第26話 十五年前の真実

 鍋から、炎が上がり、天井や、周囲に散らしていた新聞、紙くず等に広がり始めていた。

 

「彩乃、あんた、こっちに来なさい。彩乃!何してるの、早く!」

 

 加奈子は、火元に近い彩乃に、自分と入れ替わるように、強く言った。

 

「お母さん…私、思い出した…。」

 

 彩乃は、勢いづいてきた炎を見つめ、涙を流しながら、言った。

 

「思い出したの。私、マッチ持ってた。お父さんが使ってたマッチを持ってたのよ。」

 

「彩乃、何も言わないで、あなたは何もしてないの!いい?何もしてない!早く、私と入れ替わって!」

 

「違う、違うの。聴いて。私、お父さんに、私が弟のおもちゃ壊したからって、私じゃないのに、弟が自分で壊したのに、自分のせいにされて、朝まで立ってなさいてって怒られたの。でも疲れて横になってたら、2階から降りてきたお父さんに見つかって、何度もぶたれて、痛くて、怖くて、泣いてたの。だんだん、悔しくなってきて、私、弟が大事にしてた、たくさんの折り鶴とか飛行機の折り紙とか、箱から全部出して、火をつけようとしたのよ。かちかち山のウサギみたいに、燃やそうとした。でも、マッチなんて使ったことなかったから、上手く使えなくて…。それで、そう、男の子がいたの、私が裏玄関から入れてあげた。その男の子、お母さんがぶたれて泣いてったって、私のお父さんにぶたれて泣いてったって。だから、あの男も燃やさないとって。手伝ってあげるよって言ってた。その男の子、ライター出して、弟の折り紙とか、新聞紙とかに火をつけたの。あっという間に燃えた…。どうしよう、私…私が…お母さん。」

 

 彩乃は、火が迫り、火の粉が飛んできている中、感情的に言葉が溢れ出し、十五年前の記憶がすべて蘇った。 

 

「ふん、やっと思い出したんだ。昨日、言いたかったことだよ。もう遅いけどな。」

 

「あの男の子、あんただったんだ。」

 

「彩乃、もう喋らないで、口を塞いで。」

 

 加奈子は、必死に、彩乃に降りかかる火の粉を払っていた。

 

 

「母さんは逃げて。」

 

「だって、平和。」

 

「いいから、早く。」

 

 平和が事前に粗雑に開けてあった穴から、典子は逃げ出した。

 

 

 ビルの外では、パトカーや、消防車のサイレンで、野次馬が出来てきていた。

 

「どうなってるの。何も連絡ないし、この騒ぎだし、ねえ、どうなってるの?上行っちゃだめ?」

 

「嵐ちゃん、気持ちはわかるけど、無理みたいね。ビルの他のお店も、避難させられているわよ。」

 

「野崎さんに連絡しても、出てくんないし。」

 

 ドアの外では、野崎が焦っていた。

 

「まだ、ドアは開けれないのか。拳銃で一発ぶち込めば開くんじゃないのか。」

 

 橋本の携帯と通話状態のため、小声での会話だ。

 

「それは、映画やドラマだけの話だよ。そんな簡単なものじゃない。今このビルを管理している管理人をやっと見つけた。こっちに向かっているから。もう着く。裏側の窓からの突入も待機中だが、窓が少ないんだよ。それに、裏側は調理場に近いから、おそらく火で行けない。」

 

 草野は典子が逃げた情報を下の警官に伝えた。

 

 ドアの前で、草野ら警察官は突入のタイミングを狙っていた。

 

 草野は、落ち着こうとはしているものの、拳銃を握った手はガチガチで、汗をかき、時折、深く息を吸い、早くなる息づかいを整えていた。

 

 長いな…。

 

 鍵が届いた!

 

 草野は深呼吸をしてから、作業にかかった。

 音を極力立てずに、鍵を開けようとするが、上手く鍵穴に入らない。焦ると、よけい手が震えてしまう。

 

 携帯の声から、火の勢いが増してきた様子が聴こえてくる。

 

 ―落ち着け、落ち着け…。

 

「あぁ、開いた。解錠OKです。」

 

 突入の指示が出た。

 

 草野は拳銃を構えながら、一気にドアを開け、突入していった。

 

 煙が充満し始めている。

 

 

 橋本の頭に平和が拳銃を突き付けているのが、草野の目に入った。

 

 調理場の入口を塞いでいた典子がいなくなり、平和が気を取られているうちに、彩乃と加奈子は、いざりながらの移動で調理場からフロアへ出る事が出来た。

 

「今更、来たって、もう、無駄だよ。」


 橋本は、平和の言葉を遮るように草野に叫んだ。

 

「草野!撃て!いいから撃つんだ。」

 

 草野の震える手は、平和にも伝わった。

 

「震えてるじゃないか。おまわりさん。そんな、へっぴり腰で、撃てるのか?」

 

 草野は、橋本の視線に気が付いた。

 

 ―何だ、何が言いたいんだ。

 

 後ろの、彩乃が、顔を上方に向けて、視線で訴えている。平和の後方上部に、飲料用なのか、透明な袋に入った水がいくつも積まれていたのである。どうやって積み上げたのか、天井ギリギリまで載せてある。床や壁がまだ、工事中のために、一時的に置いてあるのだろう。

 

 ―今にも落ちそうだ。よく落ちてこないな。

 

 ―あ、なるほど、あれを撃てと言うのか。撃って、水を被って怯んだ隙に、どうにかするのか。

 

 ―よし、そういう事だよな。

 

 草野は、橋本に目で合図をし、照準を合わせ、構えた。

 

 もう、震えはなくなっていた。

 

 ―変に、今から撃つぞ的なことをすると、向こうも発砲しかねない。

 

 煙で視界が暗くなってくる。

 

 時間はない。落ち着くんだ。

 

 ここは、会話しながら、タイミングを図ろう…。

 

「母親はどうした。」

 

「うるさい、どうでもいいだろ。」

 

「逃げ切れると思ってるのか。」

 

「あぁ、逃げてやるさ。これまでも、そうしてきたんだからな。」

 

 ―火がやばい。そろそろ行かないと…。

 

「もう、お前は逃げる事はできない。観念しろ!」

 

 草野は、そのセリフが終わると同時に、引き金を引いた。

 

 弾は水の袋の一つにあたり、水が噴水のように下に落ちてきた。続けて、2発撃った。

 

「ど、どこ、狙ってんだ。アホか。」

 

 そう言いながらも、発砲したことで、平和の焦った様子が見えた。

 

「ちゃんと狙った通りだよ。」

 

「火を消すためか?」

 

「いいや。」

 

 下の袋がみるみるうちにしぼみ、その積み重なった不安定な水嚢のスクラムはバランスを崩した。重さのある水嚢は次々と崩れ落ち、平和の頭部に直撃した。そのはずみで平和が持っていた拳銃が手から離れた。

 

 橋本は、転倒したした平和を、押さえつけ、草野は、彩乃と、加奈子の元へ駆け寄り、結束バンドを切った。

 

「クソっ」

 

 煙が充満する中、一気に、警官と消防が入ってきた。

 

 すぐ消火が始まった。

 

「風間平和、監禁および放火容疑で現行犯逮捕する!」

 

 草野は、風間平和に手錠をかけた。

 

「はあ、終わった…。」

 

 草野は、口を手で塞ぎながら、外へ出た。

 

「草野、よく頑張った。」

 

「先輩、もう、生きた心地しませんでしたよ。」

 

 風間は警官に連行され、彩乃と加奈子は野崎に付き添われ、ビルの外へ出てきた。

 

 彩乃は嵐を見つけ、張り詰めていた心が溶けだした。涙が止まらなかった。

 

 嵐の元へ、真っすぐ向かい、抱きついた。

 

 「嵐、嵐、私、生きてて良かった。もう逢えないかと思ったよ。」

 

 嵐も泣いていた。

 

「彩乃、良かった、本当に良かった。」

 

 強く抱きしめた。

 

 「痛いよ。痛いけど、もっとぎゅってして。」

 

 しばらく、二人を見ていた野崎が、嵐に声をかけた。

 

「もういいかい。」

 

「あ、すみません。」

 

「彩乃じゃなかった。火をつけたのは、平和だったよ。火を見て、彩乃の記憶がすべて蘇ったんだ。」

 

「でも、私が、きっかけを作ったの。私が、あんなことしなかったら…。」

 

「彩乃、僕も責任はある。最初に、かちかち山で、煽ったの僕だから。」

 

「えっ、そうなの?」

 

「だから、僕にも責任があるんだ。」

 

「まあ、あとでゆっくり話そう。今は、治療が優先だ。」

 

 彩乃と、加奈子は、少し煙を吸い、軽いやけどを負っていたため、

 待機していた、救急車で救急搬送された。



 野崎は、15年前、燃える家の前で笑っていた7歳の彩乃の顔を思い出していた。


 ―あのことは、言わないでおこう。 

 

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