第18話 加奈子と智子

「こんにちは。洋子です。 加奈子?加奈子なんでしょ?」

 

「…。」

 

 

 洋子は、女性の背中に声をかけた。

 

 

 女性は、洋子の声掛けにも、ベッド上の端坐位で、背筋を伸ばし背を向けたままの姿勢で、無言を続けた。

 

「加奈子さん、彩乃さんは、DNA鑑定の検査受けてくれたよ。結果が出たら、黒崎さんにも会うって言ってる。それで、どんな用事かは分からないが、彩乃さんは、今、能登に行ってるんだ。」

 

「野崎さん、彩乃、能登に行ってるの?そうなんですか。でも良かったわ。検査受けてくれて。」

 

 二人は、わざと女性に聞こえるように、意識して会話をした。

 

「加奈子の友達にも聞いてみたのよ。仲良かった皐月ちゃんに。彼女は結婚はしてないみたいね。けど、その分、仕事頑張ってるわよ。皐月ちゃんに聞いたら、旦那さんの光一さんと、智子さんの事で悩んでたって。自分の存在が消えてしまったようだって言ってたんだってね。彩乃の事も心配してたって。私には、あまり言ってくれなかったけど、あなた友達には相談してたのね。あの家には、加奈子の居場所が無かったのね。私は、自分の家族の事で精一杯で、ほんとに相談にも乗ってあげれなくて、ごめんね。苦しかったね。辛かったね。」

 

 野崎たちは、鼻をすするような音とともに、背中を向けた女性の身体が、少し、震えているように見えた。

 

「加奈子、また来るわね。」

 

「今度、彩乃さんも連れてくるよ。」

 

 野崎らは、女性との会話は一言も出来なかったが、女性が加奈子であると確信した。

 

「さっき、看護師さんも左利きだって教えてくれたし。加奈子で間違いないと思う。自分を名乗れないなんて…。またどっか消えちゃうか心配。」

 

「橋本が、上に掛け合ったみたいだけど、無理みたいだね。時間あるとき、なるべく来るよ。黒崎さん、彩乃との親子鑑定の結果がでたら、また連絡します。」

 

「私も、時間できたら、また来るようにします。」

 

「加奈子の事、母にも伝えておくわ。びっくりするだろうな。火事で亡くなってると思ってるし。でも智子さんだってのね。考えたくはないけど、火事、加奈子が何か関わってるのかしら。だから、名乗れないのかな。」

 

「加奈子さんが、真実を話してくれるまで、それは、分からないよ。爆発事故も事故なのか、事件なのか。」

 

 

 

 彩乃は、嵐と別れ、ある施設を訪ねていた。

 

「あのすみません、櫻井彩乃と言います。美川文子さんの面会に来たんですが、できますか?」

 

 職員に案内された談話室で待っていると、高齢の女性が、車いすを自走しながら現れた。

 

「彩乃、彩乃なのかい?」

 

「そうよ。お久しぶりです。」

 

 彩乃はしゃがんで、文子の手を握った。

 

「さあ、ここへ座って。まあ、大きくなって。元気だったのね。良かったわ。でもどうしたの。よくここが分かったわね。」

 

 文子はソファに彩乃を促し、その隣で車いすを止め、彩乃と横並びになった。

 

 二人は手を握り合い、会えなかった長い時間を埋めた。

 

「こっちの方へ来る機会があって、私が、文子ばあばに似てるって、声をかけてくれた人がいて。その人に聞いたの。」

 

「そうだったのかい。ばあばって、そう呼ばれるの、十何年ぶりかね。彩乃の可愛い声が耳にまだ残ってるよ。でも、よく来てくれたね。今はどこにいるんだい?」

 

「東京にいるの。」

 

「東京?そうなんだ…。」

 

 彩乃は、握った手を離し、姿勢を整え、文子の眼をじっと見て聞いた。

 

「あの、ばあば。お母さんの事なんだけど、あの火事の時に死んだのは、ほんとにお母さんなの?」

 

「彩乃、どうしたの、急に。久しぶりに会いに来てくれたかと思ったら、そんな話。忘れたいのよ、火事の事はもう。それに、あの時、加奈子だって証明されたんじゃないか。」

 

「うん、そうなんだけど…。今、東京の病院に入院している人がいて、お母さんソックリで。本人は名前を忘れたって。だから、誰か分からない状況なの。」

 

「智子さんじゃないか。ほら、火事の時からいなくなったって聞いてるし。」

 

「私もそうだと思ってた。でも、洋子おばさんが覚えていた特徴が、母なのよ。だから、文子ばあばが何か知らないかなって。」

 

「何を?」

 

「もしかしたら、火事で亡くなったの、智子さん方じゃないのかなって。そんな気がして。」

 

「だから、鑑定は加奈子だって。」

 

「あの、お母さんは…智子さんと、双子で生まれたんでしょ。渡辺さんの息子さんの正彦さんが、みよさんから、聞いたそうよ。それに双子はDNAが同じなんだって。」

 

「えっ、なんで、正彦さん?どう繋がってる?」

 

「正彦さんの息子さんと、私、知り合いなの?」

 

「えっ、そうなのかい。驚いた。息子さんがいたなんてね。知らなかった。そうか、そこまで知ってるんだね。隠してもしょうがないね。そう、その通りだよ。二人は双子だよ。なぜ、それぞれで、育ったかも聞いたんだね。」

 

「うん。自分が産んだ子供をあげなきゃならないなんて、残酷な話だと思った。文子ばあばも、辛かったんだね。」

 

 彩乃は、文子の手を両手で包んだ。

 

「そうだね、もう遠い昔のことなんだけど、今も時々、夢に出てくるよ。二人とも、自分たちが双子だって、たぶん気が付いていたと思う。性格は正反対だけどね。」

 

「私ね、持ってる小さい頃のお母さんとの写真と、思い出す母親のイメージが違っていて、どっとがどっちだか、分からなくなてって。私には、冷たい母と、暴力をふるう父親の姿しか思い出せない。母は弟ばかり可愛がって、私は…。」

 

 彩乃はそれ以上の言葉を出せなかった。

 

「彩乃、辛い思いさせたね。」

 

 文子は彩乃の頭を抱き寄せた。

 

「彩乃が思っている通り、その入院の女性は、加奈子だよ。そうだね、娘だもんね。誰にも言ったことなかったけど、話さなきゃならないね。」

 

「ありがとう。ばあば。」

 

「加奈子から、相談受けたのは、もう修復が効かない状況になってからだったのよ。彩乃の本当のお父さんは、あなたが生まれてすぐ出て行ってしまってね。加奈子は再婚したんだけど、その前から、再婚した光一さんは、智子と出来てたんだよ。光一さんは渡辺家の娘と結婚するより、医者の美川の家との結婚の方が良かったんだろうね。早くに、加奈子は追い出された格好になった。智子は、加奈子として、美川家に入り込んだ。自分の生まれた経緯は聞いてたと思う。それをネタにされ、お父さんのために、加奈子も黙るしかなかった。でも彩乃だけは取られたくないから、智子として彩乃と過ごす時間を作ってたの。うちにも彩乃を連れてきてたわ。その時に加奈子が理不尽な目にあっていることを、聴いたのよ。私にはどうしてあげる事も出来なかったのよ。」

 

「だから、あの時、火事の時に家の中にいたのは、私がお母さんだと思っていた智子さん…。」

 

「そう、智子の方だよ。加奈子は、何か胸騒ぎがして、心配で家に見に行ってるんだよ。そして、あの火事に遭遇した。慌てて中に入ったら、彩乃が立ってたんだ。無我夢中で、救い出したんだって言ってたよ。このまま、彩乃を連れて行きたかったが、何を思ったのか、そのまま置いてきたんだよ。加奈子はその足でうちに来て、自分は遠くに逃げるからお金が欲しいと。だぶん、疑われるから、銀行は使えないと。何がなんだか、状況が掴めなかったけど、切羽詰まった感じだったから、お金は出したわ。家族には内緒で掛けていた自分の保険金の受取人を両親にしておいたから、それを受け取って欲しいと。その後は、連絡は一切なかったから、どうしてるのかと思ってたわ。あの子は、加奈子と言う人生を捨てたのね。でも保険金は申請しなかったわ。あの子を本当に死なせる事になってしまうもの。」

 

「ばあば、ありがと。私ね、母をずっと憎んでた。死んだと思ってても憎い気持ちが消えなかった。私は生まれたらいけない子だったんだと思ってた。でも…私が憎んでたのは、お母さんに成りすました智子さんの方だったんだね。」

 

「もっと早く話してあげれば良かったね。智子も、私たちが犯した罪によって、あんな子になってしまったんだ。亡くなったって聞いた時は、ショックだったよ。自分の子供だもの。でも、孫の彩乃まで、こんな辛い思いさせてたなんて。」

 

「ううん、ばあばは悪くないよ。しかたがなかったんだよ。」

 

「彩乃、優しい子だね。ありがとうよ。」

 

「今日、ここへ来て良かった。」

 

 彩乃は一枚の写真を文子に見せた。

 

「この写真、私が2歳か3歳か、同じ桜貝のストラップを持って、お母さんと写っているでしょ。この写真の桜貝のお母さんは優しいの。ばあばの話でようやく分かった。この人がお母さんなのね。」

 

「あら、この写真、ばあばが撮ったんだよ。懐かしいね。」

 

「そうなの?」

 

「覚えてるよ。この桜貝、ばあばも持ってる。ほら、こうやって、お守りにしてね。」

 文子は、きれいな小瓶に入れて持っていた桜貝を見せた。」

 

「彩乃はまだ持ってるの?」

 

「持ってるけど、割っちゃった。」

 

「あら、そうかい、今度、また買ってあげるよ。」

 

「買わなくていいよ。割れたのくっつけるから。あの桜貝じゃないとダメだから。」

 

 文子にとっては、彩乃とこうやって話をしているのが夢のような時間だった。

 

「彩乃、あなたが、目の前にいるのが、信じられないわ。」

 

 文子は彩乃の頭を撫でた。

 

「私も。ばあばは魔法使いね。とっても気持ちが安らぐ。でも、もう行かないと。また来るから。」

 

「今度は加奈子も一緒だと嬉しいけど。」

 

「そうね。」

 

 彩乃は笑顔で返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る