第10話 破傷風2

「ゴブリンって言っても沢山いたねえ」

「ああ、油断してたら危なかったよ」

「アマンダさん、本当にありがとうございます」


 ユグドラシル冒険者ギルドでは新人のパーティーが帰還したところだった。

 よくある話であるが、ゴブリン退治というのは新人パーティーの登竜門として設定されている町が多い。それはゴブリン単独ではあまり強くない魔物であるという大前提があり、それに異を唱える者はあまりいないからだ。それに異を唱える者がいるとしたら、その者の仲間はなめきって挑んだゴブリンたちに殺されてしまっている可能性が高い。


「傷口の治療もきちんとしとくんだよ!」


 その新人パーティーとともに依頼へと出かけていたアマンダはそう叫んだ。その言葉を受けてその新人パーティーのうち、切り傷などを受けているものは包帯などを取り出して傷の治療にあたる。治癒師はすでに魔力が尽きているようだった。軽い傷に対しても頑張って回復魔法をかけようとするのを、戦士と斥候は断っている。依頼が成功したのが嬉しいのか、どちらの顔にも笑みが見てとれた。



 家に帰るまでが遠足ってやつだね。


 その光景はどこか日本の学校を思い出させ、アマンダ婆さんは引率の教師のようだった。


「おや、シュージ。今日はどうしたんだい?」

「ええ、ジャイアントスパイダーの糸が少なくなってきたんだけど、自分たちで獲りに行く時間もないもので」


 僕は依頼書をピラピラとふり、それをアマンダに見せた。


「そうさね、ジャイアントスパイダーなら新人の教育にもちょうどいいかも……」

「ちょ! アマンダさん! 今日は休日にしようって言ってたじゃないか!」


 先ほど帰還したばかりの新人パーティーがアマンダ婆さんの視線を受けて反応する。


「あんたら! 休みはきちんと休みでとるんだよ! こういうのは別に緊急じゃないから明日でも構わないだろうが!」


 アマンダ婆さんの怒号ですくみあがる新人たち。蜘蛛の子を散らすようにギルドから出て行ってしまった。それを追い駆けるようにしてアマンダ婆さんも出て行く。今日は休暇だって言ってたはずなのに。


「…………」

「ん? シュージ? どうかした?」

「いや……なんでもない」


 僕らは依頼書を掲示板に貼り付けると、ギルドの建物をあとにした。




 ***




 アマンダ婆さんが開業直前の診療所に来たのは翌週のことだった。ノイマンとミリヤもいる。彼らは一人の冒険者を連れてきたようだった。


「ゴブリンのナイフに毒が塗ってあったみたいなんだよ」


 アマンダ婆さんが診療所に連れてきたのはあの駆け出しの冒険者の男である。しかしその顔は引きつった笑みを浮かべたようであり、回数の多い呼吸に頭を抱えてうずくまっていた。ガチガチに力が入った体の中で、右の二の腕には汚らしい包帯が巻かれていた。既に仲間の治癒師が何回か回復魔法をかけたようであるが症状が治まらない。


「シュージ、これは呪いなのか?」

「傷口の処置をおこたったな」


 僕はアマンダ婆さんには答えずに、代わりに治癒師の男に向かって少し強めに言った。新人であったとしても、こういった処置の基本というのを知らなくていいはずがない。できなければ治癒師は名乗らない方がいいと僕は思っている。

 そんな僕の態度を見て、レナ以外は驚いたようだった。僕が治療の事に関しては誰よりも本気であるという事をレナは知っているけど、他の人間はこんな風に言うような人間だとは思っていなかったのだろう。だけど、僕は本気だ。


「傷口を汚いままにしておくと化膿する。当たり前のことだ」


 呪いでも何でもない。細菌感染があった。ゴブリンの武器なんて清潔であるわけがないのだ。糞尿にまみれ、錆だらけだったに違いない。腕の傷が化膿して、すでに膿が出てきている。


「くそっ」


 珍しく苛立つ僕を見て、レナがそっと包帯をほどくのを手伝ってくれる。こういった時にレナは絶対に僕の邪魔をしないように振る舞う。僕はそんなレナに甘えてしまっているのかもしれない。こんなにも年下の女性に、と思うとなんとも情けなくなった。


 

 引きつった笑みを浮かべたような顔でほとんど口が開かない開口障害かいこうしょうがい、特に首から上にガチガチに力が入った状態の筋緊張きんきんちょう、もしかしたらもうすぐ強直性痙攣きょうちょくせいけいれんも起こってくるかもしれない。


 それらが示すのは一つしかなかった。それは、「破傷風はしょうふう」と呼ばれる細菌感染で、破傷風の毒素が体中にまわってしまった状態である。衛生環境が悪いところで傷を負ったときになりやすい感染症である。


 口を開けにくくなり、歯が噛み合わされた状態の第一期、さらに口を開けづらくなり引きつったような歯茎をむき出しにして笑うように筋肉が緊張する第二期、痙攣が起こり呼吸もできなくなってしまい命に関わる状態となる第三期、徐々にそれらが治っていく第四期と症状は移り行く。今は明らかに第二期まできていた。このまま放っておくわけにはいかない。


毒除去アンチドート!」


 毒の除去というのは、回復魔法でもかなり高度な部類に入る。それは毒が何なのかをイメージできていないと成功することがないからだ。現代日本では「抗破傷風ヒト免疫グロブリン」の投与を行って毒素の中和を行うのであるが、その毒素がどれだけ体をめぐっているのかというのが問題となる。僕の毒除去アンチドートがどれだけの効果があるか分からないけれど、これしかできる事はなかった。


「手術室へ運んで!」

「シュジュツをするのか!?」


 アマンダ婆さんが叫んだ。こんな状態でも手術ができるというのが信じられないのだろう。それとも手術で何を治療しようというのか、毒素は体中に回ってしまっているのではないかという疑問があるからかもしれない。レナも口にはだしていないけど、同じようなことを思ったようだ。


「まずは、化膿している部分を取り除く。それから世界樹の雫の投与が何日も必要だし、もっと必要なものがある!」


 僕はレナと一緒にその冒険者を手術室へと運び込むと、浄化ウォッシュの魔法をかけてから腕の周りに濃度を調整した食塩水をぶっかけた。


「他の人には揃えてもらいたいものがある。それにある程度終わったら世界樹の雫を採りに行くよ」


 実は、世界樹の雫は数日おきに採りに行っている。レナと二人だけでも一日かければ採りにいくことは可能だった。それでも、この冒険者の治療には足りない。僕がいかなければ世界樹の雫の製薬は行えない。だけど、この冒険者の治療は最初が肝心だった。


「レナ、多分だけど昏睡コーマをかけたら息ができなくなる。できていても、息もできなくなるほどに薬を投与しなければならない」

「う、うん」

「この前センリにお願いしていた道具を覚えているかい?」

「ええ、呼吸を無理矢理させるやつでしょ?」

「ああ、そうだ。それが必要なんだ」


 よりによって呼吸を管理する道具は全てセンリの工房へと預けて改良してもらっていた。改良段階にある器械だったために予備のものも用意していない。

 点滴の瓶に食塩水を入れ、さらには濃度を調節した世界樹の雫を入れる。これで、ここにある世界樹の雫はなくなった。次に投与するにはもう一度世界樹に登らないといけない。それは僕以外にはできない仕事であるのだけども、僕には他にやらなければならない仕事が山積みだった。とりあえずは患者の血管に針を刺し、薬の投与を開始した。


「まずはあの道具を大急ぎで作ってもらって来てくれ」

「わ、分かったわ」


 レナが出て行った。もしかしたら診療所の外にでると同時に転移テレポートを使ったのかもしれない。それだけ急いでいるというのがレナにも伝わったのだろう。


「ノイマン、腕と体を抑えてくれ。ミリヤは回復魔法で手伝ってくれ。アマンダさんは昏睡コーマ睡眠スリープが使えるか?」

「使えるさね。昏睡コーマでいいかい?」

「ああ、あまり強くかけないでくれ。呼吸が止まる」


 もう、アマンダ婆さんに対しても口調を直す余裕がなかった。破傷風で第三期に突入した患者というのは神経がやられて呼吸ができなければ自律神経系がおかしくなっていきなり心臓が止まったりする。進行をおくらせるためには抗破傷風ヒト免疫グロブリンと抗生剤だけではなく、感染源の掃除も必要である。


 その感染源の掃除というか、感染した組織を取り除く行為を「デブリドマン」と呼ぶ。これは単純に組織を切り取って汚くなった部分を除去するだけだ。しかし、それだけといってもこの冒険者にとっては右の二の腕の組織をごっそり取り除く必要がありそうだった。それだけ破傷風菌の感染が進行している。


 症状が発症して痙攣などが起こると呼吸ができなくなったり、全身の括約筋が閉まるために尿や便が出ないといった事も起こる。


「だから、息ができるように気管に穴を開ける。それに尿道に管を入れたり便が出やすいように下剤を使わなければならない」

「なんだよ、それ。そんなの聞いたことないぞ?」


 ノイマンの意見はもっともだ。現代日本でも設備がなければ確実に死に至る病である。

 破傷風の場合は開口障害があるから気管挿管はできないこともある。そのために気管に直接穴をあけに行かなければならなかった。


「気管に穴を開ける前にこの汚くなった部分を取り除くよ」

「うわっ、かなりひでえな」


 ノイマンがそう言いたくなるのも分かるくらいに傷口の化膿は酷かった。皮膚だけではなく、その下の筋肉まで汚染が広がっている。


「まずはここを綺麗に洗って、汚染されてしまった筋肉を取り除く」

「これを全部か? 腕がなくなるんじゃないか」

「命がなくなるよりはよっぽどマシだ」


 綺麗な水でバシャバシャと傷を洗った。二の腕の半分くらいが汚染されているようであるが、骨までは到達していない。これなら切り落とすことはないだろう。切り取った部分を取り除きつつ、ミリヤに回復魔法をかけてもらった。

 普通はデブリドマンの後はその患部をガーゼと包帯で巻き、何日もかけて治癒していくのを待たなければならない。しかし、この世界の回復魔法はそれをしなくてもよいのである。


回復ヒール!」


 僕もミリヤがかけている部分に重ねて回復ヒールを唱えた。この腕の感染巣が治れば、これ以上の悪化はないはずなのである。腕の再生にはかなりの魔力が必要となるが、二人がかりでかけていた事と骨まで達していなかったことで、なんとか治癒させることができた。


「まだ昏睡コーマをかけるかい?」

「いや、とりあえずはもう大丈夫。でも、痙攣が起こったらお願いします」


 ひとまずのデブリドマンが終わり、まだ自発呼吸があるのを確認した僕はレナがいつ帰ってくるのかという事が気になった。センリの道具屋がまだ道具を仕上げてなかったら、何時間もこのまま待たなければならない。そして、細部にこだわるあの道具屋が品物を完成させているとは思わなかった。


「う、うぐっ…………」


 患者が何かを言ったような声を出した。そのあと、声にならない声、空気が漏れるだけのような声とともに、患者の全身が痙攣する。


「やばい、昏睡コーマを頼む!」

「あいさ!」


 強直性痙攣きょうちょくせいけいれんが起こってしまった。全身の筋肉に力が入り、手術室の手術台の上で弓がしなるような姿勢になる患者をなんとか抑えて、アマンダの昏睡コーマが効くのを待つ。数回かけてようやくアマンダの昏睡コーマが効いた。しかし、やはり息をしていない。


「レナはまだなのか!?」



 誰かがまだですと答えたけど、僕にはそんな余裕はなかった。このままでは患者が窒息してしまうのである。そして昏睡コーマが効いているにも関わらず、患者の体は痙攣を続けていた。

 もはや一刻の猶予もままならない。アマンダ婆さんに頼んで昏睡コーマをかなり強くかけてもらった。


 痙攣で動き続ける体をノイマンに押さえてもらい、喉を触る。喉ぼとけのすぐ下に甲状腺という組織がある。これは触ってもあまり分からないことがほとんどであるが、それを傷つけないように気管に穴を開けなければならない。そのうちアマンダ婆さんのかけ続けた昏睡コーマが効いて痙攣はなんとか治まった。このチャンスを逃してはならない。痙攣が起きていない今の内に気管に穴を開けなければならない。


 首に、ナイフで横一線の傷をつけた。組織をかき分けて、血が出る部分を焼きごてで止血する。回復ヒールを使うとせっかくできた穴が塞がってしまう。

 時間との戦いだった。指先で押して硬い気管を確かめると、そこを縦に切った。

 プシュと空気が漏れる音がして、気管の内側が見える。中に鉗子かんしを突っ込んで気管に空いた穴を裂くように無理矢理に広げた。


 通常の気管切開法とは違うやり方である。現代でも様々な手法があるが、針を刺して中にガイドワイヤーという針金をとおして穴を広げていく方法がもっとも早くできるものの一つだった。他はきちんと気管に切れ込みを入れていく方法などもある。


 とにかく気管に穴があいた。専用のものがあるわけではないので、スライムゼリーでつくっておいた太目のホースの先を丸く切ってL字型に曲げて押し込んだ。空気が漏れないように周囲の隙間を埋めるのに、傷薬として作っておいた軟膏を詰め込んだ。


 少しだけためらいがあったが、器具がないのでは仕方がない。僕はそのホースの反対側に口を付けて、息を吹き込んだ。人工呼吸である。……これをレナが戻ってくるまでつづけなければならないと思うと憂鬱であるが、一応は一安心という所だろう。刺し込まれたホースの周りに念のために回復ヒールをかけて止血する。かけすぎるとホースがくっついてしまうからほんの少しだけにした。


「な、何やってんだよ」


 ノイマンがものすごい引いている。ミリヤも同じような表情をしていた。アマンダは興味深そうにこちらを見ている。


「呼吸だよ……ふゅー……なんとか間に合った……ひゅー」

「え? それって間に合ったのか?」

「分からんが、まだ死んでない……ふゅー」



 レナが改良された手動の呼吸器を持って帰ってきたのはそれから二時間も後のことだった。それまで僕はこの冒険者の肺に口で空気を送りこみ続けたのである。顎が痛い。

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