第25話 細菌性膿胸1
工房へ注文する医療器具は日々増えている。それのほとんどはセンリが作ってくれているそうで、最近のサントネ親方はもっぱら指導に回っているそうだ。それでも忙しい時には手伝ってくれるとセンリは言っていた。
「これが三方活栓。それでこうやって点滴の側管から薬を入れるんだよ」
「これなら私がやるのが一番いいわね」
「うん、だから薬の濃度は一定にしておいて、注射器の中で水と混ぜることで濃度を調節するんだ」
今回お願いしたのは中心静脈カテーテルである。首や鎖骨の下にある太い静脈に針を刺してカテーテルを挿入し、その先端を心臓のすぐ近くにまでもってきて固定するものだ。一般的な点滴よりもかなり太いのであるが、その分大量の薬を入れることもできるし、細い血管に流すと血管炎を起こしてしまうような薬でも直接心臓に入れることによって濃度も薄まって問題なく投与できるのだ。他にも栄養分がかなり濃い点滴も入れることができるようになる。
他にも欲しい医療器具というのはいくらでもある。しかし、これが完成すればある程度の目途がつくというか、ほとんどの分野は網羅できたことになるのではないだろうか。
「明日は世界樹へ行くのよね」
「ああ、そうだね。レナはしっかり休んで魔力を養っててよ」
「だったら、今日はユグドラシルチキンが食べたいわ」
工房の帰り道でそんな会話をしていると、後ろから荷物持ちでついてきていたローガンが言った。
「ねえ先生。明日は俺も世界樹に連れて行ってくれよ」
***
数匹のユグドラシルジャイアントビートルが飛ぶ。その角の鋭さは年を越えるごとに鋭くなると言われており、強さの個体差が激しいと言われている魔物だった。
「ちょっと、今日いるやつはデカすぎるね」
「ノイマンたちを連れてくればよかったのに」
「たしかに、僕はあれの突進を受けられる自信はないなぁ」
第七階層までの道のりは問題なかったとしても、世界樹には第七階層から出てくる魔物が明らかに変わってくる。それは世界樹の雫という名前のついた樹液を主食とする魔物たちが生息しているからだ。特に上層部に行くにつれて樹液の量は増え、魔物の強さも変わってくるという。
「俺、こんな距離でユグドラシルジャイアントビートル見たのは初めてだよ」
「と言ってもまだ気づかれる距離じゃないけど」
第七階層に入ってすぐの場所から樹液が出る部分を見ることができた。いつもならばそこに数匹の魔物が群がっており、レナの魔法で蹴散らして世界樹の雫を手に入れるのであるけど、今日は何故かその中に第七階層には似合わないほどの巨大なユグドラシルジャイアントビートルがいた。明らかに他の個体とは違う大きさである。
「もしかしてあれだけ大きかったら十歳は越えてるかも」
「虫の魔物のくせになまいきだわ」
「ちょっと待ってたらどっか上の階層に動いてくれないかな」
今までの魔物であれば一撃で倒すことができただろうと思う。だけど、あのユグドラシルジャイアントビートルは巨大すぎて一撃で倒せないかもしれない。前衛職を連れてきていない僕たちは危険を冒すわけにはいかなかった。勝てないわけではないと思うけど、ローガンもいる状況で怪我をしないとは言い切れない。
「シュージ、どうする?」
「待とう」
幸いにも身を隠す場所はいくらでもあった。世界樹の樹皮と言えばよいか分からないけど、人の背丈を軽くこす皮がところどころめくれあがっているのだ。巨大な世界樹の中心は空洞が空いていて、その内側からが第八階層である。第七階層は表面を行く道であった。そんな場所にも樹液が出るというのは神秘である。
「なあ先生、あいつなかなか移動しねえぞ」
「仕方ないよ、我慢するしかない。世界樹の雫を持って帰らないっていう選択肢はないから最悪ここで野営だよ」
「げぇ」
簡単な野営ができる道具は携帯してきている。火を使うことはできないけど、体が冷えないように毛布に包まるくらいはできるし、そこまで気温が低いわけでもない。樹皮の影に潜んでいれば魔物からも見つからないだろう。
「あんなに必死になって樹液を舐めてるけど、おいしいのかしら」
「そう言えば樹液を舐めて見たことはないよね。人体に害になる成分はないことは魔法で確認したからなめても問題はないよ」
「試してみようかな」
樹皮のくぼみにちょうどいい座れる部分を見つけたレナがあくびをしながらそんな事を言っている。Sランクの彼女が警戒を怠るわけはないけど、無駄に緊張することもない。僕も彼女を見習って肩の力を抜こうと水筒の水を飲んだ。残りをローガンに分けてあげる。ローガンはずっと緊張しっぱなしで喉が渇いていたのか、ゴクゴクと喉をならして飲んだ。
「む、先客か」
その時である。後方から声をかけられた。見ると一人の冒険者の男が第六階層から登ってきているところだった。
「こんな所で野営でもするつもりか? それに子供連れとは……」
「この先にやけに大きなユグドラシルジャイアントビートルがいるのでどこかに行くまで待っているんですよ」
「何? そういうことか……」
フードを被っているがその中からは金髪が覗いている。やや軽装ではないかと思われる荷物は背嚢ではなく腰にぶらさげられたポーチに全て入っているのだろうか。よく見ると仕立てのよい薄緑のコートを羽織っていた。腰の長剣の鞘はかなり良い物であるがうかがえる。
「ふむ、たしかに第七階層にしては大きなやつだ。あれならば第十八階層より上にいてもおかしくない」
樹皮の向こうを確認したその男はそう言うと、自分も待機することを決めたのかどっかりと座り込んだ。しかし、そのしぐさに何やら気品のようなものを感じてしまう。僕はそれを見て「イケメンには税金をかけたほうがいい」と思った。それほどに男は美男子である。年は二十台だろう。こんな所に一人でいるというのに違和感はあった。
「……そうか、君たちがシュージとレナか。そうするとこちらはローガンだな」
僕たちを眺めていた男が急にそう言った。初対面であるのは間違いないはずである。僕らが唖然としていると、男は続けた。
「なに、ロンから聞いていただけだ」
「えっと、その前に貴方はどなたでしょうか」
「おっとすまない、名乗っていなかったな。私はアレンという」
そう言うとアレンは首にぶら下げたギルドカードを取り出した。それは金色のSランクを示していた。
「Sランク」
「そんな珍しいものでもない。君たちも同じだろう」
「いえ、ユグドラシル冒険者ギルドにはSランクがいないと聞いていたもので」
「ああ、常にいるわけではないからな」
他の町のギルドに所属しているのだろうか。それにしてもこの若さでSランクというのはレナ以外に見たことがなかった。しかしこの軽装で第七階層まで単独で来ていることを考えるとSランクというのも納得ではある。左の腰には細身の長剣が一つ、反対の腰にナイフが一つ。他に目立った武器はなかった。もしかしたら魔法も使えるのかもしれないけど。
「おお、そろそろ動きそうだぞ」
僕が頭の中で彼に対する質問などを考えていると、ユグドラシルジャイアントビートルに変化があった。羽を広げて、今にも飛び立ちそうである。ここは樹皮の影に隠れているので風なども来ないけど、近くにいる小さな魔物は風圧で飛ばされそうになっていた。そのうち、巨大なユグドラシルジャイアントビートルは上層へ向かって飛んでいった。あれほどの巨体であれば第二十階層まであっという間に飛んでもおかしくない。すぐに見えなくなった。
「さて、そろそろ俺はいくぞ」
アレンは立ち上がると長剣を抜きはらった。
「残った奴らは俺が掃討しておいてやろう。帰りの魔力も必要そうだろうしな」
そう言うとアレンは樹液に群がっていた他の魔物の急所に次々と長剣を差し込んで討伐していった。魔物の素材をはぎ取るわけでもなく、こちらに手を振るとそのまま第八階層に向けて歩いて行ってしまったのである。
「なんか、すごい人だったね」
「ええ、あの身のこなし」
「俺、あの人どこかで見たことあるような気がするんだけどな。どこだったっけ」
ローガンが頭を抱えながらひねっている。僕には思い当たる人物がいなかったけど、ロンさんと仲が良いようであるし帰ったら聞いてみようと思った。
「ねえ、この魔物の素材はどうする?」
「そうだね、せっかくだし頂こうか」
樹液の付近には世界樹の雫の他に、アレンが倒した魔物が転がっていた。僕らはその素材を回収した後で、世界樹の雫を製薬した。日が暮れる前まで作業を行うと、その後はレナの
結局アレンはその日に戻ってくることはなかった。世界樹のどこかで野営でもするのだろう。第八階層から上には行ったことがないけど、野営に適した場所があるのかもしれない。第二十階層などになれば一日では上りきれないほどの高さでもあるからベースキャンプが設営されていてもおかしくなかった。
***
「アレンに、……会ったのか」
冒険者ギルドでアレンの事を聞くと、ロンさんは歯切れ悪くそう言った。相変わらず書類の山に埋もれているけど、その手には僕らが手に入れた世界樹の樹液の原液が入った小瓶とスプーンが握られている。不純物を取り除いたあとに舐めてみたら濃厚でいて後味さわやかなというあり得ない属性を持ったハチミツのような甘い味がした。中には抗生物質だけではなく、胃薬にも使えそうな成分があったためにロンさんへのお土産として持って帰ったのだ。ちなみにレナは数瓶確保している。
「それで、どんな話をしたのだね?」
「別に、巨大なユグドラシルジャイアントビートルがどこかへ移動するまで待機していた時にすこし世間話をしただけですので」
「そうか」
「受付には伝えましたが、彼が討伐して放置した魔物の素材を解体して持って帰ってます。半分は解体料と運搬料という事でもらいましたけど、アレンさんが帰ってきたら素材の代金を半分受け取ってもらっておいてください」
なんとも言えない表情でロンさんは頷いた。これ以上アレンさんの事について話すつもりはなさそうである。よくみると小瓶の中身はほとんどなくなっていた。意外にも甘党なのかもしれない。
「なあ、シュージよ」
「なんですか?」
「今、重要なことに気づいてしまったのだが……」
ロンさんは机の上に両肘をついて、顔のまえで手を組むとそれを額に当てた。神妙な顔持ちでこう続ける。
「これ、全部食べてしまったのだがアマンダの分はあるのだろうか。もしなければ、私が全部食べてしまったことは内緒にし……」
「ありますから安心してください」
ユグドラシル冒険者ギルドは今日も平常運転だった。
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