第3話 狭心症1

 翌日にノイマンの状態を見に行くと、すでにほとんど回復しきっていた。とは言っても急性虫垂炎だし魔法もあるからこんなものかもしれない。一般的に虫垂切除術の後は数日は様子を見て、消化管の動きや傷に問題がないかを確認してからの退院となる。……医局の先輩は翌日から仕事させられていたけど。



 診療所の治癒師はウージュといった。僕よりもすこし年上なのだろう。それなりの治癒師らしく、魔力量も十分に持っていたけれども、ノイマンに言わせると酒癖が悪くて評判はあまりよくないのだとか。


「うるさい、追い出すぞ!」

「ああ、もう大丈夫だ。早く帰してくれ!」

「やっぱりだめだ! あと一週間はここにおれ!」


 回復魔法だけでは治らない患者も多い。そのためにウージュの診療所には簡単な入院設備もあったようだ。すべてウージュが一人で切り盛りしている。


「ここは任せて大丈夫だから、僕らは僕らの事をしよう」


 ノイマンの治療は終了したと思った僕は自分たちの心配をしなければならない。それからノイマンの治療はウージュに任せて、僕らはこの町に住む準備を始めたのだった。



 ユグドラシルの町の外れに小さな小屋を買った。ここが僕の、いや、レナを加えて僕たちの拠点になる。ここから少しずつ始めていくんだ。


「ねえ、何から始めるのよ?」

「ああ、まずはここを診療所にする準備と、治療に使う道具や薬を集める所からかな」


 必要な薬は沢山ある。全てを魔法で治せるわけないのと同様に全てを手術で治せるわけもないからだ。

 とりあえずは僕らが住めるように最低限の家具を買い入れ、荷物を搬入した。そうすると、すでに診療所として使えるスペースがほとんどなくなった。レナのベッドの事を考えてなかったからである。これは診療所はあらたに建てる必要があるかもしれない。しかし、今は住居兼倉庫として活躍してもらおう。


「あんまりお金もないから、材料とかは自分たちで手にいれないといけないし、道具を作ってくれる人も探さなきゃね」


 ユグドラシルの町には腕利きの道具職人がいるだろう。手術道具が必要で、いつまでも裁縫に使う針を使っているわけにもいかない。


「じゃあ、まずは?」

「薬の材料集めと調合に並行して、道具の材料集めかな」



 ***



「ギルドカードを置いて来るんじゃなかったよ」


 僕のSランクのギルドカードはレイヴンに渡してしまっていた。そのためにユグドラシルの町で冒険者ギルドの依頼を受けようと思うと、再発行の手続きが必要で、本人の証明というのが非常に難しい。こちらにはほとんど知り合いがいないからだ。


「そんな事だろうと思ってね」


 レナがなにやら得意げな顔でそう言った。その手には僕のSランクの金色のギルドカードが握られている。


「レイヴンに辞めるって言った時に回収してたのよ。貴方がユグドラシルに行くって知ってたからね」


 なんてグッジョブなんだ。僕は思わずレナに抱きつきかけてしまったけど、それを自制した。僕みたいなおっさんに抱き着かれるとレナは嫌がるだろう。


「さすがはレナだよ。これで依頼を受けてお金儲けをするついでに素材の収集に行くことができるね」

「といっても、ここには貴方と私しかいないから、前衛の冒険者を雇わないと……」


 レナは魔術師で僕は治癒師である。魔物が突っ込んできた時にそれを防ぐ者がいないのだ。


「でも、仕方ないよ。当面は僕がやろうかな」


 そう言って僕は荷物の中からメイスを取り出した。そこまで強い魔物ではなければなんとかなるんじゃないかと思っている。これでも僕はSランクの治癒師なんだ。魔物の攻撃を回避しながら味方を回復させなければならないために、少しは動けると思っている。



 ギルドに行ってみる。この数日は小屋を買ったり、家具を買ったりで忙しかったのであるが、ユグドラシルの町の冒険者ギルドに来るのは初めてではない。以前、世界樹の雫を採ってくるという依頼で立ち寄っていたのだ。世界樹を登るにあたって案内人がいればいいと思ったのである。その時は、僕らのパーティーについてこれそうな冒険者がいなくて断念した。ユグドラシルの町の周辺というのはレーヴァンテインと違って比較的平和であって、そのために冒険者の質が高いわけでもなかったのだ。


「ギガントードの討伐依頼があるね。この魔物の耳下腺は是非とも手に入れておきたいと思うんだよ」


 いわゆるガマの油といわれるカエルの耳下腺には傷薬としての効能の他に、強心薬として心臓の薬にも使えるのだ。ギガントードの耳下腺はその中でも効果が高いとされており、薬師の書いた本には載っていた。実際にトード系の魔物の耳下腺からは強心薬が精製できているので、ギガントードの耳下腺であればもっと品質の高いものができるのではと思っている。毒成分を上手い具合に抜くために、高度の製薬魔法が必要となるけど、僕はそれができる。


 簡単な手続きをしてギガントードの討伐へと行くことにした。ユグドラシルの町でSランクのカードはめずらしくギルドの受付はびっくりしていたけれども、他の冒険者たちには気づかれずに済んだようだった。




 ***




 湿地帯にいるというギガントード。その耳下腺をはぎ取りに来たわけであるが、このユグドラシルの町の南に広がる湿地帯には他にも薬草が多い。ギガントードを探している最中にもいろんな採取できるものが見つかる。


「あ、あれも使える薬草だ」

「本当によく知っているわね。今まで依頼でどこに行っても何かしら採取してたけど、あの時から薬の事には詳しかったの?」

「ああ、そうだね」


 レーヴァンテインで冒険者をしている時も、薬の知識を手に入れるためによく本を買ったり図書館で写本をしたりしたものだ。Sランク冒険者となれば、収入はそれなりのものがあったけど、本は高価だったからあまり貯蓄というものはない。


「世界樹の雫が作れるって聞いた時は特に変なことは思わなかったけど、今考えるとすごかったのね」

「ああ、そうだね」


 製薬魔法というのは基本的に薬師くらいしか訓練していないのである。使えても初級程度のもので、それは薬草に含まれた魔力をポーションとして摘出する程度の事しかできなかった。ひどいものになると、絞った汁とあまり変わりのないものだってある。それでも魔力が必要な冒険者にとって、ポーションというのは有用であったし、魔力があれば回復魔法だって使えるようになる。

 だから、この世界の製薬魔法はあまり発展していない。それでも回復魔法が使えない薬師の中でごく一部が一流の製薬魔法を使うことができるのであるが、そこで非常に問題となっているものがあった。


 製薬魔法で最も必要なものは魔法の使い方ではなく、「何を抽出したいか」というイメージなのである。ほとんどの薬師が「魔力を抽出したい」と考えて製薬魔法を使う。それによって再生能力上昇や魔力を回復させるポーションを作り、冒険者がそれを買うのである。


 つまり、病気に使用できるような薬を製薬魔法で作っている薬師というのが非常に少ない。

 僕がよく読む本というのは、魔力が低く製薬魔法をあまりうまく使えない薬師が、それでも薬草を煎じてなんとか薬にしようとしたという「薬草学」の本である。

 この「薬草学」は回復魔法が一般的なこの世界では胡散臭い民間療法と同じ位置づけになっており、ほとんどの一般市民が効能を信じていない。


 しかし、治癒師も薬師もおらずこの薬草学に頼るしかない地域だってあるのだ。そんな知識をかき集めた人たちの知識を、僕はまとめ上げてこの世界の薬として使うしかないのである。


「世界樹の雫って、その場での製薬が必要だったでしょ。あれって普通は薬師の人が使う魔法よね」

「ああ、そうだね」

「…………ねえ」

「ああ、そうだね」


 あ、あそこにあるのはヒカラビダケじゃないか。一本まるまる食べてしまうと体中の水分が尿となって体外に排出されてしまうほどの毒キノコではあるのだが、容量と用法をきちんと調節すれば心臓の負担を減らす薬となる。その成分は日本で使っていた薬とほぼ同等のものだと思っている。

 あまり、生えることのないキノコであったがこんな所で見つけることができるなんて、なんてラッキーなんだ。買うと高いんだよ。


 ヒカラビダケは洗って乾燥させて粉にすればいいか。そのためには天日干しができる場所を作らなければならない。あと、粉にするすり鉢は買ってたっけ。


「……ちょっと」

「ああ、そうだね」

「聞いてるの?」

「ああ、そうだね…………いたっ」


 採取に夢中になってレナの話を聞いてなかったからか、背中を蹴られた。沼地に頭から突っ込む。


「ぶはっ、ひどいなぁ」

「聞いてない貴方が悪いのよ」


 仁王立ちでプンスカと怒るレナ。対して僕は泥だらけだ。ついでに沼の中の水草を採ってきたのは、転んでもただでは起きないというのが僕のモットーだからである。


浄化ウォッシュ!」


 こちらの世界は魔法が非常に便利だ。体を洗う魔法すらある。そのため、意外にも衛生環境は悪くない。しかし、この浄化ウォッシュの魔法に、殺菌効果はない。予防にはなっても治療効果は薄いのだ。


 僕の体が綺麗になっていく。魔法にはイメージが大切らしく、僕はかなり効率よく魔法が使える。総魔力はあまり多い方ではないが僕がSランクまでなれたのはそういう理由らしい。この場合、イメージといっても洗剤のCMが元だったりするのだが。


「さっさとギガントードの討伐に行くわよ」


 不機嫌になってしまったレナに謝りつつ、僕らはギガントードの目撃情報のあった場所へと向かった。

 荷馬車には採取された薬草などが土ごと入れられている。なんとか馬車が通ることのできる場所を見つけながら、僕らは進んだ。



「いたわね、ワラワラといるわね」

「そうだね、沢山いるね」


 目撃情報のあった場所には数十匹のギガントードが群れをなしていた。人間の二倍はあるのではないかという巨大なカエルである。様々な色がついてて非常に目立つ。単独ではないとは思ったけど、こんなにも数が多いなんて聞いていない。


「その耳下腺? どのくらい必要なのよ?」


 レナがカサゴソと依頼用紙を読み直している。あ、これはあれだ。討伐証明部位の確認をしてる。という事はまだ機嫌が治ってないな。八つ当たりするつもりらしい。


「一匹でも十分だけど、二匹分あると嬉しいな…………レナさん?」


 バチバチィとレナの両腕に溢れ上がる魔力。あ、これは本気でまずい。僕は両耳を押さえて心の中で僕の代わりに八つ当たりされるであろうギガントードたちにすまんと謝った。


雷撃サンダーボルト!!」


 レナの得意な雷系魔法である。ド派手で威力も射程もべらぼうに高く長い凄まじい魔法だ。

 その雷撃サンダーボルトがギガントードを片っ端からなぎ払った。二匹だけ残して。


 素材が、ギガントードの素材が…………。消し炭になりかけているギガントードたちを見て、僕は考えるのをやめることにした。レナは残りの二匹を極力傷つけないように氷系の魔法で仕留めている。討伐証明部位である後ろ足だけでも残っていればいいなと思って、僕は解体用のナイフを取り出した。




 ***




「…………意外といけるわね」


 レナが食べているのはギガントードの唐揚げである。カエルの肉なんて絶対食べないと言っていたのであるが、解体して精肉して、ギルドの酒場に持ち込んだら唐揚げにしてくれたのだ。僕が旨そうに食べるのを見て、レナも箸を出してきた。

 意外ととか言いつつも顔が緩み過ぎである。あれは気に入った時の顔だ。鶏肉好きだし、カエルも鶏肉に似た食感だしね。


 結局、ギガントードの討伐証明の部位は二匹分しか手に入らなかった。採取した薬草を小屋の裏に作った畑に植え直して、ギルドに依頼の達成を報告して、今日はもう終わりである。帰りに銭湯によることにして、僕らは食事を楽しんだ。

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