第8話 狭心症6

 途中、ノイマンが根っこから落っこちるアクシデントはあったものの、僕らは予想よりかなり早く世界樹の幹にまでたどり着いた。ここからは一応第七階層という事になる。


「樹液が出ている穴を探そう」


 もっと上の階層であれば幹を傷つければ樹液を採取することができるのだが、ここは根元に近すぎる。かなり硬い外皮はちょっとやそっとの事では傷つかず、樹液が出てくるまでにはかなりの深さを掘らねばならないらしい。そのために樹液を採取したい場合には樹洞を探すのだ。


 世界樹はまっすぐに生えているわけではない。ところどころ曲がりながら天に向かっている。更にはその内部には空洞となっていて反対側まで通じている場所もあれば、外皮をらせん状に登っている必要のある場所まであった。

 空洞を抜けて反対側に出るまでが第九階層、一番近い枝が出る部分が第十四階層、らせん状に第十九階層まであがり、大量の枝が出だす第二十階層へと続く。

 第二十階層から先はルートが一つではなくなり、さらには世界樹の成長とともに道が変わることがあるとされていて、かなり高位のランクの冒険者のみしか立ち入ることはできなかった。その道中にはどこでも世界樹に生息する魔物が出現する。そのほとんど世界樹からの恩恵を受けて生きているとされる。


 やや斜めになった幹の部分を登る。この先には冒険者たちが設置した梯子があり、その先が第八階層と呼ばれているのだが、それまでに樹洞がいくつかあるらしい。僕らはその梯子を上ったことはない。


「こっちだ」


 ノイマンが言った。ノイマンの指差した先には拳一つ分くらいの小さな樹洞があった。中から樹液が垂れており、その樹液を虫の魔物がなめている。


「ユグドラシルジャイアントビートルか」


 人と同じくらいの大きさのカブトムシである。世界樹特有の魔物の一つで、その角は非常に鋭く突進力もかなりのものがあると言われていた。木の上で戦うのに適した足を持ち、例え木の上から落とそうとしても飛ぶことができる。甲殻は非常に硬い。


 このくらいのBランク相当の魔物が当たり前のように出てくるのが第七階層である。そのために第七階層の最後の梯子にまで到達することが一つの登竜門として扱われており、その梯子の形状や色だけではなく存在そのものを知らない者には教えないというのが冒険者たちの中の暗黙のルールとなっていた。


業火球エクスプロージョン!」


 ロンの杖から火の塊がユグドラシルジャイアントビートルへと向けられる。樹液をなめることに夢中になっていたユグドラシルジャイアントビートルはそれを避けることもできずに丸焦げとなって墜落していった。


「ああ、もったいねえ……」


 ユグドラシルジャイアントビートルは素材としても一流である。それなりの価値のある魔物の素材を焼き尽くしてしまうギルドマスターに少しの理不尽を感じながらも何も言えないノイマンを見て、ロンはどちらにせよ解体なんかしている時間はないと言い放った。


「よし、採取するよ」


 僕は専用の瓶を取り出して、世界樹の樹液である「世界樹の雫」を採取した。そしてその場で製薬魔法を発動させる。今回は世界樹の雫の中に入っている抗生剤を中心として薬を精製した。この瓶は光を通さないように加工してある。

 製薬がきちんとできた事を確認して僕はそれを密封した。


「よし、あと十個ほど作る」


 術前術中だけではなく術後にも必要である。どのくらいあればいいのかは帰ってから成分濃度を確認する必要があるけど、もう一度来ることはできない。だからと言って、これからの手術に支障が出るほどに採取と製薬魔法を施行し続けるわけにもいかなかった。多分、十個ほどあれば十分だろうという判断であるけど、不安がないわけではない。


「よし、できた」

「それじゃ戻るわよ。こっちに近づいて」


 レナが転移テレポートの用意に入る。ここからユグドラシルの町までの距離ならば、レナの魔力量にさほどの影響はない。僕らは終わったというよりこれから始まるのだという表情をして、ユグドラシルの町へと戻った。




「早かったですね!?」


 地面に突っ伏しているノイマンの介抱と回復魔法をしながらミリヤは僕らがこんな短時間で帰ってきたことに驚いていた。僕らも驚いている。


「ロンさんが本気を出していたからな」

「あぁ……」


 若干ミリヤが遠い目をしている。それでもノイマンの背中をさするのをやめないところはさすがだと思う。


「まだ、アマンダさんを呼びに行ってないです」

「いいよ、僕にも準備がある」


 持ち帰った世界樹の雫をまずは冷気のこもった箱に保存する。これはどうしても必要でぼくが冷蔵庫と呼んでいたら皆も冷蔵庫と呼ぶようになった代物だ。実際は氷の魔道具が使われている高級品である。

 そこから一つだけ取り出して、製薬がきちんとされているかを再確認した。


「よし、濃度もいい」


 製薬魔法の一つにこういった薬の鑑定の能力もある。それによると、十分に抗生剤としての機能を果たしてくれそうだった。丁度、一回に一瓶程度の投与である。


「さあ、アマンダさんを呼んできてください」


 僕は最終確認を終えて、ロンにそう言った。




 ***




「じゃあ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 僕が手を伸ばすと、ミリヤはナイフを渡してくれた。それの形状はほとんど医療用メスである。この日のために特注で注文したものだった。

 完全に昏睡コーマで意識を失っているアマンダはゆっくりと自分で息をしているがこれから胸を開くために自分で呼吸ができなくなる。気管の中にマグマスライムのスライムゼリーで作った管を入れるのに苦労した。喉頭鏡という気管の入り口を見る器械が思ったより出来がよくなかったのと、アマンダの気管の構造が少し見づらかったのが原因である。


 本当は人工呼吸器につなぐほうが良かった。しかしそんな機械なんて全くないから手動である。送気した空気が逆流しない弁が取り付けられた大きな風船のようなバッグを揉むことで、肺に空気を送り込むのだ。中にバネが取り付けられていて、自発的に膨らもうとする性質を利用して空気をバッグの中に吸い込ませる。ゆっくりとバッグを揉んで、アマンダに呼吸をさせている。手術中はずっとレナにこれを頼むしかなかったが、問題なさそうだ。


 メスで胸を切ってもアマンダがまったく反応しないことを確認して、僕はレナの方を見て頷いた。レナも頷き返してくれる。この場にいる人間で全員手術着を着てマスクと帽子をしている。本当は目に血が入るのを防止するゴーグルとかも欲しかったけど、あまり贅沢は言えなかった。


「さあ、ミリヤ。血がでるからそこを焼きごてで焼いて止血してくれ」

「はいっ!」


 初めての手術でミリヤの手はガチガチに震えていた。それでも僕はミリヤに出血した部分を示して止血をしてもらう。清潔なガーゼで血をぬぐいながら、ちょっとした出血の部分を焼くのだ。

 止血が十分に終わると僕は更に胸を切った。胸骨という骨に達する。


「骨を切るよ」


 電動のこぎりがあればすぐなのだが、ここにはそんなものはない。ニッパーのような器具と糸ノコギリで少しずつ胸骨を縦に切った。骨の断面に回復魔法をかけると、出血していた部分が治癒して止血できた。こうやって手術の途中で回復魔法をかけるというのは現代日本ではできなかった技術であり、止血とか縫合には非常に役立つ。というよりも一番重要な部分を確実に行うことができる。


「骨を開きます。こっち持って」

「はい」


 開胸器かいきょうきというのは縦に切った胸骨を左右に分けて心臓を見やすくする道具だ。それを二人係で胸骨に取り付けて、僕は付属のねじを回した。それで少しずつ骨が広げられ、心臓が見えてくる。といっても、この時点では心臓の前に心膜しんまくと呼ばれる膜が覆っている。


 この開胸器は少し特殊で、左右の骨を分けるだけではなく、左側の骨を上に持ち上げることができるように作られている。何故そんなことをしているかと言うと、肋骨の近くを縦に走る血管がある。それを内胸動脈ないきょうどうみゃくというのであるが、その血管を取ってくる必要があるのだ。みぞおち付近で血管を切って、本来であればお腹に流れていく血流を狭くなった心臓の血管の先につなぎなおす。これが内胸動脈を使った冠動脈バイパス術であり、人工心肺を使わずに心臓が動いた状態でそれを行う。


 内胸動脈には沢山の枝がある。それを全て処理して血がでないようにしなければならない。現代では専用のクリップがあって、簡単に処理することができたが、ここではないので仕方ない。一本一本糸で結んで切っていくしかないのだ。大変である。


鉗子かんし、糸、ハサミ……」

 鉗子とはハサミのような形状で刃がある代わりに物を掴むことができるようになっている器具である。固定できるために掴んだままにしておくことができる。

 血管の両側に穴を開け、血管の下に鉗子をくぐらせる。出てきた鉗子の先に糸を掴ませて鉗子を抜けば糸が血管の下を通るのだ。その糸で血管を結べば血流を遮断することができる。切る部分の上流と下流の二か所を結んで血管の枝を切り、処理していく。

 細かい作業ではあるが一か所でもやらずに血管を切ってしまうと出血してしまうのだ。最悪は血管が裂けるような事態に陥ることもあるので、丁寧に丁寧に行う。

 徐々に内胸動脈が周りの組織からはずれてきた。


「ノイマン、汗拭いて」

「おう」

 ノイマンの顔は血の気が引いたようになっている。それでも僕の額に浮き上がった汗を、手術着に触らないようにして拭いてくれた。


 十分な設備のある手術室であれば内胸動脈を取るのにかかる時間は三十分くらいなのではないだろうか。もっと早くやったこともあるが、いちいち糸を結んでいくとなると時間がかかる。

 結局、十分な長さの内胸動脈が取れるまでに一時間半ほどもかかってしまった。


「はやく心臓の血管に繋がないと……」


 胸を開けているだけでも十分に負担がかかってしまうのである。開胸器をシンプルな物へと付け替えた。


鑷子ピンセットでここをつまんで。……動かないでね」

「はいっ」


 心膜を切ると、中から動く心臓が見えた。心臓の周りには液体が溜まっていたようで、黄色透明なそれをふいごを使った吸引機で吸い取っていく。吸い取られた液体はマグマスライムのスライムゼリーで作られた管を通って、床に置いてある密封された瓶へと集められる仕組みになっている。吸っている間、僕はふいごを踏み続ける必要があるわけだが。


「こ、こんなの……」

「これが心臓だよ。それで、これが冠動脈かんどうみゃく、心臓を栄養する血管で、ここの所が狭くなっている。」


 心臓を観察し、血管をつなぐ部分を決める。狭くなっているのはもっと上流のところだ。内胸動脈は十分な長さがあった。

 現代ではあえて弱く調節したクリップで内胸動脈をつまんで血が出ないようにする。しかし、そんなものがないこの状況では太めの糸を血管が傷つかないように周囲にガーゼを巻いた状態で優しく縛って血液の流れを遮断するしかなかった。内胸動脈が傷ついていなければいいがと祈るしかない。


 心臓の冠動脈の繋ぐ部分の上流と下流に太目の針糸を通す。血管を傷つけないように慎重に。この糸を引っ張ってもらうことで血管がつぶれて一時的に血が出なくなる。その間に血管をつないでしまうのだ。


「ミリヤ、この糸をもっててくれ。こう緩めると血がでてしまうから…」

「はい」


 ミリヤがおそるおそる糸を持つ。


 冠動脈に切り目を入れた。ミリヤが持った糸は適切な力が入っているらしく、ほとんど血はでてこない。それでも少しずつの出血でどこをつなげばよいのか分からなくなってしまう。


「レナ、風の魔法だ。この血液を飛ばすくらいのそよ風だ」


 呼吸をさせるバッグを揉む作業は一時的にノイマンに代わってもらい、レナの魔法で風を当てて血を飛ばしながら内胸動脈と心臓の冠動脈とをつなぐ。現代ではこの出血を飛ばす風を送る装置もある。風をずっと当てていると心臓の表面が乾いてしまうから水分も含まれたものだ。だが、そこまでの機能は期待できない。生理的な濃度に調節した食塩水でたまに濡らす程度で代用した。


 細工屋が製作した針糸は非常によい出来のものだった。血管をつなぐことを吻合ふんごうと言うが、吻合にかかった時間は十分ほどであった。綺麗に縫い合わせた糸を結んで、最後に回復ヒールをかけてつないだ血管がくっついていく。

 本来であればこの吻合が終わった後に出血してしまったりして時間がかかることが多い。だが、そこは回復魔法で全く問題なかった。


 手術の一番厄介なところを回復魔法でズルしている気分だ。異世界だから勘弁してもらおう。


「よし、あとは閉じるだけだ」


 回復ヒールを連発しながら止血を行い、骨もくっつけた。胸骨を切った場所は針金で固定しようかと思っていたけど、回復ヒールでなんとなかった。最後に皮膚も回復ヒールで治した。


 魔力の流れを読み取ってアマンダを観察すると、バイパスされた血管から心臓に魔力が注がれているのが分かった。手術成功である。かなりの回復ヒールを使ったためにさすがに疲れた。


「成功だ」


 気管に入れていた管を抜くと、アマンダは自分で息をしていた。放っておけばそのうち意識を取り戻すだろう。何時間もバッグを揉んでいたレナは手をさすっていた。本当に大変だっただろうけど、文句一つ言わずにやってくれたのには感謝しかない。


 日本で手術をした場合にはこれからの術後管理が大変だった。集中治療室で、心臓がきちんと動くかどうかを監視するのである。そのために沢山のモニターがあって、かなりの種類の薬を使うことになった。しかし、ここは異世界であって、そんなものはない。


 僕はその後もアマンダの病状を見ながら、徹夜した。しかし、回復魔法がよく効いたのか、アマンダの病態は安定しており、翌朝になると何事もなかったかのように目覚めたのである。

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