第5話 旅に出る
「美雪、あなた、何を考えているのよ。いきなり家を出たかと思えば、他人を巻き込んで……あなたのせいで留美さんまで危なかったのよ。この人が助けてくれなかったら、あなたは」
まだ目覚めたばかりの妹に、美冬は容赦なく正論をぶつけだした。ただ美雪もそれを素直に受け入れるような子ではなかった。
「なによっ! 今更、姉面してどういうつもりよっ!」
ここが病院だということも忘れて怒鳴りだした。
「あなた、私がどれだけ心配したか」
「知らないわよっ!」
「大声を出さないで、他の患者さんに迷惑だから」
「そうやって、いつも他人の目ばっかり気にして!」
落ち着いて妹を宥めようとする姉とは対照的に、美雪は目に涙を浮かべて、叫んだ。
「そうやって! 私を捨てたっ!」
その絶叫で私は全てを理解することができた。
この二人は、双子で、姉妹で――恋人だったんだ。
「……私たちは、姉妹なのよ。それを思い出しただけ」
姉だからか、性格のせいか、その事実に気づいた姉が関係の解消を申し出た。ただ、妹はそれに傷つき、家を飛び出した。
そして、私と出会った。
「意気地なしっ! 最低っ!」
「美雪……」
「出てってよ! もう、知らないんだからっ!」
美雪は泣きながら、枕を姉に投げつけた。それは美冬の胸にあたると、そのまま虚しく床に落ちていった。
美冬は妹に言葉が届かないことを悟ったのか、私に視線を向けた。
「お二人の着替えはそこに置いてあります。今日一日入院したら大丈夫だそうです」
「え、あの」
「すいません、よろしくお願いします」
美冬は自分の荷物だけ手にして、足早に病室を出て行った。
病室には布団で顔を隠した美雪の嗚咽だけが響いていた。彼女はヒックヒックと、体を震わせながら泣いていた。よっぽど、美冬のことが好きだったんだ。
その気持ちは痛いほどわかる。
だけど、彼女は気づかなかっただろう。病室を出て行くとき、美冬も泣いていたことに。
私は泣いていた姉妹と、自分と元カノを重ねていた。ああ、やっと、わかった。私との関係を続けられないと悟った元カノも、きっと、美冬と同じだったんだ。
片方に迷いがあった時点で、関係なんて続けられない。だからこそ、彼女たちは断ち切ることを選んだ。私たちが、少しでも早く、新しい道に進めるように。
それをわかっていなかった私が最低で、理解しようともしなかった私が意気地なしだった。
「……なんだ、美雪もフラれたんじゃん」
黙ってるのが辛くなって、そんな感じでからかうと、彼女は布団から顔を上げた。目を真っ赤にしている顔は、あの生意気な態度とはかけ離れていた。
「うっさい……気を、遣いなよ」
「いや。お返しだから」
空港で絶賛傷心中だった私の心を遠慮なく抉ってきたことを忘れたとは言わせない。
「……双子なの」
「聞いた。てか、見たらわかる」
「……好きだったの。美冬だって、そう言ってくれた」
「うん」
「なのに……もう、やめようって」
「うん」
「姉妹だから、こんなの続けられないって……」
そこまで言うと、彼女は耐えるように下唇を噛んだ。ただ、涙はそれじゃ止まらなくて、頬をつたって、ぽたぽたと布団を握る彼女の手の甲に落ちていった。
「だから、家出したわけ?」
美雪がこくんと頷いた。そして袖で涙を拭うと、どこか恨めしそうに私を睨んできた。
「でも、留美さんと会ったから……」
「会ったって……話しかけてきたのはそっちでしょ」
「なんか、似たような境遇の人だと思ったら、放っておけなくて……」
「それで声をかけたってわけ?」
「そう。気づけば……支笏湖まで案内しちゃって」
「綺麗だった。あんなところで死のうとするのはよくないよ」
「だって、あそこは二人でよく行ったから」
その言葉に軽口さえ出てこなくなってしまった。
そうか、あの湖は双子の思い出の場所だったんだ。だから、あんな雪原を慣れた様子で、迷うことなく案内できた。きっと、あそこで二人は色々と話したはずだ。愛を誓ったかもしれない。
それを思い出して、死にたくなった。私が傷を癒していた傍ら、彼女は傷を広げていたんだ。
雪合戦のことを思い出す。私に怒るべきだと詰め寄ってきた彼女。意気地なしとか、最低とか叫んでいた彼女。
あれは全部、美冬に向けた言葉だったんだろう。
まだ泣き続けている美雪に、なんと言っていいかわからなかった。ただ、安易な慰めだけはできなかった。
この双子はもう恋人には戻れない。それは、美冬の涙を見たらわかる。彼女は姉として、妹のことを思って苦渋の決断をした。もしかしたら美雪よりも辛い気持ちでいるかもしれない。でもだからこそ、翻意なんてしない。
美雪の恋は、もう終わっていた。
だから、私は言葉なんて考えなかった。ベッドから起き上がると、さっき美冬が言っていた着替えを手にして、美雪がいることも構わず、病衣を脱いで着替え始めた。
「え?」
急な私の行動に驚いた美雪が、素っ頓狂な声をあげるけど気にしない。
着替え終わった私は、美雪の着替えを彼女に差し出した。
「行くよ」
5
病院を抜け出すなんて、ドラマとか映画の中だけだと思っていた。
まさか自分が年下の女の子を無理やり着替えさせて、その子の手を引いて、そんなことをするとは、夢にも思わなかった。
ただ、確かに私はそうしたし、だからこそ今、また新千歳空港にいた。
隣にはまだ目が赤いままの美雪が、不安そうにしていた。
「留美さん、大丈夫なの?」
「さあ?」
「さあって……」
私の無責任極まりない答えに、美雪はさらに不安そうにした。でも、実際わからない。悪いことだとは思うけど、犯罪とかじゃないし、いいんじゃない?
「ほら、行くよ」
私がそう歩き出すと、美雪はおどおどしながら訊いてきた。
「だから、行くってどこに?」
「東京」
これにはちゃんと即答した。もうチケットもスマホで買ってある。あとはそれを発券して、搭乗手続きをすればいいだけ。
美雪は私の答えに今度は驚いたようで、目を大きくしている。さっきから、彼女は表情が豊かで見ていて面白い。さすが美少女、何をしたって可愛い。
「ど、どうして」
「どうしてって……決まってるじゃん」
私はニヤッと笑って、これにも迷わず答えた。
「傷心旅行」
「は、はあぁ?」
「今度は私が、東京のカップル向けじゃないところ、案内してあげる。いいからついてきなよ。東京には雪原も湖もないけど、素敵なところはあるから」
頭の中で美雪に案内しようと思うスポットを思い返す。実を言うと、そこは私と元カノにとっての思い出の場所だったりする。でも仕方ない。東京の楽しいところは、だいたい彼女と巡ってきたんだから。
それに例え古傷を抉られたとしても、私は美雪みたいにとんでもないことはしない自信がある。
優秀なガイドさんのおかげで、私の傷はほとんど癒えている。
まだそのお礼をできていないから、お返しに今度は私がガイドになってあげよう。この泣き虫な少女の傷が、ちょっとでも早く癒えるよう頑張ってみよう。
美雪は私についていくかどうか迷っているみたいで、俯いて止まっていた。
「北海道にいても、思い出すだけでしょ?」
そう追い打ちをかけると、彼女は大きくため息をついて、顔を上げた。そこには最初に会ったときの生意気な態度が戻っていた。
「私みたいにちゃんと案内できるわけ?」
「当たり前でしょ」
冬の北海道の玄関口に、捨てられた女が二人。
二人で笑って、手を繋いだ。離さないように、ぎゅっと、指を絡めて。
そして合図をしたわけでもないのに、二人で同時に、歩幅を揃えて歩き出した。
こうして私たちは、旅に出ることにした。
傷心旅行ガイド 夢見 絵空 @yumemi1010
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