第20話 嵐へ、父が語った最期の言葉。

「真美、嵐も、よく来てくれたね。すまない。もう、起きれそうもない。」

 

 父の姿は、前回に来た時よりは、明らかに衰弱していた。

 

 声も一段と弱々しく、途切れそうな気力で自分の姿を保っていた、

 

「無理しないで、このままでいいから。」

 

 看護師が話やすいように、マスクから、鼻からの酸素吸入に変えてくれた。

 

 真美は、血色を失いつつあるカサついた正彦の手の甲に、そっと手を添えた。

 

「声出すのも、力が入らなくてね、思ったように声が出ない。聞き取りづらいかもしれないけど、辛抱してくれ。」

 

「いいよ、ゆっくりでいいから。」

 

 真美は、正彦の声が聞こえるように、枕元に椅子を近づけた。

 

 嵐も恐るおそる、父の顔に自分の姿を近づけた。

 

「この前は、申し訳なかった。せっかく来てくれたのに、途中で、終わらせてしまって。」

 

「そんな、謝らないで。」

 

「今日が、最後になる、と思う。嵐にはちょっと、酷な事を、言うことになる。いずれ、思い出した時に、自分を責める事になる。嵐は優しい子だ。自分で抱えてしまって落ちていくのが、分かるんだよ。だから…今話す。お母さんと良く考えるんだ。」

 

 真美は、嵐の腕を擦った。

 

「気をしっかりとね。」

 

「智子と加奈子さんのことから話すよ。子供の頃、二人はとても仲が良かった。よく祠でも遊んでたんだ。お互いの両親は、嫌だったみたいだけどな。

 

 いつも、智子が加奈子さんの真似をしてた。本当に双子のようにね。加奈子さんの物は、智子も欲しがった。

 

 それで、加奈子さんの旦那さんも、自分のものにしてしまったんだ。

 

 それも櫻井加奈子という名前まで。

 

 智子は、ほんとなら、自分もこの幸せな暮らしを、するかもしれなかったのにと、出生時の医療ミスをネタに、櫻井の家に、入り込んだんだ。そして、男の子が生まれた。

 

 だから、娘の彩乃ちゃんは、物心ついた時から、智子を母親と思っていたと思う。

 

 そして、智子は『これからは、智子として生きてと、でなければ、彩乃に何するか分からないよ。』と、加奈子さんを脅した。言ってみれば、彩乃ちゃんは人質だったんだ。

 

 だから、時々、智子として彩乃ちゃんを連れてきては、うちで遊ばせたたよ。それは許された。双子の間だけど、主従関係というやつだな。

 

 その時に、嵐も来てたことがあった。

 

 そう言われても、加奈子さんは、加奈子としても、智子としても生きていくことが、できず悩んでいたよ。」

 

 

 正彦は、自分の呼吸を整えながら、ゆっくりと話を続けた。

 

 

「彩乃ちゃんと、知り合いなんだって?お母さんが、教えてくれたよ。驚いた。これは運命だな。言わないでおこうと思ったけど、やっぱり言っておいた方がいい。嵐は彩乃ちゃんと何を話したかなんて、覚えてないと思う。

 

 -何気ない、言葉だったんだ。

 

 嵐が、まだ小さかったころ、父の昭は、嵐を膝に座らせて一緒に絵本を読んであげてたんだ。」

 

「母さん、僕、おじいちゃんにそんな事してもらったことあるんだ。」

 

「そう、たまにだけど、他の人に見られないように来てたのよ。血の繋がった男の子の孫だもの可愛がってくれてたわ。」

 

「親父は、嵐を本当に可愛がってたよ。それで、かちかち山って話、わかるか。」

 

「うん、知ってる。狸に騙されて、殺されたおばあさんの仇をとろうとおじいさんが、ウサギに相談して色々な手段で、やっつけるという話だよね。」

 

「そうだ。子供に聴かせる、話としては、とても残酷な話だ。この話の中で、ウサギが狸が背負った柴に、火打石で火をつけるという話がある。結局、火では死ななくて泥船で沈められて狸は死んでしまうんだが、親父も、誰かに意地悪されたらんだって、そう煽ってたんだ。

 

 だから、火で意地悪なやつを、やっつけることができる、と思ってしまったんだな。

 

 自分もその場にいたから、親父に、嵐にそんなこと言うのはやめてくれ、って言ったんだけど、そんなもん、いつまでも覚えてるか、って聞かなかったよ。」

 

「昭さんは、そういうとこあったわね。いつも嵐に何言うかとハラハラしてたわ。」

 

「それで、嵐が10歳かな。加奈子さんが、彩乃ちゃんを、連れてきてた。7歳くらいだった。彩乃ちゃんが、両親のことや弟の事を、大っ嫌いだの、死ねばいいだの、過激な事を言っていた。辛い目に、あってたんだろう。加奈子さんからも、それとなく聞いてたし、袖口から、見える腕とかに痣が見えてた。

 

 それを、聞いた嵐が、かちかち山の絵本、を持ってきて。それでな…。

 

 正彦は、次の言葉が、なかなかでなかった。

 

「もしかして、まさか…。」

 

「嵐、いいか、悪気なんて、なかったと思う。子供が、言ったことだ。

 

 って。

 

 ここにも、書いてあるって、彩乃にかちかち山、の絵本を見せてたよ。おじいちゃんも言ってたしって、覚えてたんだな。そんな事、絶対に、しちゃだめなんだよって。強く叱った覚えが、ある。」

 

「それって…。」

 

 嵐の顔が青ざめた。

 

「そう、次の日の朝、4時、あの家が燃えた…。たぶん、火をつけたのは、彩乃、ちゃんだ。加奈子さんが、見に行った、時は、彩乃ちゃんが、立たされている、ところが、窓から見えた。何か、臭って、火に気が、ついて、救い、出そうとして、家の中に、入ったんだ。そしたら、もう、火が、一階全体に、回ってた。」

 

「そんな…。彩乃が…。嘘だ、そんなの嘘だ。僕が、言った…。そんなことって。」

 

「加奈子さんが、この町を出た、のは、彩乃ちゃんを、守りたかったからだ。彩乃ちゃんが、火をつけた、、なんてことに、なったら、この子は、生きていけない。自分が逃げる事で、自分が疑われる、ことで、娘に目を向け、させないためだ。」

 

 正彦は途切れ途切れの言葉を必死に繋いでいた。真美も、嵐も、正彦の必死に語る姿を、止める事は出来ず、その命を懸けた声を、ただ聴くしかなかった。

 

 嵐は呆然と、言葉を無くしていた。

 

 真美はそんな嵐の冷たく汗ばんだ手を強く握りながなら、泣いてた。

 

「これが、あの火事の真相だ…。」

 

 正彦の呼吸が荒くなってきた。

 

 「真美、すまん、コール…。」

 

 看護師は、モニターの数値をみて、酸素吸入量を上げ、マスクに戻した。

 

「正彦、もう、いいわ。もう。」

 

 正彦は、マスクの中で吐く荒い息で、真美の声も聞こえないのか、話を続けた。

 

「あの親父が、嵐に見せた絵本で、あんな事に。ほんとなら、やってはいけない事をおしえなきゃ、ならないのに、煽ってしまった。このまま、自分が、黙っていれば、いいと思った。でも、加奈子さん、は、この苦しみ、から抜け出せない、まま、ずっと、続いていく。自分の、名前を、捨ててまで、生きて、いくのは、酷だ。彩乃ちゃんも、いつか、思い出す。これから、まだ、長い、人生、、があるんだ。加奈子、さん、と、彩乃ちゃん、親子に、戻って、欲しい。嵐、その役目、お前が、する、んだ。」

 

「そんな…僕には、言えない。彩乃にそんな事言えない。」

 

「嵐、辛いよな、苦しいよな、でも、のりこえ、て。」

 

 正彦は、目を閉じた。

 

「お父さん…!」

 

 嵐は泣いて、声にならない声で呼んだ。

 

「嵐、てを、にぎって。たのんだぞ。加奈子さんと、彩乃さん、をすくえるのは、嵐、お前だ。もう、私の、やくめはこれで、おわった…やっと、らくに、なれるよ。真美、真美、いるか。」

 

 嵐と真美は、正彦の手を握った。

 

「ここにいるわ。」

 

「嵐を、たのむ。きっと、のりこえ、られる、あの子は、つよくて、やさしい子だ。」

 

 

「わかったわ。もう喋らないで。」

 

「あらし、ありがと。お父さんって言ってくれて。おかあさん、たのむぞ…。」

 

 正彦の声は、もう、ほとんど聞き取れなくなっていた。

 

「うん…。」

 

「さいごに、おとうさん、らしい、ことできた、かな。いまが、いちばん、しあわせ、だよ。ありが、とう…。」

 

 これが、正彦の最期の言葉になった。

 

 それ以降、意識が低下し、3日後、真美と嵐に看取られ、静かに息を引き取った。

 

「お父さんの最期の言葉に、ちゃんと応えないとね。」

 

「うん、でも、自分には重すぎるよ。」

 

「でも、あなたしか、いないのよ。」

 

「僕が、あんなこと言わなければ。」

 

「現実を受け止めることは、辛いことだけど前に進まないと。乗り越えるには時間はかかると思うけど。」

 

 嵐は、父の最期の言葉を重く受け止め、これからの重責に耐えていた。

 

 お父さん…。僕には重すぎるよ。

 

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