第21話 正彦の遺言
―渡辺家自宅。
澄み切った月の夜から、一転、急に雨が降りだした。
正彦の通夜には、親戚、近所の方々も集まっていたが、昭の姿はなかった。体調的が優れないとのことで、主治医より参列の許可が出なかったのだ。
真美と、嵐が、雨を払いながら、渡辺の家の玄関に足を入れた。靴を脱ぎ、少し高さのある上り框に乗せたその足元の前方に、大きな影を感じた。喪主でもある昭の弟の和明が、睨むような眼を真美に向け、立っていた。
「なんで、あんたらが来てんだよ。遺産目当てか?確か、あんた、正彦と結婚やめた女だったよな。」
声を聞きつけた、河口美紀が、足早に奥から出てきた。
「真美さん、嵐さん、さ、上がって。気にすることはないわ。」
「なんだと!ここは、俺の家だ。」
「いいえ、まだ、正彦さんが主よ。その正彦さんが、亡くなる数日前に、真美さんたちを呼んで、最期の数日、ずっと面会に来てくれてたのよ。あなた方は、入院後、一度だけの面会で、誰も来ませんでしたね。お友達の方が面会多かったくらいよ。あなたたちには、正彦さんの病状がどういう状態かは、伝えてあったと思いますが。それで、真美さんたちの、この通夜、葬儀の参列も、正彦さんの強いご希望ですから。」
「そんな、勝手な事を。」
「勝手ではありません。これは、正彦さんの遺言です。正式な遺言書を私が預かっていますので、明日の葬儀が終わった後に、真美さんたちも含めて、みなさんにご説明しますので。」
「遺言?そんなものあったのか?聞いてないぞ。親父はまだ死んでないぞ。親父の名義の土地もまだ、あるはずだ。」
「そのことも含めての遺言です。正彦さんからは、誰にも、言わないようにとの事でしたので、真美さんたちにも話しておりません。」
「正彦のやつ、親父の財産を独り占めにして、死んでまで嫌がらせか。なんでこんな奴らなんかに。」
河口は、真美と嵐を守るように、奥の部屋へ入っていた。
嵐は、静かに横たわる正彦の姿を見つけると、真っ直ぐ向かって行った。そして、正彦の傍らに、何時間も寄り添っていた。
「ふん、今頃、息子面したって。」
和明は嵐を見下ろして、鋭く睨んでいた。
睨み返した嵐に、和明が言い放った。
「どうせ、金だろ。」
ぐっと拳を握りしめていた嵐は、耐えきれずに、立ち上がり、感情をあらわにした。
「違う!あんたらとは、違う!」
真美が慌てて、止めに入った。
「ふん、図星だな。」
河口が見兼ねて、口を開いた。
「正彦さんが、もう長くはないとお伝えした時、真美さんたちは、財産、すべてを放棄すると言ったんです。自分たちには、そんな資格はないと。でも、正彦さんの強いご希望で、その一部を受け取って欲しいと言われたんです!」
「遺言で、何が書いてあるか、分からないが、あんたらの良いようにはさせないからな。」
和明はそう言い捨て、嵐から離れた。
「あの、河口さん、僕たちは本当に何も要らないです。こんな思いまでして頂いても。」
「そう思ってしまうわね。すみません、あまりにも、ひどいと思って、つい。嵐さん、こんな事、勝ち負けではないですけど、負けないでね。」
「でも、こんなの…お父さん喜ばないよ。」
「そうね、私も…冷静にならないとね。」
河口は、すくっと立ち上がり、皆に声をかけた。
「あの、皆さん、正彦さんを、もっと静かに、気持ちよく送り出してあげることは、出来ませんか?まぁ、私もなんですが。どうか、お願いします。」
「そうですよね、河口さん。さっきから、聴いてれば、醜い欲の塊が、何人もいるみたいだな。正彦があまりにも可哀そうだよ。」
通夜に来ていた、正彦の友人、岡田もそう話に入った。
「そうよ、正彦に失礼だわ。」
真美も岡田に言葉に賛同した。
「ほとんど関わらなかったくせに。今になって家族みたいな顔して。」
和明の妻が小声でつぶやいた。
「私と、正彦の結婚を、一番、反対したのは、あなたではなかったのですか?」
「知らないわよ、そんな昔の事。」
今度は真美に火が付いた。
「脅した方は覚えてないでしょうね。嵐が小さい頃には連れてきてたけど、あなたたちがもう来るなと言ったの、はっきり覚えてるわよ。10歳の嵐に向かって直接ね。信じられなかったわ。その日を最後に連れてこなかったわ。嵐もあなたたちを、すごく怖がってた。だからもうそれ以来連れて来れなかったのよ。その間、嵐には、父親の事は一言も話してないし、嵐も話さすこともなかった。よほど怖い思いしたのか、もう記憶さえも消えてたわ。河口さんが来て話を聞いて、嵐にとっては初耳だったのよ。だから、この数日間、長い間埋められなかった家族の時間を過ごしていたの。短い間だったけど。」
腹立たしい通夜だった。
外は雨は上がっていたが、3人の心の中は、まだ、積乱雲が発達しているかのように、悶々としていた。
真美と嵐は、河口の車で、近くホテルまで送ってもらう車中で、雨を降らせた。
「あったま、来た。母さん、結婚しなくて大正解だったよ。ほんとうなら、東京で、お父さんも暮らせたら良かったのに。」
「そうね、でもどんな家族でも、心配だったのね。私には、君は強い人だから、大丈夫だよって。最悪の言葉だと思ったわ。それでも嵐が生まれたら、嬉しかったみたいね。私も、能登まで連れて行ったわよ。あの人たちの嫌がらせは、今思っても腹が立つ。でも、河口さんで、良かった。河口さんでなければ、あの人たちに太刀打ちできないもの。」
「私も冷静でいるのが大変な人たちね。」
「でも、河口さんが、言いたい事、言ってくれて、ちょっとスッキリしたよ。」
「嵐さん、正彦さんは、なんで、最後の最後になって、あなたたちを呼んだのだと思います?」
「え、それは、あの火事が起こった真相を知っていたから、話すことで、加奈子さんと、彩乃を救いたかったという事なんでしょ。」
「そう、それもあるわ。でも、明日話すけど、この町の事で、あの人達には任せられない事があるの。」
「でも、自分たちはこの町の事良くわからないけど。」
「そうよね、分からないわよね。ごめんなさい、変な事聞いて。すべては、明日ね。あと、彩乃さんも、明日の葬儀のあと、来てもらえるように話したけど、来てくれそう?」
「それは、大丈夫だと思うけど、でもなんで、彩乃まで。」
「これも、正彦さんからの遺言の中に書かれていることなの。あの方たちには内緒にね。」
「もちろん。でも、明日、あの人たちと彩乃が喧嘩になりそうで怖いよ。あの、彩乃にはあのことは話すんですか?」
「それは、嵐さんが、やらないと。誰もできない事よ。」
「そうだよね。やっぱり。」
「嵐、明日でなくても、良いと思うけど、なるべく早めの方が良いわね。言いにくくなるし。あなたも辛いでしょ。」
「分かった…。え~でも、やっぱり気が重いな…。」
―翌日
「遺言なんて、信じないからな。」
「そう、じゃ、この内容の事は放棄するのね。」
「内容にもよるけど。」
「それは都合良すぎるんじゃないの?」
「何でもいいから、早くしてくれ。」
早速、渡辺家の家の中は、険悪な空気に染まっていた。
翌日、葬儀のあとの火葬を終え、渡辺の家で、皆集まっていた。
河口は20畳の畳の広間に、皆を集めた。
「彩乃は、もう少ししたら着くって。」
「分かったわ。さ、皆さん、適当に座ってください。」
「それでは、始めます。」
河口美紀は、封書を切り、遺言書を読み上げた。
「この遺言書の執行は、成年後見人を依頼している、弁護士、河口美紀氏が執り行う者とする。
遺言者、渡辺正彦は、下記の財産は、渡辺 和明に相続させる。
1. 渡辺正彦名義の土地、建物。
2. 渡辺正彦名義の田畑の全て。但し、耕作目的に限るものとする。やむを得ず売却した場合は、得た収入を、内田町に寄付するものとする。
遺言者、渡辺正彦は、下記の者に、以下の財産を相続、又は下記の項目に対し充当する。
1.渡辺正彦の預金の3割は、斎藤真美、嵐に相続させる。
2.渡辺正彦の預金の7割は、父、介護費等、渡辺昭に関わる全ての物に充当する。但し、昭、死亡の場合は、残額を内田町へ寄付をするものとする。これは、渡辺昭の意思であることを確認している。(ビデオ参照)
2018年 1月 20日 渡辺正彦
※葬儀のあと、遺言を公開するにあたり、父、渡辺昭を撮ったビデオを見せる事。
「なんだよ、金にならないんじゃねえかよ。そんなの受け入れられねえよ。」
「ビデオを今から、ご覧いただきますね。」
ビデオには、昭が、元々、慢性腎不全を患っていた中で、アルツハイマー型認知症と診断され、また息子の正彦が肝臓がんを診断されたことから、どちらも、そう長くは生きれない事がわかり、認知症が進行する前に、自分の意思を、記録するために撮ったものだった。
『自分の人生は、後悔しかない人生だった。かなり強引なこともしてきた。孫の嵐にも、じいちゃんらしい事出来なかったな。真美さんにも悪い事をしたと思っている。何か残してやりたいが、そこは正彦に任せるよ。智子、加奈子さん、美川の家の人たちにも、謝っても謝りきれない。自分の名義の家や田畑は、正彦名義に変更したが、正彦が亡くなった場合は、和明に譲ることにする。和明の事だから、売る事を考えているのではないかと思うが、田畑を耕作し、しっかり守って欲しい。和明は不満もあるだろう。正彦には内緒でこれまでも、援助してきたつもりだ。分かって欲しい。あと、祠の再建を考えてほしい。自分の預金は、和明への援助や、無駄なことに使ってしまった。今は、正彦に助けられている。自分では出来ないので、無責任ではあるが、意思のある者たちで考えてほしい。自分がこの先、認知症で、何も分からなくなると思い、このビデオを撮った。本日2014年、1月20日以降、正彦にすべてを任せることにする。正彦か亡くなった時に、これを公開してほしいと依頼してある。』
「あと、最後にもう一通、あります。これは、正彦さんと、昭さんのお願いです。ビデオの中で話されていた祠の事です。15年前に、祠が焼失したと聞いていますが、その祠を再建して欲しいと言うお願いです。」
「河口さんよう、親父は、あんなくだらない神話だって言ってたじゃないか。」
「後悔していたそうよ。祠が、焼失して、蛭ヶ湖を埋め立ててから、災害が多くなっているって。埋め立てた場所は元には戻らないけど、治水を兼ねた、何か公園も作って欲しいと。」
「そんなもの、町がすることだろ。そんな祠なんかに税金をかけるとは思えんが。」
「もちろん、町の方にも、話してあります。前向きに検討するとお返事いただいております。ただ、町だけでは進まない話なので、中心メンバーとして、どなたか、祠の再建と蛭ヶ湖の公園の造設をお願いできる方いませんか?」
「そんなの無理だろ。無駄な時間とお金をかけてまで、誰がそんなのやるか。」
親戚、近所の者たちが、非難や拒否をする意見が多い中、一人の手が挙がった。
「じゃ、私がやるよ。嵐、ほら、手、もっとハッキリ上げてよ。」
「えっ、あ、彩乃、いつの間に。」
「みんなが、ビデオ観てる時に来た。嵐、うちらが、やらなくて誰がやるの。あの場所、祠は、この町には必要なのよ。」
「誰だ、お前は?」
「櫻井加奈子の娘よ。櫻井彩乃。」
周りが一斉にざわついた。
「加奈子って、15年前、火事で亡くなったんだよな。その娘か。なんで、今、ここにいるんだ。」
「ここに、正彦さんが来るようにって言われたのよ。そして、母、加奈子は生きてるわよ。亡くなったのは、智子さんの方。」
「そんなバカな。鑑定されたはずだろ。」
「双子だもの、DNAは一緒。母と私も親子だとも証明されたわ。」
「双子って噂、本当だったんだ。なんかわけわからないんだけど。」
その、まとまりのない騒々しさは、止まりそうもなく、河口がは声を大きくした。
「あの、すみません。聞いてくださーい。では、祠の再建の件は、このお二人にお願いしてもよろしいでしょうか?」
河口の声に、一旦、静まるが、再び潜めた声々が聴こえる中 正彦の友人の岡田が手を挙げた。
「自分も協力するよ。正彦からは、よく聞いていたことだから。」
「物好きもいるもんだな。」
また、ざわつきがぶり返した。
大きな溜め息をついた河口は話を進めた
「ありがとうございます。では、この3人に、町と協力して、祠と公園の造設をお任せしたいと思います。皆さん、よろしいでしょうか?挙手お願いします。」
ほとんどの人の挙手を確認した河口は、最後に封書の内容を、読み上げた。
「それでは、この祠の再建に関しての、もう一つの遺言です。
『祠の建設と蛭ヶ湖の造設を担って頂く方には、自分の保険金、5000千万円を託します。
保険金の受取は、真美さんになっております。もし、嵐さんでない方が、祠の建設をするのであれば、その保険金を譲る』
とありましたが、嵐さんと彩乃さんが手を挙げてくれたので、岡田さんとこのお金を自由に使ってもらいます。あとこれを。」
河口は、桐の箱を、嵐に手渡した。
「嵐さん、これ開けてみてください。」
葉書ほどの大きさの桐の箱の中には、白綿に包まれた、茶色の何かひからびた物が入っていた。
「何、これ、なんかカサカサしてる。ほら臍の緒ってあるじゃん、茶色で乾燥して縮んで小さくなったやつ、あれみたいよ。それにしては、ちょっと大きいけど。何かのミイラかなんか?」
「これは、白い蛇の抜け殻なの。」
「えっ、うそ、これが?蛭児姫の伝説のやつじゃん。」
「彩乃さん、よく知ってるわね。そう、その白蛇。」
彩乃は、嵐から受け取った箱の中のものを、いろんな方向から、念入りに見た。
「ほんとにあったんだ。すごい。えっ、これって祠に祀られてたんじゃ?祠は燃えたんでしょ。」
「あのね、実は、智子さんが子供のころ、いたずらで、これ、持ってきちゃったのよ、誰かにお金持ちになるって言われたとかで、でも戻そうとしてたところに火事になったから、家に置いてあったけど、肝心の智子さんは気持ち悪いからって、加奈子さんに譲ったそうよ。でも結局、加奈子さんが、この町出ていく時、正彦さんに持ってきたみたいね。」
「へえ、これは、燃えずに済んだんだ。私みたいね。あの智子さんに、これだけは感謝しなきゃね。じゃこの白蛇の抜け殻を、祀らなきゃいけないのね。あれ、これ、重なっている?二つあるよ。」
「そう、くっついちゃってるけど、二対あるの。不思議ね、あなたたちが持ってると、色がきれいになった感じ。黒ずんで、細切りの昆布みたいだったけど、するめみたいになってる。」
「河口さんって面白い。味のある例えだね。」
「そう?でもほんとに色が薄くなってる気がする。」
「そんなのずるくない?先に、お金の事言ってよ。」
和明の妻が、話に割って入ってきた。
「それを先に言うと、お金目的で祠を建てるっていうでしょ。純粋な気持ちを試すために、お金の事は後で言ったのです。これも正彦さんの指示ですよ。」
「信じられない。」
そういい放った妻を見て、嵐と彩乃はハイタッチをして喜んだ。
真美は河口さんに耳元で声をかけた。
「これって、もうこうなるって分かってたんでしょ。」
「もちろん。分かり易い方たちなので、助かったわ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます