ながれうごくね

水汽 淋

第1話 ながれうごくね

 目が流動しているらしかった。どういうことかといえば、俺の瞳は黒から茶色に、茶色から黒に。移ろいでは変わっていくように見えるらしい。


 しかし俺の視界は大海をさざめく波のように揺らいだりはしなかった。それによって人波をゆらめく幽霊を確認することは叶わなかったし、地上から天へと立ち上がる光を視認することも出来ない。突然知らない場所に現れて、「おお召喚は成功だ! さあ勇者よ、魔王を倒す旅に出るのだ! ちなみに国王様からの支給品はこの木剣とぬののふく。そして百ゴールドね」なんてふざけたブラック労働を課されそうな気配もない。


 ただ、俺の瞳は流動している。自分では気付かないので、友達に教えてもらって初めて知ったくらい。親からも、あんたの瞳なんかおかしいね。テレビ出れるんじゃない。なんて言われたことはなかったから、もしかするとこれは先天的なものではなく、後天的な、そう天からの恩恵ではないかと俺は考えた。


 それでは一体この流動する瞳は、どんな役に立つのだろうか。


 街角に立ってボランティア。

「どうでしょうかこの瞳! これは世界初の症例として発表された流動病! 原因はわかっておりませんが、主な実害も特にありません。こうして珍しいだろと見せびらかす程度のことはできます! さぁさみなさんお立ち会い、だんだら模様のマーブルアイ! せめて青や紫なら綺麗だったのにね」

 世界を忙しく動かす社会人の皆様は止まることすらしないだろう。いや、耳に入れることも叶わないかもしれない。だってだって、俺の瞳はじっ、と止まってぐぅっ、と覗き込まなきゃわからないんだから。チックタック進む時計の針を気にしなきゃならない俺たち人類に、そんな暇があるのはやはり俺のような暇と時間をもて余した学生だけ。瞳の裏でレッツゴー! と叫ぶ脳内麻薬のすかぽんたんは、思春期の内に捨てておくのが世間的な常識だ。


 つまりこれは没案といたすしかない。


 家の鏡の前に立った俺は腕を組み換えて次を考える。


 なかった。というか、これがダメなら俺が思いつくものはほとんどすべてがダメになる。二番煎じほどつまらないものはない、例えば次に、俺はサーカスに出て自身を見せ物にすることを考えた。


「さぁ皆様世にも珍しき流動人間! なんとこの人は絶え間なく寸分の隙もなく、ある部分が流動し続けてるのです! 一体どこだと思われますか? そう、瞳です! (ここで俺の瞳が大スクリーンに写し出される。少し恥ずかしい俺はばしばしとまばたきをして、長い睫毛を可憐なる思春期少女に見せつけた)どうですか?」


 へぇ。それで終わり。君、次からもう来なくていいから。俺はとぼとぼとリュックサックを担いで荒野に沈む太陽を背に、日銭稼ぎのため次の街へと出かける……。


 つまらなくて、もはやつまるレベルだ。これでは血だって流動を止めて心臓がため息まじりに最後の鼓動をして、永遠の眠りに誘うこと間違いなし。


 つまるところ、俺はこの瞳の使い途がとんとわからぬのであった。終わり。


 だが、文章は続く。ここで制作・著作N○K~終~と出たとしても、恐るべきかな、国営ではなく泥水をすすり薄汚く這い寄る鼠なれば、ある程度の結末を見せるまでは満足して逝くことも出来やしない。


 さて。困った。どうやら俺はこの瞳の使い途を探さなければならないらしい。俺の目の前はデッドパーカー同じく真っ暗闇の荒野が如きふぁっきゅうとえきさいてぃんに囲まれている。


 ハロー、私このようなものでございます。えっ、知らない、初めて見た? そりゃそうでしょう、私も初めて見ましたし、え、そういうわけじゃない。はぁ、え、シマウマ? シマウマに似てる、はぁ。あ、この瞳がですか。白と黒で……はぁ。綺麗、どうも。ありがとう。


 俺は随分とよい気持ちになって、自販機横でカーネルサンダースのように佇むおじさんから貰ったジュースを街路樹に投げ捨てた。

 このおじさんは真夏だというのに、Tシャツの上にパーカーセータージャケットファー付きウインドブレーカーを重ね着している。心頭滅却したお坊さんでも、真夏日にこれを着込むような修行はやりたくないにちがいない。そんな厳しい試練を日夜こなしていることで有名な推定ホームレスのおじさんがこの人だ。

 俺の通学路にはこんな人間がざっと三億人はいる。


 俺はがんがん照らす太陽の下でパーバラパッパと喚く天使のラッパをBGMに、軍路、遥かなる永久へと歩を進めていた。


 永久くん。俺の友達。読みはとわ。プレイリストが移り変わり、何を喋っているかわからないラップが、俺の鼓膜をがんがんに揺さぶって平衡感覚を壊してくる。しかし天使のラッパ音というヒアリング音声は、なぜだか俺の足取りをふわふわ、空中に浮いてるんじゃないかって気持ちにさせたから、状態としてはあまり変わらない。状態異常、混乱。


 一体どうしたことでせう。このままでは私は干からびて、ああ砂漠に住む人の気持ちが分かってしまう。無駄な知識は毒だということを俺は知っていて、しかしそれを貪欲に求めにへへとにたり笑いを浮かべることの快感も知っている。この世は残酷であるからして。俺は他人の気持ち、つまりは同情心だどうのといったことを全く感じたくはなかった。だってそれは悲しくなる。俺は出来るだけ他人に鈍感であることで、つまりは相手の悲しみを理解しないことによって、この人生を生きてきたのだ。


 砂漠に住む人間の気持ちがわかってみろ。こんな猛暑の下で、らくだにのって生活をするのだ。夜になれば氷点下。まるで気温のジェットコースター。俺は絶叫系が苦手だし、季節の変わり目には必ず風邪を引くタイプの人間だから、二重の意味で無理。


 だからせめてもと、俺は砂漠に住む人間達に心からの尊敬と同情を抱き、ありったけのお金を寄付してアマゾンで買った天然水を送りつけるだろう。


 拝啓。これでよい生活を送ってくれますように。草々。


 どうだろう? こんなことばかりしていれば俺は破綻する。故に俺は知ろうとしない。俺ほどに弱い存在は、自分を守ることで精一杯だから。そうした外界へのつながりは、もっとお金があり余裕があり強く賢く正当で尊大で強い人間に任せておけばよし。


 空から降ってくるウニを避けるため常にヘルメットを被っていた隣人のお婆さんは、時速百六十キロメートルのいがぐりに撃ち抜かれて死んだ。


 このように世の中何が起きるか分かったもんじゃない。合掌。墓地の横を通り抜ければそこが永久の家。

 ああ永久。俺の永久。マイプリティーハニーベイベー永久。数ある俺の蛮行にことごとく反応してくれる永久。いやさ、きっと彼女は、俺が、月を爆破するのさこの爆弾で、と言おうものなら、ああ、その氷の女王のようなシラけた瞳で、俺をウィリアムテルよろしく撃ち抜いてくれることだろう。


「一回シネば。あるいは、来世蛆になって死体を貪る卑しい虫にでもなりなよ。もちろん、人間としての感情や感覚、常識はそのまんまでね」

「永久! どうしたの永久。君は今家でテレビを見ながらポッキーを食べているんじゃなかったの」

「まさか。苺ポッキーだった。なんであれはああ美味しいんだろうね」


 永久は肩をすくめてやれやれ、という風にすくめた。すくめて、さらにすくめたのだから、まるで両面すくなみたいだ。たしか、このすくなは腕という漢字を当てられていた気がする。違ったっけ? まあどうでもいいや。


「ねえ永久。聞いてよ永久。俺の瞳がほらさ流動してるんだ何故なんだろうね。おかしいよねどうなっちゃったのかな。でもこれといってなにかおかしいことはないんだ」


 永久はちらりと俺を見た。そう、永久の部屋に土足でついつい入り込んでしまった俺をだ。あっ、と気付いた俺は靴を脱いだ。ごめんね。そう繰り返す。


「ゴミめ。常識すらないとは。本当にキレるぞ」


 永久がいうと冗談かどうかわからない。彼女はこの前俺と一緒にクワンコンに旅行に行った際、リビドーとルサンチマンに突き動かされた悲しき人造人間に襲われ、そのきらびやかで白魚のような細白い脚の片方を無くしてしまった。


 だから彼女は外に出ないのだ。彼女は昔は天使だった。俺は天使をこの八畳の汚泥にまみれた、恥垢に塗りたくられた部屋で拾った。どうやら食べる物と泊まる場所がなかったらしいので、俺はここでこっそり飼うことを決めた。


 永久。それは俺が名付けた名前。永久、つまり永遠に。彼女と俺との関係よ永遠に。それは昔のロックでありそうな歌詞だった。あるいはトイがストーリーしてる真緑色の宇宙人のセリフ。


 彼女はあるいは完璧だった。だが世間を知らなすぎた。ゆえに純真で純心で無垢で報われない。


「はぁ。流動する瞳。私は血が流動しているのがわかる。この青い筋をご覧よ。まるで大陸を走る川のようじゃないか。これをね、こうして、こう、突き立てたいような欲求に駈られる。私は常々その衝動に耐えて生きている。首筋にさせば、一思いにいけるかなって。でもやらない。私はとうとう臆病になってしまったのです。怖くてできません。ですが、それは痛いのが嫌だからです。私はもう痛くたくない。もうやだ。でも、衝動と欲求は鬱々とたまっていくから、ねぇどうしよう。私あふれそう」

「大丈夫だよ永久。君は確かに大事ななにかを欠損してしまったのかもしれないけれど、それは僕にとってはなんの損失にもなっていない。むしろ愛情が増したよ。君は俺がいなきゃ生きられない体になったんだよ。それって素晴らしいね」


 永久はがっくりと肩を落としてもうそれから言葉を発することを止めた。


 俺が夕焼けがオレンジなのか赤色なのかを判断しかねていたころ、死んだ永久の魂が門前払いを食らって肉体という仮宿に戻ってきていた。


「……。流動する瞳はね。ねぇ。いつか役に立つ時がくるよ。君はそれで人を喜ばせることができるかもしれないし、少なくとも私はその瞳を綺麗だと思うから、だから、その瞳には意味があるんだよ。私が認可します。君の瞳に、その水に絵の具を垂らしたような金平糖みたいに甘そうな瞳には、言い知れぬ意味があるのです」

「そうなんだ。意味、あったのか!」


 俺は嬉しくなった。永久は、やっぱりなんでも知っているんだ。

 海がしょっぱいのは神様の涙で出来ているからだし、俺が永久に会いに行くためにしか外を出れない理由も知っている。そう、俺は永久を愛しているからだ。

 永久は少し頭の弱い俺に、意味を与えてくれる。一たす一はなんで二になるのか、わからなくて小学校一年生から留年した俺に優しく教えてくれたのは永久だった。


 俺はありとあらゆるわからな事に理由を付けた。そうすることで、どうにか俺は日々を過ごしているのだ。


「ありがとう。永久はすごいねえ」


 永久はにっこりと微笑んで、もう帰りなさいと言った。君の親が心配するから、と。


「そうだね。だって、俺の親は子供を育てる義務があって、放棄しちゃならないんだもんね。そういうものなんだよね」


 俺の瞳は流動している。永久が最後に、ハンカチで涙を拭ってくれた。


 

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