第27話 事件が終わって。

 橋本は野崎の淹れた珈琲を味わっていた。

 

「何か話したか?」


「息子の方か?まだ、何で自分が悪いのかって言ってるらしい。まあ、小さい頃からの、いじめや、親の不倫で、ひねくれない方がおかしいと思うが。」


「それでも、真っ当な道を生きているやつはたくさんいるよ。俺みたいにな。」


「野崎はな、世間の波なんて関係なかったからな。頑固というかブレないのがいいんだよ。平和の場合、幼少期からの幸薄い人生の穴を埋めるように、人の欲を手玉にとる世の中の意のままに、呑まれてしまったんだな。SNSに見られるような「いいね依存」というやつだよ。見下されて満たされない気持ちのまま、大人になった。本当ならその気持ちを救ってあげるのが親なんだろうけど、逆に、母親がその気持ちに乗って、感情を共有してしまって、そんな心の闇を“いいね”という麻薬に救われていたんだ。野崎の娘さんも、そういったやつの犠牲になった。辛いな。」

 

「ああ、でも、何故、あんなところにいたのかが分かった。自分の娘ながら、真面目な気持ちの優しい娘だったんだと改めて思った。せめてもの救いだよ。でも、なんであんなやつに。悔しいよ。神様は何を見てたんだよって。」

 

 野崎は、上を見上げて涙をこらえた。

 

 橋本が続けた。

 

「すべては、自分たちの保身からくる生まれた子供をやり取りするあの事件から始まったんだよ。双子で生まれたのに、片方は裕福に、片方は世間から疎まれた家庭で育った。智子にしてみたら、自分は不幸で可哀そうな人間。それで、それを理由に加奈子の旦那の光一を奪った。智子も必死だったんだろうな。そんな中、典子という邪魔が入った。許せないだろうね。智子は典子に言葉以上の侮辱を浴びせたんだ。その感情を平和が共有した。間違った親子愛だな。そして、光一を殺した。姿を消した智子と、平和が火をつけたところを見ていた彩乃が何を話すのかが気が気じゃなかった。長い間かけて探して、二人を見つけて復讐したんだな。いいね依存だけではない、真の目的があったという事だ。」

 

「橋本の言うように、大人の汚い欲が、何人もの人生を変えたんだよ。やりきれない事件だった。」


「記事にするのか?事件性が無いとされていた事故が凶悪な事件になったからな。」


「会社からも言われているしな。」

 

「櫻井親子、見舞いに行って来たんだろ?」


「あぁ、元気だったよ。彩乃、嵐が毎日来て、うざいって言ってた。加奈子とは同じ病室にいたよ。もうすぐ退院できるそうだ。退院したら一母子で緒に住むらしいよ。」

 

「そうか、長くかかったけど、櫻井加奈子の名前と自分の娘を取り戻せたんだな。」



「あのビルから出てきた時、お互いの火傷を気遣ってた姿は、どこからどう見ても、母子だった。彩乃に初めて会った時のあの死んだ目は、もう消えていたね。命が入ったようだったよ。きれいな眼をしてた。」




 ―数日後


「退院おめでとう。」

 

「達也ママ、ありがとう。」


 退院後、いつものように、彩乃と嵐は蛇夢に来ていた。

 

「彩乃も大きなケガじゃなくて良かったわ。それにしても、よく記憶が戻ったわね。」

 

「ママ、今はまだ…。」

 

「嵐ちゃん、早い方がいいのよ、こういうのは。ね、メグミ?」


「そうね。切羽詰まった状況だったと思うのよ。炎と、あと臭いとかも鍵の役割を果たしたのね。記憶の引き出しを開けたんだと思う。写真見ただけでは、思い出せない風景も、実際に、臭いと音などの体感で、思い出すことがあるのよ。」

 

「メグミさんの言う通りかもしれない。火の熱さと臭い、あとお母さんの声、彩乃!って強い声で、あれって思ったの。ハッキリと聞いた事があるって。そこから、どんどん頭の中に溢れてきた感じよ。」


 彩乃は落ち着いていた。

 

「いままで彩乃ちゃんは、あの時の時間のまま、止まっていたのね。思い出すことで、過去にすることができるから、もう大丈夫ね。」

 

 メグミは、そのごつごつした手で彩乃の手を両手で挟んで、そう言った。

 

「ありがとう、メグミさん。手はごついけど、あったかい優しい手ね。」

 

「やだ、最高の誉め言葉だわ。ありがと。」

 

 

「あとね、もう、ダメだと思った時、あの白い影見たのよ。スッと二筋の影。」

 

「それ蛭児姫だよ、きっと?」

 

「橋本さんが、何か、チラチラ見てたのが分かって、ここを狙えってことだと思って。でもあのもう一人の刑事さんが、なかなか気づかなくて。そしたら、白いのが、水が入った袋の前を通ったの。」

 

「すごい、教えてくれたんだ。彩乃たちを救ってくれたんだよ。」

 

「そうだと思う。祠、ちゃんと建てないとね。」


 彩乃は嵐の肩をポンッと叩いた。

 

「彩乃、力強いよ。」


「それくらい何よ。ま、頑張ろうね。」


「うん、立派なの建てよう!」


「それと…もう少ししたら、私、お母さんと能登に戻ろうと思って。」

 

「えっ、能登、行っちゃうの?そんなあ。」

 

「ちゃんと親子の時間を取り戻したいの。向こうには、ばあばもいるし。今、役所の人が来て、戸籍の事とか、いろいろ手続きしてる。」

 

「彩乃仕事は?」

 

「看護師になろうと思う。東京で貯めたお金で、看護大学行く。ばあばも看護師で、洋子おばさんにも勧められたし。ただ、高校が中途半端だったから、まずは卒業の認定受けないと。」

 

「あら、それが良いわ。いい看護師さんになると思うわよ。彩乃はしっかりと、今後の事考えてるのね。」

 

「僕も能登行こうかな。」

 

「何言ってんの。お母さんはどうするの?」

 

「うん、でも。」

 

「時々、能登に遊びに来ればいいじゃない。泊めてあげるわよ。」

 

「えっ、ほんと?行く、行くよ。」

 

「嵐ちゃんてほんと単純ね。」

 

「素直だって言ってよ。あ、そうだ、今度、祠の建設の件で、役場から一度話し合いをしないかって連絡が来たんだけど。」

 

「いいわよ。この話、うちのお母さんも大賛成してるし。このチームに入りたいって。」

 

「彩乃のお母さんって、お化粧したところ見たんだけど、すごくきれいな人だったんだね。」

 

「当たり前でしょ。私の…お母さんだもの。」

 

 彩乃の声がつまった。

 

「あ、彩乃泣いてるの。」

 

「泣いてない。」

 

「無理しないで、いっぱい泣いていいのに。」

 

「バカ。」

 

「でも良かったわ、あなたたち、最初水と油かと思ったけど、いい感じで釣り合ってるわね。」

 

「ねえ彩乃、あの時、祠に何お願いしたの?まだ、叶ってない?」


「叶ったわよ。」


「叶ったの?お母さんの事?」


「違うわよ。生まれる前に戻してって、お願いしたの。死にたいと思ってたから。」


「えっ、そうだったの…。」


「でも、まさか、ほんとに、生まれる前に戻ったなんてね。」


「確かに、そのまま叶えてくれたんだ。というより、真実を見せたかったんじゃないかな。」


「そうかもしれないわね。」


「ぼくが思うには、蛭児姫は双子だったんでしょ。たぶん、赤ん坊の時に死んじゃった女の子は、生き残った蛭児姫が羨ましかった。まるで智子さんみたいに。祠の前では、彩乃のお母さんと智子さんの二人は仲良しだった。でも、智子がご神体の蛇の抜け殻を持ってきてしまった。祠は燃えちゃうし、湖は埋められちゃうし。でもその事より、蛭児姫たちの事を忘れてしまってたってことが、悲しかったんじゃないかな。お祭りも、ただの行事みたいになってるし。ちゃんと祀って、みんなが忘れないで、仲良くしてねってことだよ。せっかく、双子で生まれたのに、離れ離れなんてひどい話だよ。そういう事が起きないように、蛭児姫は願っているんじゃないのかな。彩乃を見ていると感じるんだ。彩乃の中に二人いるって。智子さんの部分と加奈子さんの部分。彩乃の中の2人が、仲良くなったら落ち着くんだよ。」


 嵐には珍しく長い台詞に、気持ちが良くなっていた。


「あら、さすが、彩乃のこと良く見てるわね。嵐ちゃん、メグミも同じ事言ってたのよ。彩乃の中に、二人いるかもって。」


「そうなのよ、解離性同一性障害か双極性障害なのかと思って。よく犯罪とかあるけど、ジギルとハイドみたいにね。あんなにはっきりしたものではないけど、彩乃ちゃんの境遇とかみると、都合のいいように、違う人格を作るってこともある得るわ。時々、記憶の無い時間があったってことも聞いてるし。嵐ちゃん良い線いってるわよ。」


「ママたち、あんまり嵐褒めない方がいいわよ。どっか違う方に飛んでちゃうから。」

「何だよ、それ。せっかく気持ちよかったのに。でもさ、15年前の火事の時は?どうなるの?」


「あれは、彩乃さんね。違う人格同志は、記憶を共有しないから。」


「たぶん、それがほんとなら、もう一人は、とってもいい子ちゃんね。自分の中に自分じゃない、優しい子がいるみたいね。」


「たまには、その子にも会いたいな。」


「残念でした。今は全く現れません。今の私じゃ不満てこと?」


「いや、あの、優しい彩乃もいいと思って…。」


「その必要が無くなったからよ。」


「ママ、ありがとう。嵐は何にも分かってない。」


「ほら、彩乃がありがとうって言った。今違う人みたい。」


「嵐、殺す。」

 

 彩乃は嵐を睨みつけた。


「やっぱ、彩乃だ。」


「やってらんないわ。帰る。」


「やった、いつもの彩乃になった。」


「嵐ちゃん、とっても嬉しそうね。あなたこそ、落ち込んだり、喜んだり、起伏が激しいじゃない。」


「やだ、僕は一人しかいないよ。それよりも、メグミさん、平和は?僕の前では別人みたいだったんだけど。」


「聞いただけの情報だけだから、何とも言えないけど、人格は一つだと思うわ。記憶がすべて繋がっているし、一貫した感情のもとで強行していることだから、ここでの真面目な対応も計画的ね。」

 

「なるほどね。ママたちは男と女と?」

 

「あら、わたしたちは、女性の心を持った、身体が男性。人格は一つよ。メグミさんはまた違うけどね。嵐ちゃん面白い事聞くのね。」

 

「人間って面白いわ。自分が知っている範囲の中でしか受け入れられない人が多いのよ。だから他人と違うだけで、非難したり、人格を否定したり、視野がせまいのよ。私もそうだったけど、ママと会って、人生観が変わったわ。腹の立つことは多いけど、自分で考え直すことができるようになったの。それが、出来なかったのが平和なんでしょうね。」


「彩乃、その言葉聞いて。私は嬉しいよ。ここまで、成長してくれて。」


「ママ、こっちこそありがとうね。嵐もね。」


「彩乃のありがとうは特別だね。」


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