第21話 バセドウ病1

 偽関節ぎかんせつと呼ばれる病気がある。それは本来は関節ではない部分が、骨折がきちんと治らなかったために骨が離れたままで治癒してしまって本来曲がるはずのない部分が曲がってしまうことを指す。他にも、骨が曲がったままで癒合ゆごうしてしまうこともある。どちらも適切な処置ができなかった場合に起こってしまうものだった。


 診療所にきた元冒険者の衛兵は本来曲がるはずのない所が曲がるので診て欲しいといった。


「膝に矢を受けたとか?」

「昔は冒険者だったんだが膝が悪いことはない。魔物との戦いで腕の骨を折ってな。それから回復魔法をかけてもらったんだが、治りが悪かったらしく、曲がったままなんだ」


 衛兵のラウルさんはそんな話をしていた。利き腕は右手であるから、武器を持つのには困る事はないけれど、左手に持つ盾の機能は著しく落ちてしまったという。だったら、冒険者を辞めて衛兵なんてもっとやりづらいじゃないかと思っていると、ラウルさんの持っていた盾は円形のラウンドシールドという物で、その縁は刃物のように鋭くしてあり、攻撃にも使えるものだったと聞いて納得した。衛兵がそんなもの持っていたら犯罪者を取り押さえるどころか殺しかねない。他にも弓を使っていたけど、これは全く使えなくなったそうだ。


「力が、あまり入らないわけではないが、器用さが全くなくなったな」

「それで、逆にかなり大きな盾を持つ衛兵ならばやることができると思ったんですね」


 意外とラウルさんにはその相性が良かったらしい。今更冒険者に戻るつもりはないと言っている。しかし、衛兵の業務の精度が上がり、曲がった左手がもとに戻るのならばと僕の診療所を訪ねてきた。



 本来、左手の上腕骨じょうわんこつが折れた場合に偽関節などになるわけがない。だがしかしラウルさんの左の上腕骨は少しだけ曲がる。力がなくなったわけではないと言っていたけど、おそらくは嘘である。腕全体に盾を固定して体で押さえているのだろう。手の力は明らかに落ちているはずだった。全てはその時に魔法をかけた治癒師が、骨が曲がったままで回復ヒールをかけたのが原因である。自己治癒力を向上促進させるだけの回復ヒールに、骨の整復機能がついているわけがない。結果、なかなか治らないのも当たり前で、回復ヒールをかけ続けた結果、骨の断端が治りきってしまって骨膜こつまくに覆われ、折れた上腕骨がくっつくことはなく終わった。周りの筋肉でなんとか固定できているのと、若干ではあるが骨同士が組み合わさっている状態ではあるので腕の形状は保たれている。しかし、腕を前に突き出させてみるとあきらかに左手が外側を向く。


「手術、できないことはないですけど」

「なら、ぜひともやってもらいたい」

「いや、冒険者にもどるつもりがなくて、この腕でも衛兵は問題なくやれるのであればリスクを背負う必要はないかもしれません。それになにより費用がね」


 やるからには意味のある医療をしなければならない。手の力が治るのはいいとして、そのあとそれがどう利益をもたらしてくれるのかという事と、手術を行う事で背負う不利益のことは説明しておく必要がある。


「手術が百パーセント成功する保証はありません。前よりも悪くなることだってあるんです」

「そ、そうなのか」

「もちろんそのような事がないように細心の注意をはらって手術は行います。しかし、医療に絶対はありません」


 本来は様々なリスクがあるはずの全身麻酔の代わりに使っているレナの昏睡コーマは素晴らしいほどに意識だけを刈り取る魔法であり副作用は今の所認めていない。だからこそ僕は思い切った手術ができているのであるけれど、昏睡コーマとは別の場所で命に関わる失敗をしないとも限らなかった。今後どうなるかなんて誰にも保証できないのであり、僕はそんな中でも医者をやっている。


「うーん。いや、でもどうにかして欲しいんだよ。ラウンドシールドはいいとして、弓は使いたい。それに両手で扱う槍とか使わなきゃならん時もあるしな」

「分かりました。そこまで言うのなら全力を尽くしましょう」


 説明すべきことは全て行った。そして、僕はこの手術に自信がないわけではない。というよりももう一回折ってきちんと向きを直してから回復ヒールをかければ治るはずだ。その方法を説明して、その途中にある動脈や静脈、そして神経などを傷つけると出血や麻痺などを起こす事があるというのを承知してもらった。まあ、回復ヒールがあればそれも特に問題なさそうではある。


「よろしく頼む」

「では、手術は二日後の午後ということで。午前中にはここに来ていてください」

「分かった」


 衛兵の業務は数日間休むことが可能とのことだった。意外とユグドラシルの町の衛兵はホワイト企業なのだなと僕は思う。といっても魔物の襲撃などでたまに殉職者の出る衛兵は、随時募集がかけられるような職種だった。ラウルさんが復帰して戦力増強となればこの町にとっても良いことだろう。左手があまり使えない状態でも衛兵の中では強い方らしい。さすがは元Bランク冒険者である。


「経費と治療費の大まかな概算はサーシャさんに聞いて下さい」

「うっ、お手柔らかに頼むよ」

「冒険者ギルド所属じゃないですからね、割引は効きませんから」

「前はあそこに入り浸っていたんだがなぁ……」


 ラウルさんは冒険者ギルドの建物の方の窓を診ながらつぶやいた。それでも衛兵の業務の収入は良いらしく、支払いは可能であった。貯金とかを崩す必要があると、ぼやきながらも術後を楽しみにしているようだった。いつ死ぬかも分からん冒険者とか衛兵業務に就いている人物は貯金額が少ないのであるが、ラウルさんはそんな事はなかった。



「整形外科領域は回復魔法がものすごく効くなぁ」


 正直なところ、一般外科の領域に比べて整形外科領域は回復魔法で治ってしまう。今回のような事も起こらないわけではないが、熟練の治癒師にかかれば問題なく治ってしまっていたのだろう。僕もそのような時には骨を整復してから回復魔法をかけるからだ。明らかに変な風に治ってしまったという人の話はたまに効く。そのために一般的な治癒師でも治る状態であれば僕はウージュの診療所に回してしまうこともあった。


「ローガン、手術の準備の買い出しに行くよ」

「あ、私も行くわ」

「じゃあサーシャさん、留守をお願いできますか?」

「はい、分かりました」

「先生、荷車いるか?」

「いらないよ、手で持てるくらいしか買うつもりはないから」


 午後はこういった事を行ったり、手術をしたりという時間である。病室では腸閉塞の手術を終えたヴァンが暇そうにしていた。

 まだ完全に回復したわけではないために粥しか食べさせてもらってないというのが不満ではあるけど、僕らにはもう逆らえないというのも自覚しており、なんとも言えない態度になっている。でも多分、退院したらまた不摂生を繰り返すに違いない。とりあえずは再発しにくいようにはなっているはずだけど、腸管というのは空気に触れただけでも癒着しやすくなるものであり油断はできない。もう退院可能ではあるのだけれども、反省の意味もこめて数日はいてもらおうと思っている。その後は以前のパーティーとともに依頼に出るのだと楽しみにもしていた。



 サントネの工房によって手術用の針糸を受け取り、その他にも消耗品をいくつか購入する。そろそろ滅菌器材をもっと大きなものに替えなければ追い付かないほどに器械が増えてきた。


「単純に大きくするってわけじゃねえんだな?」

「そうですね、間取りのこともありますから今度また相談に来ます」

「おうよ、鍛冶屋のやつにも声かけとくわ」


 全快したサントネ親方は順調に仕事を増やしているようであるけど、僕の仕事を優先してくれる。そんなに特別扱いしなくていいと言っているのだけれども、命の恩人のために仕事をすると言って聞かない。最近はその仕事もセンリへの教育を兼ねてやっているようで、実際に細工をするのはセンリだったりするようだ。近い将来には全ての器械をセンリが作ることができるようになるというわけだ。



 そんな事を思っていると、工房へと新しい客がやってきた。女性の冒険者のようだ。


「こ、こんにちわ」

「おうエリエルか。注文の品はできてるぜ」

「はい、これよ」


 センリが奥から持ち出してきたのは腰につけるポーチのようだった。しかし、その形状として特徴的なのはバンドの部分が取り外し可能となっており、予備のものもついているのである。本来であれば頑丈さが求められる腰のポーチにそのような加工をするというのは不思議だった。日本で会ったならばそのようなデザインは普通であるけど、この世界、特に冒険者でそれを選ぶ理由が分からない。


「わっ、ありがとうございます」

「なんか最近沢山依頼を受けてるって噂になってたけど、無理してない?」

「大丈夫よセンリ。なんか調子いいから。それにすっごくお腹もすくんだ」


 センリと仲が良いのだろう。二十代後半から三十代かと思われる容姿である。赤みがかった茶色の髪はショートカットであり、服装も軽装であった。おそらくは斥候であろうと思われる。その腰のポーチに薬品やら道具やらを詰め替えだして取り付けていた。


「うん、ばっちり」

「耐久性は少し落ちるけど……」

「仕方ないよ、汗ですぐに臭くなっちゃうんだから! 意外と臭いにも気を付けなきゃなんないのよね!」


 そういうエリエルは今もかなりの汗をかいているがその表情はむしろ元気があまっているようだった。バンドの部分も汗で濡れており、かなりの量をかいてしまったのだろう。あれを洗濯するというのは大変であろうし、そのためにバンド部分が着脱式になっているのか。

 これからまらすぐに依頼を受けに行きたいと言っているエリエルに対してセンリは休むように勧めているが、エリエルは大丈夫と言って聞いてなかった。


「あ……」


「それじゃまたね!」

「うん、ありがと」


 僕はちょっと声をかけようかと思っていたけどエリエルは用事を済ませるとさっさと工房を出て行ってしまった。行く先はもちろん冒険者ギルドの方向でありすでに走って行ってしまっている。


「先生、もしかしてああいうのがタイプなのか?」

「ちょっと、どういうこと?」

「いや、違うんだけど……」


 僕がエリエルの事を気にしていたのをローガンに茶化されてしまった。何故かレナが睨んでくる。


「さっきのはエリエルっていう冒険者で私の幼馴染なんですよ」


 センリの幼馴染ということは二十代後半といったところか。僕は頭の後ろをボリボリとかきながら何と説明すればいいのか迷っていた。そもそも確信はない。


「ねえ彼女、最近なんかドキドキするとか言ってなかった?」

「えっ? どういう意味ですか?」

「いや、なんと言えばいいのか……できればもう一度会いたいのだけども」


 何故かレナに背中を蹴られてしまっているんだけど、僕は自分の表現力の少なさをどうにかしたくてそれどころじゃなかった。でも、間違っていたら面倒なことになるし、モヤモヤする。違うと言ったはずなのに、なぜローガンがまだニヤニヤしているのだろうか。センリの顔が赤いのもよく分からないし、心眼でもセンリに悪いところはなさそうだった。レナが怒るタイミングというのはいまだによく分からない。



 僕は一通り考えた後に諦めることにした。


「まあ、そのうち冒険者ギルドとかで出会うことがあるだろうし、その時に診察すればいいか」

「「「え? 診察!?」」」

「いや、他になにがあるのさ?」


 いや、他になにがあるのさ!?

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