第3話 櫻井彩乃

「私を買ってください。」

 

 櫻井 彩乃に言われた言葉を、野崎雅登は忘れない。

 

 あの日から、5年…。

 

 

 ある爆発事故で、意識不明で入院している身元不明の40歳くらいの女性がいた。事故は事件性は否定されたが、野崎は不審な点があるとして、ただ一人、週刊誌の記者として調査をしていたのだった。

 

 前に追っていた爆発事故との類似点があったからなのだ。

 

 その事故で、野崎は娘を失っている。妻は、この辛さを、どこにぶつけていいのか分からず、夫の犯人捜しも支えていたが、5年経っても状況は変わらず、徐々に、夫婦仲も上手くいかなくなっていた。妻から離婚を切り出され、3か月前に離婚が成立したところだった。そんな中、再び似たような事故が起こったのである。

 

 5年前の事故では、店の中にいた3人が犠牲になった。今回の事故で、その女性は唯一の生き証人なのである。ただ、意識が無い。女性が持っていた物からも身元を特定できず、保険証も偽造で、周辺の聞き込みも、その女性を見かけたものはいなかった。

 

「女性の身元はまだ分からないのか?」

 

 野崎は、友人でもある刑事の橋本瑛士に尋ねた。

 

「まだ分からないよ。血液型はA型、帝王切開の痕、あとの手掛かりは何も無い。意識もまだ戻りそうにも無い。持っていた桜貝のストラップなんて、海辺の観光地なら、どこでもありそうだしな。なんで、この事故にこだわる。」

 

「似てるんだ。あの事故と。」

 

「野崎、5年前の事故、まだ調べてるのか。」

 

「ああ、雑居ビルの小さな飲み屋、ガス漏れ、その時も誰か分からない遺体が1人。DNAはわかっても、名前までは分からないからな。失踪者にも該当しなかった。似てると思わないか。」

 

「それだけじゃな。まあ、娘さんが犠牲になってるから、誰かを犯人にしたいんじゃないのか。」

 

「いや、おかしいんだよ。娘が何故、あのビルにいたのか。まだ、19歳だ。飲み屋なんて行くはずがない。」

 

「最近の19歳なんてわからないよ。同級生だったら20歳の友達もいるだろうが。」

 

「だとしても、あんな、古めかしいとこに行くか?それに、他の犠牲者は、若い者はいなかった。不自然なんだよ。」

 

「でも、警察は調査した上で、事件性はないと判断したんだ。」

 

「今回のもな。」

 

「気が済むまで、調べるといいよ。」

 

 

 そんな中、野崎は聞き込み中、あの櫻井彩乃を見かけた。

 

 化粧は濃かったが、確かにあの彩乃だ。

 

 

 

 5年前、彩乃は、田舎から東京に出てきて、スナックでバイトをしていた。スナックの女主人は、アパート代や食費などを差っ引き、若い者に甘くしちゃいけないと、僅かな賃金しか支払っていなかった。そのため、近くの飲み屋でも掛け持ちで働いていたのだ。

 

 ある日、彩乃は、その飲み屋に来ていた客の野崎に誘いをかけた。

 

「私を買って下さい…。」

 

 まだ、あどけなさが残る少女は、生きる事を諦めたような眼で、自分を見た。

 

「お金が欲しいのか。店の金だけじゃ足りないのか…分かった。お前は買わない。そんな趣味はない。お金はくれてやるよ。」

 

 彩乃はポロポロと涙をこぼした。

 

「その代わり、そんな死んだ眼で見るな。」

 

 

 それっきり、少女は現れなかった。

 

 

「あの子はどうしたんだ?」

 

 それから間もなくして、野崎は、飲み屋の親父に尋ねた。

 

「彩乃か?辞めたよ。なんか、よう分からんが、一週間前だったか、その日を最後に来なくなった。」

 

 あの後か…

 

 言い過ぎたかな。

 

 あれから、5年。少女に似た女性を見かけた。

 派手な格好から見て、水商売か。

 

「野崎、どうした。お前、最近考え事してるのか、なんか変だぞ。」

 橋本瑛士が聞いた。

「そんな事はないよ。」

 

「あ、そうだ、野崎、あの桜貝のストラップ、能登の方のお土産て見かけたってやつがいたよ。」

 

「能登かあ。それだけでは、なんの手掛かりにもならんな。旅先の土産かもしれんし。

 

 防犯カメラで、追ってって2つ隣の駅までは追えたようだ。その先がカメラには写ってない。だからカメラの無い住宅街で聞き込みしてるところだ。今のところ、情報はないが。」

 

「そんなに情報喋っちまっていいのか?」

 

「どうせ、事件性はないだろう。単なる意識のない患者の身元探しだ。」

 

 その駅なら、いつも行ってる飲み屋があるな。親父さんにでも聞いてみよう。

 

 

「こんな女性は知らないな。もし、1、2度くらい来たとしても覚えてないよ。」

 飲み屋の親父は言った。

 

「桜貝のストラップ持ってたみたいなんだが。」

 

「だから、野崎さん、そんなものまで覚えてないって。」

 

 桜貝の写真を見せた。

 

「きれいな貝だな。あー待てよ。その女性は知らないが、ほら、何年か前に、ほんの少しバイトしてた子いたろ。その子が持ってたよ。いつも持ってたリュックに付けてた。」

 

「そうなのか、親父さん、よく覚えてるじゃないか。」

 

「いや、きれいな貝だねって触ったら、いきなり触るなって、すごい眼て睨みつけやがった。辞めてもらってよかったよ。可愛いい顔してたけど、無愛想だったしな。」

 

「彼女はどこの出身だって言ってた?」

 

「どうだったかな。」

 

 常連の客が、話に入ってきた。

 

「その子なら覚えてるよ。石川訛りがあったの覚えてる。自分、富山だからわかるんだよ。」

 

「やっぱり、能登なのか。」

 

「いったい、何、調べてるんだ?」

 

「いやね、この前、ビルで爆発事故があっただろ。2人亡くなって、1人意識不明で入院してるんだが、身元が分からないんだ。入院してるのは、さっき見せた中年の女性だ。その女性がこれを持っていた。」

 

「その子を探してみるか。」

 

「野崎さん、もう5年も前だせ。この辺りにいるかどうか。」

 

「いや、この前見かけたんだ。派手な格好してたけど、あの子だ。」

「女は化粧すると、全く違う顔になるから、どうだかな。」

 

 明日、見かけた辺りに、また行ってみるか。確かにあの子かどうかは分からない。

 あの年頃の5年は大きい…。

 

 アパートに帰った野崎は、娘の写真を眺めながら、いつしか眠っていた。

 

 炎の中に人の影、その光景を傍観している自分がいる。その場から走って逃げるところで、いつも目が醒める。

 

 また、あの夢だ。火事に遭遇した事は一度もないのに…。

 

 窓を開けた。ここは飲屋街の中の古いアパートだ。窓ガラスにはネオンの色が写り込み、酔っ払いの声や独特の匂いがする。落ち着けない部屋だ。

 

 窓を閉めてもこの騒々しさは、ほとんど変わらない。そんな中でも眠れるようになった。慣れとは怖いものだ。

 

 もう一眠りした。気だるい朝だ。

 

 2駅電車に乗り、降りた。

 

 あの女性を見かけたコンビニのイートインで、コーヒーを飲みながら外の人通りを見ていた。

 

 こんなに多くの行き交う人の中から、果たして分かるのか。

 

 一時間。流石に店内にいるのは迷惑か。

 

 気のせいかもしれない視線を感じ、外へ出た。

 

 あ、あの女性。反対側の歩道に歩いていた。追いかけたが見失ってしまった。

 

 

 仕事の合間にそんな毎日を過ごしていた1か月後、目を引く赤いヤッケが目についた。あの女性だ。一瞬だったが、顔は素顔に近い。

 

 あとを追った。ひとり旅のようだった。声をかけたかったが、目立つ赤いヤッケとは反対に顔を隠すように身を屈め、すべてを拒否しているようなオーラが出ていた。

 

 山へ入ってきた。

 

 なんだ登山か?意外と、歩く足は速い。

 

 なんだか、自分は、限りなく怪しい人物だな…。

 

 野崎は、彼女を大勢の登山客の中で、見失ってしまった。

 

 探し出せないまま、麓に降りてきた。すると麓の事務所のスタッフから、1人女性が降りて来ないと聞き、知人かも知れないと伝え、櫻井彩乃らしき人物を捜しに、懐中電灯を借り、再び、山の中へ入った。

 

 そして、登山道の脇下の木々の合間から、赤い服が見えた。

 

 櫻井彩乃だった。

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