第17話 嵐の父が語った事。

 病室では、渡辺正彦が、座って待っていた。

 

「正彦さん、横になってていいのに。」

 

 河口美紀が、正彦の背中を擦った。

 

「お久ぶりです…。正彦、痩せたね。」

 

「久しぶり、真美。元気そうだね。安心した。自分は、こんなになってしまったよ。」

 

 正彦は、黄疸で黄色くなった自分の張りの無い頬を擦った。

 

「嵐か、立派になったな。真美、ありがとな、すまなかった。何にもできなくて。」


 正彦は、自分の頭の重みを支えるのも、やっとという感じで首をもたげた。

 

「いいのよ、それより、横になってて。」

 

「いや、座ってた方が、真美と嵐の顔が良く見えるから。」

 

 嵐は、なかなか声がかけれずにいた。初めて会うような感覚と、死を前にした人間と、どう向き合っていいのかが分からなかったのだ。

 

「嵐、嫌かもしれないけど、親父に似てるな。」

 

 嵐の戸惑った様子に正彦から声をかけた。

 

「でも、性格は、正彦に似てるわよ。優しい子よ。」

 

「はは、そうなのか、それは良かった。」

 

 力無い声ながらも、息子を前に、必死に頑張っている姿が、真美には辛かった。

 

「嵐、お母さんを頼むな。」

 

「うん、わかったよ。」

 

「頼もしいな。安心したよ。遠いところ、すまなかったね。どうしても伝えておかなくてはならない事があったんだ。」

 

「お願いだから、横になって。」

 

「寝てたら、声が出しにくいから。大丈夫、座って話す。」

 

 真美の声を手を、正彦は挙げて遮った。

 

 正彦は、看護師の介助を受け、腰回りに枕等を添えて、ベッドで端坐位の姿勢をとった。

 

「私も同席しててもいいですか?」

 

「あぁ、かまわないよ。」

 

 河口も真美の隣に座って、正彦の話を聞いた。


「何かありましたら、すぐ呼んでください。」

 

 そう言って居室を出て、ドアを閉めた看護師の姿を確認してから、正彦は語り始めた。

 

「話は自分の両親の事と、姉の智子が生まれた時の事だ。母親のが亡くなる前に、父には内緒で話してくれたんだ。噂があったと思うが、その噂の通り、姉は櫻井加奈子さんとは双子だった。でも、違う家族で育った。その理由を母は明かしてくれた。昭和44年、母は美川産院で出産した。その出産が長時間かかってしまって、その上、赤ん坊は臍の緒を首に巻いて出てきてしまったんだ。すでに赤ん坊は亡くなった状態だった。女の子だった。同じ日の少し前の時間に、その産院の産科医の妻の美川文子さんも、出産をしていた。元気な双子の女の子だった。うちの母はショックで、これは医療ミスだと、美川医師に訴えたそうだ。父には、この時、町議会議員の話も出てた。女の子が生まれると、周囲にも話して、めでたい事が続くと、盛り上がってたそうだよ。だから、父的には死産なんて、とんでもない事だったんだろうね。今思えば無茶苦茶な話だ。だから、父は母の訴えた医療ミスという言葉に乗って、美川さん夫婦と取引をしたという事だ。両親は、美川さんの双子の片割れを欲しいと、出来なければ、その医療ミスを世間にばらすと。美川さんも、そんなことをされたら医師としてやっていけなくなると思ったんだろう。出生届も偽造し、双子の片方と死産した子を入れ替えた。これが、真実だ。美川さんの妻はどんなにか辛かったかと思うと。うちの母も、今になって、なんであんなことをしたのかと、後悔と懺悔の気持ちしかないと言っていた。泣きながらこの話をしてくれたんだ。」

 

 正彦は、ここまで言ってから、倒れ込むように、横になった。

 

 真美は、慣れた動作で、正彦の体位を整えながら、声をかけた。


「正彦、もう、いい、もういいから。もう充分、分かったわ。」


「いや、まだ、あるんだ。話さないと…。あの火事で亡くなったのは、智子だ…。智子なんだ。」

 

 正彦の呼吸が荒くなってきた。


「正彦、ありがとう。よく話してくれたわ。辛かったね。」


「まだ…まだ…話すことが…ある。一番伝えたいことが…。」


「正彦、また、近いうちに来るから。必ずくるから。今日は、もう休んで。お願い。」


「すまない…。情けない…。」

 

 病院を出た真美は涙ぐんでいた。衝撃的な話の内容よりも、正彦の気持ちを思いやった。


「ずっと抱えて生きてきたのね。なんか、責任感じる。」

 

「真美さん、あなたが、もし、いたところで、状況は変わらなかったと思うわ。正彦さんは優しいから、返って真美さんと嵐さんを守ろうと、心労が増すだけだったと思うの。」

 

 河口の言葉に真美は、正彦との結婚をしなかった理由を語った。

 

「そうかもしれない。私にも、詳しい事は話してくれなかったわ。結婚するつもりで、この町に来た時に、私は正彦のいないところで、昭さんの弟さん夫婦からも、噂のこと言われたんです。そうあの家族は親戚からも、擁護する人はいなかったわ。何時間も、親戚、ご近所の方から、あの家族のどれだけ迷惑をこうむったか、誹謗中傷を聞かされたのよ。もう来るなと。私は正彦の家族より、あの親戚や近所の方々が怖かった。お腹の中には、もう嵐がいたの。でも、その事は、正彦さんから止められてたこともあったし、あの人たちには言わなかったけど。とても、ここでの結婚生活と子育ては無理だと思ったわ。正彦と東京で暮らすことも考えたけど、正彦は両親や姉が心配で、ここを離れることは出来ないって。だから、未婚であなたを産んだの。」

 

「そうだったんですね。この後見人を受けるにあたり、ご家族のこと少し調査しましたが、ここまでとは、思いませんでした。正彦さんが、親戚を頼らなかったはずですね。昭さんは長男なので、親から受け継いだ、家と田畑があったのよ。でも、昭さんが、あんな感じだから、何度も、正彦さんに譲ってほしいと言ってきたそうよ。散々、ある事ない事を、言ってきて、これまでも、弟夫婦の借金を肩代わりしたりしてきたから、正彦さんも、意地になって、家と田畑だけは渡さないと言ってたらしいのよ。だから、弟夫婦は、正彦さんが結婚して、子供なんか生まれたら、もらえなくなると思たんじゃないのかな。」

 

「ひどい話だね。お父さんが可哀そう。彩乃にとっては、これまでの人生の意味が変わってくる内容だよ。でもなんで、こんな話、僕らにしたんだろう。ショッキングな話だけど、噂が本当で、火事で亡くなったのが智子さんだったって。冷たい言い方かもしれないけど、一緒に暮らしてなかった自分らには、あまり関係ないような気がするけど。」


「そうね、たぶん、一番伝えたいことを今度話すんだろうね。」


「なんか、怖いような気もするけど、自分が死ぬ前に、辛い身体を押してまで話そうとすることだから、ちゃんと聴いてあげないとね。」


「嵐、今度また、来よう。近いうちに。職場に、しばらく休暇お願いしてみるわ。」


「今日は、もう遅いし、ホテルに行こう。明日、彼女来るんでしょ?彩乃ちゃんって言うんだったわね。お母さんも会ってもいい?覚えてないと思うけど。その後、私、金沢まで行くわ。職場の子が、旅行に来てて、落ち会おうってなったの。金沢で合流ね。帰りの新幹線に間に合うようにね。」


「了解。彩乃は、あの火事の事は思い出したくないからか、そのあたりの事、覚えてないよ。だって、自分たち、初めて会ったと思っていたんだし。名前聞いても、全く記憶になかった。今日、お父さんから聞いたこと、明日、彩乃に話すよ。だって、亡くなったの母親だと思ってるし。」

 

 

 翌日、昼過ぎに、彩乃は祠があったらしき場所に着いた。


「やっぱり、彩乃の方が早かった。」


「こんにちは。嵐の母です。」


「初めまして、櫻井彩乃です。」


「ほら、やっぱり、初めましてだ。」


「えっ、会ったことないでしょ。」


「それ、今、話すから。」


「祠ってここにあったの?昨日、聞けなかったわね。でもどうして、この場所知ってるの?」


「母さん、それが、ロマンなの。」


「分かったわ。なんか、昔の子供たちの秘密基地みたいね。」


「そう、そう、そんなもん。」


「なんか、怪しいけど、じゃ、タクシー待たせてあるから、私もう行くわ。じゃ、金沢駅でね。あ、彩乃さん、嵐をよろしくね。バイバイ。」


「おまかせ下さい。」


「明るいお母さん、と言うか、仲いいね。」


「そうでもないよ。」

 

 彩乃は、穏やかな表情で真美の後ろ姿を見送った。


「さてと、祠なかったけど、礎石があった。ほら、ここ。」


「え、あの時みたいだ。というか、おんなじだね。」


「向こうと繋がってる?じゃ、こっから、あの神社に行けるかも?」


「違うよ、あの時の石3か所あったと思うけど、この石、ほとんど欠けて小さくなってる。他のも、微妙に。こっちの方が、年月が経ってるという事よ。」


「えっ、じゃあ、あの時も、タイムスリップしてたってこと?」


「まあ、すぐ神社戻れてるし、なんか中途半端だったね。タイムスリップしかけた感じ。そう、あと湖だけど、半分埋め立てたみたい。」


「半分も?」


「うん、近所の人に聞いたら、そう言ってた。場所も聞いたから、行って見よう。」


「近いって言ってたね。」

 

 二人は、祠の場所から草むらの中を、歩いていった。あの時の神社の方向だった。

 

「ほんとにこんなところにあるの?近いって、どこまでいくんだよ」

 

「埋め立てたから、遠くなったんじゃない?あ、あそこ、立て看板がある。」


 視力の良い彩乃が指さした方には、斜めに倒れかけた、木の看板が見えた。


「これか。蛭ヶ湖ってそのままじゃん。何か書いてある。」

 

 その昔、この国の蛭児姫と双子で生まれてすぐに亡くなった、娘が蛇に姿を変え、湖に消えた事が書かれていた。


「さすがに、殺されたとは書かれてないな。それにしても、この湖、埋め立てるだけして、ほったらかしじゃん。草ぼうぼうだし、ごみも多いし。」


「嵐、ちょっと静かにしてくれる?ここに居ると、湖から、誰かに呼ばれているような気がする。」

 

 彩乃は目を閉じて、静寂を聴いていた。


「神話だけど、私には、二人の魂を感じるの。祠が無くなって、湖が半分になって、悲しんでる。あのね、この辺、大雨で雨に浸かったことがあるんだって。田畑を増やしたくて、埋め立てたのに、大雨で湖の水嵩が高くなって、みんなダメになったことがあったらしいの。」


「そんな話、誰に聞いたの?」


「嵐、覚えてる?50年前の酔っ払い青年。もうおじいちゃんだったけど。」


「早く着いたから、蛭児神社行ったのよ。そしたら、神社の前掃除してた人がいたの。祠の事分かるかなって聞いたの。そしたら、あれ、文子じゃないかって。あの時と同じこと言ったのよ。な、わけないかてっても言ったけど。」


「あ、絡んできた男だ。なんで分かったの?なんか色々繋がるね。」


「あぁ、絡まれたとき、首のところに大きな痣が見えたのよ。それが、あった。」


「へえ、さすが、彩乃だ。よく覚えている。」


「その人も、埋め立ては反対だったんだって。でも、あの火事のあと、何故か、祠も燃えたらしいの。それで、ある人物が、あんな神話を信じて、くだらない事言ってるから、この町は良くならないんだとか言って、蛭ヶ湖を埋めて、そこに田畑を増やそうとしたらしいわ。反対してた人は多かったらしいけど、親から受け継いだ相続した土地を売って、そのお金で買収したとか。だから、罰があたったんだって。」


「ある人物って?」


「渡辺昭、あなたのおじいさんよ。」


「やっぱり、そんな気がした。そりゃ、嫌われるわ。昨日、その張本人の渡辺昭、自分のおじいさんと、父に会ってきた。」 

 

 嵐は、渡辺昭の現状と、父正彦から、聞いた事を話した。


「そうだったんだ。嵐のおじいさんとおばあさん、とんでもない事やってやんだ。それを受けた、うちの祖父母も良くないけど。でもやっぱり、そうだったのね。火事で亡くなったのは、智子さんの方なのね。でもなぜ、あの家にいたのかは、分からないけど。それに子供のころ、嵐と私会ってたなんてね。笑っちゃうわ。」


 彩乃は冷静だった。


「えっ、もっと驚くかと思ったのに。」


「なんとなくね、嵐とは、初めてな感じがしなかったの。あと、入院してる女性のことだけど、自分の母親の特徴があるって。色々と情報あわせたら、母親らしいの。でも、自分が憎んでた母とはイメージが違うのよ。それで、今日、こっちに来る前にDNAやってきた。」


「あんなに嫌がってたのに。でも、お母さんのこと、亡くなったって分かってからも何故そんなに憎むの。?」


「私がこれまで、どんな人生を送ってきたか。すべてはあの人のせいなの。あの人を恨むことで、私は生きてきたの。それに、母が死んだような気がしなくて。あの人も持ってた、桜貝のストラップも、割って捨てようと思ったけど、割れた桜貝が、あの人の姿に見えるのよ。割れた姿を見てると、笑いたくなるの。これが私よ。でも…私が憎んでた人は、生きてるってことよね。あの人が、目の前にいたら、私何をするか分かんない。だから、あの人も、それ感じてるから、自分を名乗らないんじゃない?でも最近、よくわからなくなってきた。」



「そうなんだ、ねぇ、達也ママがこの前言ってた、メグミさんだっけ、催眠療法って受けてみたら?」


「なんで、嵐まで、そんなこと言うの?ほっといてって。」


「だって、いつも、辛そうで、苦しそうで。少しでも彩乃が楽になるならと思った。」


「その話、禁句ね。」

 

 彩乃はそう言った後、頭を抱えだした。


「どうしたの、彩乃。大丈夫?」


「なんかね、たまに、誰かが、私の頭を揺さぶるみたいになるの。めまいがする。しばらくしたらよくなるから。大丈夫。小さい頃にはよくあって、記憶が無い時もあったけど、大人になってからは減った。」


「ね、彩乃、蛭ヶ湖の中に、大きな魚でもいる?さっき白い影が見えたような気がしたんだけど。あの白い蛇の雲かな。」


「水の中に?気のせいよ。もう大丈夫よ。帰ろうか。」


「一緒に帰ろう?」


「一人が楽だから、お母さんと帰って。それと、この町で会っておきたい人がいるの。」


「誰?」


「東京戻ってから話す。」

 

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