第9話 破傷風1

「ほら! これがブラックグリズリーの胆嚢さね!」


 心臓を手術したアマンダ婆さんはものすごい勢いで回復した。

 胸を開けて直接回復ヒールをかけまくったわけで、心不全に陥ってた心臓が完全に回復している。あと三十年くらいは余裕で持つんじゃないのか?

 元気になったアマンダ婆さんはユグドラシルの町の冒険者ギルドに復帰し、依頼を片っ端から受けているのだとか。依頼に付き合わされているノイマンとミリヤも大変である。


 定期受診を兼ねて、開業準備に忙しい僕の所へやってきてはお土産を持って来てくれる。


「と言っても、アマンダさんがいるとものすごい楽だからな」

「え? どういう事なの?」

「あの心眼で魔物の弱点を見抜いて、それに合わせた補助魔法をかけてくれるんだよ」


 このブラックグリズリーもアマンダの補助魔法をかけられたノイマンがとどめを刺したらしい。ブラックグリズリーは三メートル以上にもなる熊型の魔物であり、Aランク相当である。ノイマンとミリヤだけでは討伐は難しいだろう。


「しかし、謎なのはあんたね」


 アマンダがいきなりそう言った。術前との変わりようにお前に言われたくないという気持ちをぐっとこらえる。


「心眼にかけては私の方の精度が高いはずなのに、私にゃそんな呪いの詳しいところまで見えたことはないのよ」


 それはおそらくではあるが、人体の構造を俺がよく理解しているというのが原因だろう。アマンダ婆さんは解剖学なんて習ったこともなければ病気の事も知らない。知らないものっていうのは視界にいれてても気づかないことも多いものである。そういうつもりで診る、のが大事なんだろうと僕は思っている。


「さて、じゃあ診察も終わったことだし、訓練に入りますか」

「訓練だなんて言っても、ちょっと注意して見る時に魔力を集中させるだけさね」


 それを訓練するんだよ、と思うけど口には出さない。僕はあれからアマンダ婆さんに「心眼」の修行をつけてもらっている。この「心眼」は精度が上がればあがるほどに診察技術が高まるのだ。修行しないなんて選択肢はなく、その達人であるアマンダ婆さんは僕の患者であって、うまく利用させてもらうのだ。


「もう教えることなんてないよ! あとは自分で磨いていくだけさ!」


 ついにアマンダ婆さんが逃げ出した。次の依頼をとりに冒険者ギルドの方角へと走っていく。それについていくようにノイマンとミリヤも出て行った。

 本当は冠動脈バイパス術後には抗血小板剤という血液をサラサラにする薬を飲ませるのが良いとされている。でも、この婆さんは薬を飲んでくれない。異世界の連中はこんな奴らがほんとに多い。

 しかし、リハビリのための運動を進めるどころか、止めなきゃならんくらい元気な患者は治りが早い。だが、婆さんと言っても五十代、日本だったらまだ婆さんとは呼ばれない年頃だ。



「はあ、うるさいのがようやくいなくなったわね」


 二階からレナが降りてきた。

 僕らはあれからギルドの横の建物を臨時の診療所として使っていいという許可をもらった。もともとは冒険者ギルドの所有の建物だったらしく、しかし使い道がなかったのだとか。

 なんて都合のいいこともあったんだろうと思ったけど、もしかしたらロンさんあたりが権力を振るったのかもしれない。



「まあ、仕方ないよ。それに良いものも手に入ったしね」

「準備が忙しいのに」

「はは、これも薬の材料さ」


 僕が指差したのはアマンダ婆さんが持ってきたブラックグリズリーの胆嚢である。結構いい胃薬になる。


「アマンダ婆さんは治ったけど、そのぶんロンさんの胃に穴が開きそうなくらいにストレスが溜まってそうでさ」


 実際、アマンダ婆さんを治すためにロンさんはギルドマスターの仕事を放棄して色々な事を行っていた。下に優秀な職員が何人もいたからギルドは問題なくまわっていたけれど、ギルドマスターではないとできない事も多い。

 そのツケがまわってきたロンさんは最近ろくに眠れてないのではないだろうかというほどに疲れた顔をしている。たまに胃の辺りを抑えながら腹痛を我慢しているのを見たこともある。


「あれは神経性胃炎だろうからね」


 ストレスを感じると胃酸が多く分泌される。そのために胃が荒れるのだ。できればそのストレスから離した生活を送って欲しいものではあるのだけれども、ロンさんはギルドマスターなのでそういうわけにはいかない。後進が育つのを待つしかないのであり、ロンさんの代わりはいない。


「それにロンさんはこの建物のオーナーとでも言うべき人だから、ちょっとは良くしとかなきゃ」


 冒険者ギルドの所有ではあるものの、ギルドマスターの裁量で僕はこの建物に病院を作ることができるのである。二階建ての、診療所とでもいうべき規模であるけど、立派に病室も手術室もつくることができた。



 一階には診療室、病室、手術室、トイレとか風呂などを付けた洗浄室が並び、二階には器材庫、薬品庫、もともとはキッチンだった消毒室、製薬室、それにスタッフの休憩室などができている。

 十分すぎる設備に僕は感動していた。


「ねえ、シュージ。ところで、この病気はどういうことなの?」

「ああ、これね。肺に血が溜まりすぎて細胞の周りに水が漏れるんだ。それをうっ血と言うんだよ」

「え? どういうこと?」

「ちょっと難しかったかな。もうちょっと簡単なものから読んだ方がいいかもよ。これは誰かに読んでもらうために書いた本じゃないし……」


 レナは本を持ってきていた。その本は僕が暇だった時に書いていた病気と治療について書いたものである。ほとんどがメモ書きに近いものがあったけど、いつか病院を開くときに忘れてはならないものとこっちの世界に特有の治療薬などをまとめておいたものだった。レナはそれを読んで勉強しようとしてくれていた。


「だ、だって、私はシュージのパートナーだし」

「たしかにレナがいないと手術はできないからね」


 昏睡コーマを麻酔のかわりに使って、さらには黒魔法でも治療に使えるものはレナに頼むことが多い。空気を冷やしたりするのは得意だろうし。


「そう言えば、この前の手術では気管挿管はしなかったから……」

「ね、パートナーよね」

「いや、でも昏睡コーマがあれば呼吸は自発で出てくるだろうし。しかし、もっと麻酔深度を深めたい時や頭がやられた時にはどうすれば……」

「ちょっと……聞いてるの?」

「本格的に麻酔科をやってもらえると非常に助かるな、うん。そうと決まれば…………痛いっ」


 背中を蹴られた。なんでだ?


「ふん、ギルドに行く時間になったわよ。ロンさんに会うんでしょ」

「あ、ああ。そうだね」


 この建物の事で話があるという事だった。せっかく手に入れた胃薬なので、僕はさっそく製薬魔法を使って胃薬の成分を抽出すると、粉になったそれを紙に包んで何個か分けた。ロンさんに飲んでもらわないといけない。




 ***




「つまり?」

「つまりはあの建物を貸すかわりにギルド直営という形で診療所を開いてくれたまえ、という事だよ。もちろん冒険者たちの治療代が家賃だ」

「はあ、まあいいでしょう」


 採算がとれるかどうか分からないけど、冒険者たちの治療を格安で行うかわりにあの建物を提供しようじゃないかというのがロンさん、いや、ユグドラシル冒険者ギルドからの提案だった。


「いや、良かった。私もこれで安心できる」

「そうそう、ロンさんにこれを渡しておきますよ。胃薬です」

「……なぜ、私の胃が痛いというのが分かるのだ? アマンダですら気づかないのだぞ?」


 ロンさんは僕の作った胃薬を受け取りながらそう言った。そりゃ、そんな疲れた顔してたまに胃の周りを抑えてたら分かるよ。



 ロンさんとの話を終えて冒険者ギルドの一階に降りると、ノイマンとミリヤがぐったりとしていた。


「ねえ、アマンダ婆さんは? 一緒に出て行ったじゃないか」

「ああ、なんか新人のゴブリン退治に付き添っていったよ」


 たまにアマンダ婆さんは新人の教育係を進んで行っているらしい。そのためにノイマンとミリヤは解放されたということだった。


「俺たちも昔、あんな感じで付いて来てもらったことあったしな」


 昔を懐かしむ感じでノイマンが言う。Cランクの時にちょっと難易度が高そうな魔物の討伐に、無償でついてきてくれたのだとか。そういう所があるから、ロンさんも含めて皆に慕われているんだろう。


「シュージの診療所はいつになったら開店するんだ?」

「開店って、なんだよ。もう数日はかかるかな。欲しいものもあるし」

「欲しいものって何ですか?」


 手術の時に助手をしてくれたミリヤがそう言った。もしかしたら、今後も頼む事になるかもしれない。専属で診療所に努めて欲しいくらいの治癒師である。


「気管挿管用のチューブと、そこに空気を送り込むものだよ」

「キカンソウカン?」

昏睡コーマした時に自分で呼吸をしてくれない人もいるかもしれないからね。 前回アマンダさんの手術の時にも使ったんだけど、改良してもらわないと、さすがに使いづらい」


 機械式の人工呼吸器を作り上げるには僕の知識は全く足りない。工学部とかで開発に携わっている人とかがいれば違うんだろうけども、そっちは全くのお手上げだ。手押しポンプ一つ、設計図を書き上げることなんてできやしない。

 今回作ってもらったのは手動で空気を送り込む風船にしたわけだけど、その風船を揉むためには風船が勝手に膨らむようにバネを入れてもらっていた。日本では酸素ボンベにつなげるから空気が送り込まれるのだけど、ここには酸素ボンベがない。その辺りの強度の調節も必要だった。


「また、センリが悲鳴をあげそうですね」

「センリなら大丈夫だろ。サントネ親方の直弟子だしな」


 道具屋のセンリを、この二人もよく知っているらしい。ロンさんからの依頼の時に随分と無理をしてもらったけど、職人魂というのを見たのは確かだ。


「まあ、今度のは構造さえ分かればなんとかなると思うよ」


 空気を送り込む弁の構造が難しいと思っていたが、前回使用したのは問題なく空気を送り込むことができた。大きさとか重さを調整するのと、チューブの方は挿管がしやすい形状へと変えてもらいたいと思う。材料として必要なマグマスライムのスライムゼリーはまだ随分と余っていた。


「シュージ、時間が惜しいから行くわよ。診療所の整理も終わってないんだから」

「あ、レナ。待ってよ」


 しびれを切らしてレナが行ってしまった。僕はその後を追う。それを二人に見送られる形となった。




 ***




「わ、分かりました」


 道具屋ではまたしてもセンリが対応してくれた。でも、そのサントネ親方っていう人にはまだ会ったことがない。簡単に書いた設計図を見て、あれこれ考えてくれているようだ。


「こ、これはどういった場合に使う道具何でしょうか?」

「これはね、自分で呼吸ができない状態に陥ったときに、空気を送り込む道具なんだよ」

「こ、呼吸が?」


 呪いに対して耐性がないこの世界の人の反応はだいたいこうである。回復魔法が効かない時点で助かるはずがないというのが一般的な考え方であるし、あれだけ回復魔法が凄ければそれも当然だ。

 前回依頼した時には、道具の量が多くてそこまで気にしていなかったようであるけど、一つ一つどのような用途に使われるのかを知っておかなければ道具も作りにくいだろう。

 その内、僕らの診療所の様子を見に来てもらうのもいいかもしれない。


「この弁が空気を一方向に流す役割をしてて、吐いた空気は横から出て行くと……だから、送り込んだあとに空気をこちら側から吸い込む必要があって……」

「じゃあ、数日後にとりに来ますんで」


 僕らは料金を置いて帰ることにしたけど、もしかしたらセンリは僕らが帰ったことに気づいていないのかもしれなかった。


「あの集中力は凄いわね」

「うん、誰もがあの工房が一番だって言うのがなんとなく分かる気がするよ」


 それだけにそのうち親方であるサントネって人にはぜひとも会ってみたかった。だけど、いつ行ってもセンリにしか会えない。


「ねえ、家に帰る前に市場に寄って行こうよ」

「ああ、いいよ。僕も薬草で欲しいものがあるし」


 レナと二人で市場を回っていると、何種類や薬として使える薬草を見かけた。下剤としてかなりの効果を発揮するソベン草というものがあったので、つい購入してしまった。それは根っこがついている状態だったから、小屋の裏に植えなおそうと思う。他にも夜間に燃やして灯りとする動物性の獣脂などもあったので購入した。これは製薬魔法でグリセリンが抽出できたりする。


「他には何かあるかなぁ」

「もういいでしょ。今夜のご飯の材料を買うわよ」


 レナは最近料理を始めた。冒険者だったときはろくにやらずに、野営の時でも携帯食だけとかで過ごしてきたのである。どういった心境の変化なのかは分からないけど、すごいいい変化であるために応援している。腕のほうもぐんぐんと上達している、と思います。



 シチューの材料を買い込んで帰路についた。

 いつの間にか僕はレナに作ってもらえる夕食が楽しみになっていたようである。

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