第22話 バセドウ病2
「エリエルは数か月まではDランクだったんですけど、最近はすごく頑張っているみたいでもうちょっとでBランクに昇格できそうなんです。元いたパーティーからは独立したって言ってました」
センリはエリエルの事をそう言った。ユグドラシルの町の冒険者ギルドには固定のパーティーを組まずに常にフリーの冒険者たちと依頼の度にパーティーを組むという冒険者が結構いる。それは一人でやっていたり、二人組であったりするのであるが大人数であると方向性の違いや実力の差が出てしまったりなどの問題もあるという考えが多いらしい。ロンさんとアマンダさんもそのような感じでずっと二人組の魔法使いをやっていたと聞いたことがある。
エリエルもまた単独で斥候業をしながら依頼の度にパーティーを組みなおしていた。そのような冒険者たちが数十人もいればまるで大きなクランとよばれる冒険者たちの集まりと同様であり、ギルドの職員が依頼に応じて冒険者たちの組み合わせを考えて話を持っていくという事も珍しくない。
事実、ギルドの掲示板には依頼内容に加えて加わってほしい冒険者の職業なんて欄があったりする。エリエルはその斥候業を必要としている依頼をこなしながら、ここ最近は急成長しているのだとか。
「たしかにずっと固定のパーティーだと偏りが出ることも多いもんね」
「今のノイマンとミリヤもそんな感じだなぁ、ほとんどアマンダさんに連れまわされてるけど」
「最近は頑張り過ぎてるんじゃないかって、少し心配だったんですけど……ただ、この前一緒に食事に行ったときもよく食べてましたし、少し疲れてるくらいかなって。それでも依頼は順調にこなしてますし」
「むしろ、元気すぎたんじゃない? それにたくさん食べてたでしょう。それもセンリが食べられないほどに。でも最近は痩せてきてるんじゃないかな」
「え? なんで分かるんですか?」
やけに活動的で代謝がよく大量の汗をかく。大量の食事をとるが、それでいてむしろ痩せる。まさに典型的である。ただ、これを放っておくと不整脈などが出たりする。さらには
「エリエル、どこか悪いんですか?」
「うん、ちょっとホルモンがね」
「ホルモン?」
「うーん、なんていえばいいのか。身体の中で作られている成分の量が増えているんだけど、ちょっと説明が難しい」
内分泌ホルモンの中で、甲状腺ホルモンというものがある。代謝などに関わってくるホルモンであるが、甲状腺が腫れてしまってこのホルモンが大量に分泌される病気がある。
診断名はバセドウ病、または
もともとはアイルランドの医師グレーブスと(1835年)ドイツのバセドウ(1840年)によって報告された病気である。日本の医学はドイツの名残が残っているためにバセドウ病と呼ばれることが多いが英語圏ではグレーブス病と呼ばれる。病態としては甲状腺ホルモンの過剰分泌である。
このホルモンが過剰に摂取されるとまるで常に走り続けているかのような感覚となる。活動量の増加に加えて性格の変化なんかもあって人間関係が崩れることも多い。些細なことで口喧嘩をしたりする人も多いし、自信過剰な発言が飛び出したりする。
その反面、本人は不眠や不安があったりする。しかし、なにかしら行動していないと落ち着かない。そのために仕事量はかなり増える。
ビッグマウスと呼ばれるほどの日本代表のスポーツ選手がこの病気だったと聞いたときには、驚きもしなかった。眼球飛び出てたし、おそらくはそうなんだろうと思っていたからだ。成功する人もたまにいるのがこの病気である。
「まあ、まだ確定ではないし緊急性があるわけではないから後日でいいよ」
「今度出会ったら相談するように言っておきます」
繰り返すけど、緊急性はない。そして治療法に関しても少し問題があったりする。そのために僕は積極的にエリエルの診察を行うという気が起きなかった。本人が困っているのであればもちろん治療を行うけど、どれだけの症状が出ているのかにもよる……と、自分に言い訳をしながら買い物の続きをしたのである。センリが話をするって言っているし、見捨てたという事にはならないだろう。いや、しかしバセドウ病は命に関わる合併症に発展することもあるし、近いうちにエリエルの診察は行わなければならない。来週までにエリエルがうちの診療所を訪ねてこなかったとしたら、こちらから診察に出向くとしよう。
***
「それじゃ、よろしくお願いします」
たまに首の部分に触れて
ラウルが規則正しく息をしていることを確認し、曲がったままになっている左上腕の部分を消毒してそれ以外のところに清潔な布をかける。メスで皮膚を切ってもラウルは微動だにしなかった。
「血管と神経を傷つけないように、骨までいくからね」
「はい」
助手をしてくれているミリヤももう慣れたものである。筋肉を割いてかき分ける動作にも十分ついてきてくれていて、僕の補助を十分にこなしていた。
「骨の周りを一度削ろう」
「ミリヤ、この状態で
「はい、わかりました。
みるみるうちに骨が合わさっていくのが分かる。今までは曲がってくっついてすらいなかった骨がまっすぐになった。強度も十分になったところで僕は手を離した。
「よし、後は傷を塞ぐだけだね。
「はい、
二人がかりで
「終了、ありがとうございました」
「はい、ありがとうございました」
何事もなく、短時間で手術が終わったのは魔法のおかげである。これが地球ならば骨に穴をあけてボルトを通して、さらに術後は数か月間固定して、と大変な作業になるはずだった。しかし、回復魔法のおかげで目が覚めたら退院である。
「なあ、先生。先生たちを見ていたら俺も回復魔法が使ってみたくなったよ」
「ローガン。まずは製薬魔法ができるようになってからだ」
「ちぇ、なんだよ」
手術にも慣れてきたのかローガンは治癒師にも興味を抱き始めている。僕はローガンを薬師として育てるつもりだったけど、簡単な回復魔法を習得したローガンは薬師の領域を越えて日本でいう内科医になれるかもしれない。ローガンがさらに手術に興味をもてば外科医として育つことも可能なのである。
「先生、お客様ですよ」
「え? 患者さんじゃなくてお客様?」
術後の片づけが終わった頃にサーシャさんがそう伝えてきた。僕にお客様って、誰だろうと思っているとそこにはセンリの姿があった。
「どうしたんだい、診療所まで来るなんて」
「せんせい、エリエルの呪いって治るんですか?」
「いやまだ診察できたわけじゃないから、なんとも言えないんだけど」
「エリエル、呪いかもしれないって言ったら怒りだしちゃって……」
あー、と僕は失敗したことを悟った。バセドウ病の患者は活動性の向上とともに不安も強くなっているのである。性格がかわるほどに攻撃的になる人もいる。そんな人にいきなりこの世界で呪いだなどと言えば逆上されてしまうのも当たり前だった。
「ごめんよ、僕がきちんとしなかったのが悪かったね」
「それより、エリエルの呪いは……」
「ああ、いちど遠くからでもいいからエリエルを診察させてもらわないとね」
心眼があれば、ある程度遠くから見ても甲状腺の異常が分かるかもしれない。というよりも首の前面が膨らんでいる人が多いのだ。本当は触って確かめたいところではある。しかし、一つ問題があった。
「薬がなぁ……」
センリを一旦帰して、僕は悩むしかなかった。抗甲状腺ホルモン薬は現状では製薬できていない。そうなってくると治療には問題が大きく二つある。
「先生、どうしたんだ? 何か足りない薬があるのか?」
「ああ、そうなんだけどさ」
日本でもそうであるが、例えば人の血液を材料にしている薬があるとする。それはまだ人体の中に入れても影響が少なく、薬としては優秀だろうというイメージがあるかもしれない。宗教上の理由をもとにヒトの血が材料の薬を拒む人以外にとってはまだ受け入れやすいものだろう。
では、これがヒトではなくて豚とか牛だったとしたらどうだろうか。少しずつ、聞かなければ良かったと思う人が出てくるかもしれない。しかし、現実的にそれは薬として使われている。まだ、マシだろう。
次にネズミだったり、爬虫類の蛇とかトカゲだったとしたらどうだろうか。とりあえず他に良い薬があればそっちを使ってほしいと思うヒトが増えていくのではないだろうか。
冒険者時代にこっそりと試した製薬魔法がある。特に内分泌系の異常となれば、ホルモンの補充療法というのは欠かせない。そこで地球でも行われていたように家畜に使われている動物のホルモン産生臓器からホルモンを抽出してくるのであるが、なぜか異世界の家畜からはこのホルモンが抽出できなかった。それはおそらく家畜として使われている動物には魔力が少ないからである。理由は分からないけど。
じゃあ、どうすれば良いのかというと選択肢は二つ。一つはヒトであって、これは却下だ。もう一つは人型の魔物からは抽出できるかもしれない。魔物から作った薬とか言われて、こっちの世界の人間が飲むだろうか。これが大きな問題の一つである。
「なあ、ローガン。オーガとかオークみたいな魔物の臓器から薬を取ってくる必要があるんだけど」
「ん? この前のブラックグリズリーの胆のうみたいなものか?」
「ああ、まあそうだね。それを知ったら嫌なんじゃないかと思って」
「うーん、でも薬なんだろ?」
そうか。ローガンは薬師の息子として生まれているからそこまで抵抗はなさそうである。冒険者ならば大丈夫かもしれない。大きな問題の一つは説得でなんとかなると考えよう。もう一つが大事かもしれない。
「あと、エリエルって冒険者が毎日薬飲むと思う? それも一生」
「一生? 無理じゃないかな……」
だよなぁ。こっちの、特に冒険者は薬を飲みたがらない人が多すぎる。僕の脳裏にアマンダ婆さんとかヴァンが浮かんでは消えていった。エリエルがそうとは限らない。
そして魔物から薬を作ったことはない。できるかどうかもまだ分からないのだ。
僕はまだ診察すらさせてもらっていない患者の手術の方法について、どうすればいいのかを考え続けた。
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