第12話 名前を捨てた女性

 野崎は、大掃除がてら部屋の模様替えをしていた。シーツ類もコインランドリーで洗濯をし、珈琲を美味しく飲むために、環境を整える事に夢中で没頭していた。


「まあ、こんなもんかな。」


 金沢の喫茶店の雰囲気が気に入り、あのイメージを再現…したかった。


「匂いはな、窓開けた方が臭うしな。芳香剤も、ベースの加齢臭にラベンダーの匂いをかぶせても、よけい気持ち悪さを増しそうだ。妥協も必要だな。」


 野崎はブツブツと独り言を言いながら、珈琲の準備をしていた。橋本を待っていたのだ。


 何故か、恋人を待つように、心は躍っていた。


 やっぱり、環境は大事だ。


「お、なんか、きれいになった?」橋本が入ってきた。


「いいだろう、金はかけれないから、色々工夫したよ。100均ばかりだが、どうだ。」


「どうだ、ってどうしたんだ。お前の変わり様の方が気になる。」


「金沢でね、好みの喫茶店があったんだよ。珈琲の味は、自分の方が勝ってると思ったけど、あの雰囲気で、美味しく感じるものだな。気分が落ち着いたんだ。心の洗濯した気分だった。」


「お前の口から出たセリフとは思えないな。でも、野崎って、数年に1度くらい、別人が出てくる時があるね。良い感じだよ。オヤジ臭も減っているし。」


「まあ、そういう時もないとな。そうか、そうか、いい感じか。じゃ、満を持して、さあ、珈琲を召し上がれ。」


「なんか、気持ち悪いな。」


「おかしいな。カーテンも洗ったんだぜ。空気もきれいになったろ?」


「違う、お前のその行動の変わり様がだ。しかし…うまいな。悔しいが、これだけは、認めるよ。」


「いやあ、気分がいいね。さて、環境は整った。話を始めよう。」


 橋本は、手帳を取り出し、刑事の顔に切り替えた。


「さて、あの身元不明の女性、櫻井加奈子の可能性がある。」


 これ以上の情報は出ないと思っていた橋本は、野崎の言葉を信用出来ずにいた。


「えっ、でもあの火事で亡くなったんじゃ。」


「双子で、生まれたって情報あっただろ。もう一人は死産だったという話だが、こんな噂がある。櫻井加奈子にそっくりな女性がいたんだ。あの火事のあと行方が分らなくなっている。」


「意味が分からん、噂だろ。何が言いたいんだ。」


「つまり、双子は二人とも生きて生まれたという事だ。一人は違う家族の子として育てられた。」

「そんな、大昔なら分かるが、出生証明書とかあるだろ。」


「櫻井加奈子の父親は産婦人科医だった。自分の産院で、妻は出産した。同じ日に女の子を産んだ女性がいた。その女の子と、櫻井加奈子がソックリという話だ。死産だったのは、もう一人の女性が産んだ子供ということだ。産婦人科医なら、偽造できる立場にあったんだよ。」


「なぜ、そんなことをする。動機はなんだ。」


「そこまでは分からない。家族間、あるいは、産婦人科医との間に何かあったかだ。」


「なんか、複雑だな。で、身元不明の女性がなんで、加奈子の可能性があるんだ。」


「加奈子とは言い切れないが、彩乃の反応もそうだが、加奈子なのか、そのそっくりの女性なのか。その二人のうちのどちらかだという事だ。一卵性の場合のDNAは基本同じだ。だから、15年前に亡くなったのもどちらかは分からないという事だ。」


「でも家族として、そこにいたのであれば、加奈子なんじゃないかな。」


「でもな、そっくりな女性は、渡辺智子というんだが、その火事のあと行方がわからないという事は、亡くなったのは、智子という可能性もゼロではない。」


「その辺の人間関係が良く見えんから、何とも言えないな。なんか、野崎は、あの女性を加奈子にしたがっている気がするな。」


「そうかもしれんな。加奈子の姉の黒崎洋子さんに会えたんだ。情報の住所には家が無かったが、偶然、自分の父を知り合いだと言う人に教えてもらった。金沢にいたよ。写真見せたら、妹みたいだと。姉の洋子さんが、加奈子だと、直感だろうが、そう言ったんだ。智子さんの事も知っている人が言ったことなわけだから、自分もそう感じたかもしれない。それと、あさって、確認に来る。DNAが同じでも違いはあるからな。姉ならわかるかもしれない。」


「それ、早く言ってくれよ。身元が分かるかもしれないな。でもなんで、お前の父親と知り合いが能登にいるんだ?」


「その話は今度、自分でも良くわからない事なんだ。」


「なんだ、それ。わかった。明後日だな、自分も行くよ。」


 


 野崎と橋本は、黒崎洋子と病院の受付前で、待ち合わせをした。


 3人揃ったところで、橋本が受付で警察手帳を提示し、面会する旨を伝えた。


 病室を移ったと、受付の事務員から伝えられた。


 橋本は、病棟のナースセンターで、看護師に聞いた。


「すみません、9月5日さんの面会なんですが。」

「9月5日に入院したんだ。」

「黒崎さん、さすが看護師さん。」

「そうなの。うちの病院も、名前がわからない患者さんは、入院日が名前になってますね。名前決めないと、電子カルテで管理出来ないので、医師が何も指示が出せないことになるから。」


 橋本は続けた。


「あの、病態は安定してるんですか?で、病棟ここに移ったんですよね。」


「まあ、意識はまだ戻らないんですが、バイタルは安定してるので。」


「意識は戻る可能性はあるんですか?」


「そういったことは、主治医に聞いてもらわないと。」


「すみません。今日は、もしかしたら、この方の妹さんかもしれないと言うので、お連れしたんです。面会は出来ますか?」


「そうなんですね。わかりました。」


 看護師は、急に態度が丁寧になった。案内された二人部屋の奥に、女性は寝ていた。


「黒崎さん、どうですか?」


「なんか、痩せちゃってて、確かに似てるけど。手、見てもいいですか?」

  

 右手の甲は火傷の跡があり、ほくろは分からなかった。


「すぐ、わかるかもと思ったんだけど。」


「この火傷、何か変だね。だって、左の腕の方が火傷ひどいけど、右は甲に部分だけだ。たまたまなのか。」


「手の甲の方は、最初からあったみたいよ。他の火傷は事故のものだけど。」


 案内してくれた看護師が教えてくれた。


「わざと、消した?」


「黒崎さん、他になにか、特徴ありますか?」


「残ってるか、分からないけど、あの子が保育園のころ、一緒に砂場で遊んでて、ガラスの破片を踏んだことがあったわ。どっちの足か忘れたけど、しばらく傷が残って、私にまだ傷があるって見せてくれたの。」


 看護師が、布団をそっとめくって足の裏を確認してくれた。


「もしかして、これかしら、薄くて、分かりづらいけど。」

 

 右足の裏の土踏まずには、2cmほどの線状に皮膚の変化を認めた。


 3人も、女性の足の裏を確認した。


「やっぱり、加奈子かしら。」


「あとは向こうで話そう。」


 橋本の促しで、待合室で話を続けた。


「姉妹のDNA鑑定は出来ないのか?」


「野崎、前言ったことなかったけな。親子鑑定の方が、確実なんだよ。姉妹、兄弟は難しいそうだ。」


「じゃ、やっぱり、彩乃しかいないんじゃないか。でもこれで、櫻井加奈子の可能性が濃くなってきたな。もし、故意にホクロを消したのなら、自分が加奈子でないと思わせたかった。逆に加奈子であると言ってるようなもんだ。足の裏の傷跡も証明の一つになる。」


「そうだな、明日にでも、鑑識連れて彩乃に当たってみるよ。鑑定ではっきりすれば、15年前の火事で亡くなったのは、智子の方になる。そして、二人は一卵性の双子だということもハッキリするな。」

 

 橋本は、手の甲の火傷のあとも聞きたくて、看護師に主治医との面談をお願いした。


「あと10分ほどで、他の患者さんの処置に来るので、そのあとでも良ければとのことです。」


「お願いします。」


 3人は待合室で待った。

「やっぱり、彩乃に会ってみたいです。」


「黒崎さん、分かりました。でも、昨日、今日と彩乃とちょっと連絡がつかなくて。」


「彩乃がその気になってからでもいいので。」


「橋本さん、先生が面談大丈夫ですって。」


 

 面談室では、女性の医師が、電子カルテを開き待っていた。


「主治医の朝倉です。」


「私、この事故を担当しています、橋本と言います。こちらは自分の妹かもしれないと来てくださった、黒崎さんと、その黒崎さんを探してくれた、この事故を追っている記者の野崎さんです。」


「わかりました。今の容態ですね。落ち着いていますよ。火傷も範囲も深さもそれほど、酷いものではなかったです。ただ、血液の検査では、栄養失調と脱水がひどく、そこに火傷だったので、一段と脱水や栄養も失われた状態でした。栄養と水分の補給の点滴で、改善してきた状態ですね。あと飛ばされたときに、細かな傷と、脳震盪で意識を失ったようです。私が思うには、もう、意識は戻っているのではないかと思います。他に、意識を無くしているような、所見は見当たらないですし。看護師もケアをしながら、本当に意識を失っている患者の感触ではないという声もあります。だから、意識的に、閉眼し、喋らないという事だと思います。」


「えっ、私たちの会話聞こえてたんじゃ。」


 黒崎が、焦った様子で、野崎に聞いた。


「もしかしたら、この病院抜けだすかもしれません。もし、この方の妹なら、いろんな事情で、本当の名前を隠してきてるかもしれないので。」


「もちろん、患者さんが、無断で外出しないように管理するのは、私たちの仕事でもありますが、故意的に行動をとろうとしている患者をずっと見張るのは厳しいです。どなたか、警察の方でも監視してもらえるといいのですが。」


「分かりました、上に掛け合ってみます。」


「あと、先生、右手の甲にも火傷の痕がありますが、看護師さんからは、今回の事故のものではないと聞きましたが。」

「そうですね、もうすでにありました。もう何年か経ってる感じですね。」

「あれって、わざと何かで、自分で作ったとは考えられますか?ホクロを消すためとか。

 」

「どうでしょうか。確かに、やけどの状態にして、乾燥させてホクロを取るとういうものありますけど。でも、傷の感じから、何回も傷つけた痕のようにも見えますから、故意かもしれませんね。断言はできませんが。」


「妹かもしれないと思ってきたんですが、痩せてるのと、もう、何年も会ってなかったので、自信がないです。足の裏の傷跡と、手の甲のホクロを消したかもしれない火傷痕で、加奈子かもとは思うんですが。」


「妹さんだといいですね。」


「娘さんがいることも分かっているのですが、中々難しい面もありまして。また、DNA鑑定までこぎ着けたら、先生、その時はよろしくお願いします。」


「橋本さんでしたよね。分かりましたよ。こちらでも、何か変わったことがありましたら、すぐご連絡しますね。」



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