メス」

「はい」


 エリエルの手術の導入時に甲状腺クリーゼが起こったらどうしようと思っていたけど、そんな事は起こらず安心した。昏睡コーマの魔法を使ってくれたレナがはいつも通りに患者の頭側に座って気管挿管されたチューブに繋がった足踏み用人工呼吸器を踏んでくれている。僕はサーシャさんにわたされたメスで首に横一文字で皮膚切開した。


「本当にオーガとかと同じような構造をしているんですね」

「ああ、基本的な配置は全く一緒だったよ」


 ミリヤに手伝ってもらいながら甲状腺の周囲を露出させていき、血管の処理などを行う。解体の時にも同じような処置を行っていたからミリヤの助手も迷いがなかった。回復ヒールのことも考えると思ったよりも手術は早く終わるかもしれない。


「ローガンの血液検査によると、だいたい半分くらいの量を取ればいいんじゃないかと思ってるんだよ」

「分かりました」

「副甲状腺がある部分の両側を残して、中央部分を切るよ」


 結局、僕は血液検査の魔法を成功させることはできなかった。やはりローガンは才能があるんだろうなと思う。寂しい気持ちもあるけれど、ローガンがそうやって治療に貢献してくれるというのは非常に良いことだった。

 甲状腺の中央部分にメスを入れる。周囲の血管を傷つけないように、しかし甲状腺の中からの出血には焼きごてを用いて止血を行った。副甲状腺は小さくて分かりにくいのであるけど、なんとか場所を特定して残すようにした。出血が多い部分には焼きごてだけではなく回復ヒールも行った。


 他にも甲状腺の周囲には重要なものが沢山ある。動脈や静脈はもちろん、反回神経はんかいしんけいには非常に気を付けなければならない。これを傷つけてしまうと飲み込みと発音が障害される。


「さあ、これで完璧かどうかは分からないけど閉めよう」

「はい」

 

 ホルモンの量で亜全摘の量を決定すると言うやり方は日本では行っていない。術後のホルモン量を測るだけである。なにせ問題なく甲状腺ホルモン薬が入手できる日本で、そこまで厳密な手術を行う必要などなかった。しかし、このホルモンの量がエリエルの今後の人生を左右してしまう。


「ローガン、血液検査するよ。教えた通りに採血をしてくれ」

「はい、分かった」


 ローガンがエリエルの点滴を入れられていないほうの腕を紐でしばって血管を拡張させた。針と注射器を使って採血を行う。これには慣れが必要であるけど、エリエルの血管は非常に見やすかったのと若く弾力があって針が刺しやすかったこともあってローガンは一発で採血をしてみせた。

 ローガンはそのまま採れた血液に鑑定魔法をかける。


「うーん、まだそんなに下がってないぜ?」

「まあ、そうだろうね。今夜と明日の朝にも血液検査をお願いするよ」


 徐々に下がっていくはずである。


「もしかしたらもう一度手術をしなければならないかもしれない。きちんと止血してから回復ヒールをかけようか」

「はい、分かりました」


 僕は念入りに止血を行うと、傷を閉じた。




 ***




「いや、問題なさそうで本当に安心したよ」

「先生、ありがとうございました」


 二日間ほど、連続で血液検査を行ったのであるけど、ローガンの鑑定魔法では順調に甲状腺ホルモンは低下していき、最終的に正常値くらいで下がり止まった。これで甲状腺ホルモンの永久投与は必要ないだろう。


 その後エリエルは問題なく退院した。それまでは滝のようにかいていた汗も治まり、不眠も解消されたという。


「またセンリとご飯に行く約束をしたんですよ。今度は割り勘で」

「それはいいね、飲み込みにくいとかない?」

「はは、先生はすぐに病気の事を聞いてきますね」

「まあ、職業柄ね」


 後日、エリエルが新しくパーティーを組んだという事を知った。なんでもそれまでは食事代がかかりすぎるからという理由で固定パーティーを組んでいなかったとか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る