第14話 慢性硬膜下血腫2

 完全に怯えて言葉がでなくなったローガン少年を、とりあえずは診療所の中に入れて飲み物でも飲ませることにした。レナにはあとでお説教である。


「サーシャさん、何か飲み物をおねがいできますか?」

「はい、ただいま」


 さっきまで僕をインチキ呼ばわりしていたくせに、僕のズボンをつかんで放さなくなったローガンはずっとレナの方を見ながら僕の後ろを移動した。怯えすぎであるけど、いきなり雷撃サンダーボルトで威嚇されたらこうなってしまうのも仕方ない。なにせまだ子供である。いや、こちらの世界での成人はいくつだっただろうか。それでも体がまだ出来上がっていないから子供の認識でいいだろう。

 サーシャさんがお茶を持って来て、診療室の椅子に座ったローガンはそれを飲んで一息つく。僕はレナを軽く睨んだ。


「ちょっと、レナ!」

「シュージをインチキだって言うからよ」

「子供相手になにやってるんだよ」


 雷撃サンダーボルトを引っ込めたレナはふてくされてしまった。こうなると彼女は言う事を聞いてくれなくなる。普段は意外と素直なのに。

 ようやく話しを進めることができそうになった。ローガン少年は飲み干したコップを覗きながらモジモジしている。


「はぁ、とりあえずローガンの話を聞こうか。君のお父さんは薬師なんだね」

「う、うん。世界樹の雫を製薬できるくらいすごい薬師なんだ」


 ローガンの父親はこのユグドラシルの町で薬屋をやっているという事だった。ここから通りを二つ挟んだ先に店舗があるらしい。

 たまに冒険者から依頼されて世界樹まで行き、そこで世界樹の雫を製薬するほどの腕前とのことだった。しかし、ここ最近にできた診療所で世界樹の雫を格安で分けてもらえるという噂を聞きつけた客がローガンの薬屋に行かずにここに来ていると思っていた。


 僕の診療所では世界樹の雫だけが欲しいという患者はお断りしている。さすがにそんなに簡単に渡せるものではないし、本当に必要な人にしか処方したくはない。できるだけ安く処方しているのも、必要だけど手が出ないという患者をなくしたいからであり、世界樹の雫で儲けようと思っている商人や冒険者の手にはわたって欲しくなかった。


 それに、もう一つ理由がある。


「ローガン、おそらくだけど君のお父さんが作った世界樹の雫と、僕が作った世界樹の雫は別の物の可能性が高いよ」

「どういうこと?」

「君のお父さんは冒険者向けの保存の長い世界樹の雫を作っているはずだ。それは魔力の塊とも言える、魔力を完全回復するポーションと言っていい。僕もそれを作ることは可能ではあるけど、僕がつくっているのは呪いを治すことができるかもしれない薬だからね」

「呪いを? そんなことができるもんか」

「ああ、本当に呪いだったら治すことはできないと思うけど、僕はその中で呪いじゃなくて病気というものを診断して治療する、医者というのをやっている。本当の意味では治癒師じゃないよ」


 ちょっと子供に説明するのには難しかったかもしれない。最後の方なんかはよく理解できてなさそうな顔をしていたけど、つまりはローガンの父親とは別の仕事をしていると信じてもらいたいだけなのだ。薬屋で調合された世界樹の雫は魔力完全回復のポーションであり、それはかなり高価であって貴族や高ランクの冒険者でなければ手が出ない代物である。僕はそんな値段で抗生物質を処方したいとは思わない。


「とにかく、僕は自分の患者の中でも必要と思う人以外に世界樹の雫から抽出した薬はあげていないから安心してくれよ」

「でも、うちのお客さんが少なくなったって、お父さんが……」


 これは確かに考えておかねばならなかった問題である。治癒師の診療所の患者が少なくなったとなればほぼ同業者であるし同情の余地は皆無だと思っていたけど、薬屋の客が減るというのは別だろう。

 しかし、僕が処方したい薬を精製できる薬師がいるとは思えない。彼らは知識がないから、製薬魔法を使っても魔力の抽出しかできないのだ。特に一人前になってしまった薬師は魔力の抽出以外はほとんどできない。それに特化した製薬魔法を訓練してきてしまっているからである。彼らは僕が行う魔力を抽出した製薬魔法で作ったものよりも高品質なポーションを作る。


「ローガン、申し訳なかったけど誤解があるんだ。すぐにお客さんも戻ってくるよ」

「本当か?」

「ああ、なにせここにはローガンのお父さんの薬屋で買いたいような商品は置いてないからね」


 魔力回復のポーションは自作のものが少しあるだけである。それも緊急用として製薬しただけで、患者に使えるほどの量はない。だいたい魔力欠乏症でもなければこのポーションは使わない。

 

「ねえ、薬屋に薬の製薬を頼むことはできないの?」


 話を聞いていたレナが僕と同じ事を考えたようだ。雷撃サンダーボルトで子どもを威嚇するような事をしていても、なんだかんだ言って心根は優しいのがレナである。僕らの負担の事も考えてくれているのだろう。


「一人前になった薬師は魔力以外の抽出が苦手でね。先入観とかがあるんだろうと思うけど」

「じゃあ、むしろ新人の方が製薬には向いているのね」

「ああ、魔力や自己治癒力の抽出に関しては彼らの右に出るものはいないんだけどさ」


 しかし僕がずっと世界樹の雫から抗生物質を精製し続けるというのも大変である。他の診療もある中、ほぼ隔日で世界樹まで行かなければならないのだ。今の患者の数であれば特に問題なさそうであるけど、手術などが立て込んだら行けなくなる日もありそうである。


 薬に関して専門で手助けしてくれる人が欲しい。でも一般的な薬師にはそれは不可能で、むしろ新人を教育した方が早いのかもしれない。それでも世界樹の雫から抗生物質を抽出するほどの腕前というと、どのくらい育成にかかってしまうのだろうか。僕はイメージができていたから意外とすぐにできたけれども、他人のことを言われると分からない。




 ***




「うちの息子が申し訳ない」

「いえいえ、家族思いのいいお子さんです。話をきちんと聞くことができる頭の良さもある」


 その後すぐにローガンの父親がやってきて謝罪した。ローガンの父親は僕の精製した世界樹の雫が自分の精製したものとは別物だとすぐに分かったらしい。顧客に僕の診療を受けて抗生物質を処方された人がいたために、興味本位で鑑定したのだという。その客もまだ僕を信用しきれてなかったようで、薬を鑑定してほしかったみたいだ。

 魔力がほとんどなくなったそれは、魔力回復ではなく呪いの治療に使うものだと聞かされて本当に驚いたと彼は言った。そしてその噂を聞きつけて、世界樹の雫の精製を依頼しようとしていた冒険者が依頼をキャンセルしたらしく、そこから少し揉め事が起こったらしい。それはすでに解決しているのであるが、その様子を見ていたローガンがいてもたってもいられなくなり、僕の所にきてしまったということだった。


「ごめんなさい」


 ローガンも僕たちが父親の邪魔をしていたわけではないと教えられて、すこし早とちりをしてしまったというのを反省しているのだろう。そう思うと、少しは可愛げが出てくる。


「それでですね」


 せっかくローガンが僕らの診療所に興味を持ったという事だし、少しは医者という職業を広く知ってもらってもいいのではないかと思ったのだ。特に多職種である薬師の人に医者というのが何をしている職業なのかを知ってもらえれば、仕事もやりやすくなる。


「ローガンたちがよければ、明日ここの見学に来ませんか?」


 ローガンの父親は僕の診療所には興味をもっていたらしく、明日は薬屋を休んででも見学に来たいと言ってくれた。もちろんローガンも連れてくるのだという。ローガンの父親から、他の薬師に噂が伝われば僕の診療所を警戒されることもなくなる。

 もし治癒師の診療所からの文句があっても、所属ということになっているユグドラシル冒険者ギルドがなんとか防いでくれるだろう。それにウージュが言っていたけど、治癒師の診療所は足りていないらしく、新規参入は歓迎されているのだとか。

 そもそも冒険者たちを格安で診るというのは補助があるからできることであって、他の診療所の治癒師にはできないことだ。彼らが僕に何かしら協力を請いたいというのであれば、もちろん手助けはしようと思うけど、基本的に回復魔法をかけるだけの診療所に手助けはいないだろう。仲が良くなれば「呪い」の患者はこちらに回してくれるかもしれないけど。



 翌日、朝からの診療の様子を見ていたローガン親子は様々な薬があるという事に驚いたようだった。それでも数種類であって僕が欲しいものからすると少なすぎる。薬も器具ももっと充実させないと十分な医療はできない。


「熱を、抑えることができる薬なんてあるのですか?」


 ローガンの父親はそう言った。それも原材料は特に珍しい薬草ではない。だけど、この世界の歴史として薬を作る時には製薬魔法を使ってしまっているし、それによって魔力以外のものは抽出されなくなってしまっている。なんとなく、民間療法の中に製薬魔法を使わずに食事に混ぜれば治りやすいと言われてきた療法があるだけで、それも信じられていない状況だった。

 だから、僕が薬を処方しても信じずに飲んでくれない人も多い。おそらく、一生飲み続ける薬なんて処方できないだろうと思う。だけど高血圧や糖尿病などにかかっている人に薬を出し続けるというのは、僕の中では当たり前のことであってこっちでは大きな問題となる事だろう。アマンダ婆さんもろくに薬を飲んでくれないし。



 午前中の診察は三人だけだった。それも二人は単純に回復魔法をかけるだけの作業であり、もう一人は風邪にかかっていたために弱めの薬を処方した。その分、薬の説明をローガン親子にすることができた。ローガンの父親は様々な種類の薬があるという事が面白かったらしく、瓶を取ってはこれは何に使うのかという事を聞きたがった。しかしこっちの世界では「呪い」の一括りで終わらせられている病気の基礎知識が全くなく、それでもなんとなく体調不良の時を思い出してその理由があるという事と、それを薬である程度治すことができるというのに感激してくれた。


「なんてすごい知識なんだ」

「確かに呪いの中には本当の呪いもあって、治すこともできませんしね。それでも治すことのできる病気を見極めて治すのが僕の仕事なんです」

「す、素晴らしい」


 今まで呪いを治すことなんて考えたことがなかったらしい。ローガンの父親の中では薬師というのは魔力や自己治癒力を回復させるポーションを作る職人であったのだ。だからこそ、そちらの技術の発展はめざましく治癒師なしでも依頼に出る事のできる冒険者も多い。そのためのポーションを日夜作っている。


「私が本当にしたかったのは、こういう事なのかもしれない。だが……」


 ローガンの父親は急に悲しそうに言った。先ほど、原材料から薬を製薬してみようとしたのだ。だけど、出来上がったのは魔力回復のポーションだった。他の成分の抽出する技術はなく、全て魔力か自己治癒力の成分に変換されてしまう。製薬魔法に重要なのはイメージなのである。


「私はこの道に進むわけにはいかないようです」


 すでに年齢は五十を越しているのだろう。今から病気の薬を作る薬師にはなれないと、彼は悟ったようだった。




 ***




 午後からローガンの父親はお礼を言ってから薬屋へと戻り、ローガンは面白いからとサーシャさんとともに診療所に残ると言ったのである。学校はどうしたと言うと、もう読み書きはできるようになったから就職先を探す時期で、ローガンの場合は薬屋の手伝いと製薬魔法の修行がほとんどなのだと言った。父親の許可を取り付けたローガン少年は年齢相応の好奇心を全開にしてサーシャさんを質問攻めにしている。


「なあシュージ」

「なんだい?」


 薬の材料を片付けていた僕にローガンが言った。早く片付けて御飯に行かないとお腹を空かせたレナの機嫌が悪くなってしまうと急いでいたのに。



「俺をここで雇ってくれよ。父さんができなかった方の薬師の道、俺がなってやりたいんだ」



 そうきたか。僕は意外と悪くない、そう思った。

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