永遠なんて地獄じゃないか

目箒

永遠なんて地獄じゃないか

 いい子にしていれば、きっとお姉様の方からあなたを見初めてくれるでしょう。

 シスターのそのお言葉が私の心に残っている。



 パートナーシップ制度というものは、私にはどうしても苦手意識のあるシステムだった。一人を永遠に、というのが苦手だ。永遠なんて地獄じゃないか。そうは言っても、私が卒業するまでの間なので、そんなに大層なものではないのだけれど。

佐里さりさん」

「シスター」

 私を呼び止めたのはシスター・由香だった。私が入学したときから、なにかと私を気にかけてくれていた。パートナー制度でなかなか相手探しの輪の中に入れない私を、そっとその中に入れてくれたのが彼女だ。大分高齢になる。祖母のような存在だ。

「いい子の妹さんはどうしたのですか?」

「あの子は、他のお友達と一緒です」

「いけませんよ。あなたがつかまえておかないと」

 シスターはそう言って悪戯っぽく笑った。

 いい子にしていれば、きっとお姉様の方からあなたを見初めてくれるでしょう。

 私の前のパートナーが、私を「いい子」だと思って選んだかどうかは別として、シスターのその言葉は、私がパートナーを選ぶ際の基準になった。恋歌れんかは愛らしく、きっと引く手あまただったのだろうけど、彼女はじっと私の事を見ていた。気のせいかと思っていたが、どうしてもアプローチにしか思えず、私は彼女を値踏みした。

 とても嫌な言い方だけど、私の視線は事実値踏みだった。シスターの言う「いい子」かどうか。

 少し話したり、シスターの評判も聞いて決めた。彼女はとても礼儀正しく、頭も良く、良く笑う、まごうことなき「いい子」だったから。

「わたくしとパートナーを組んでください」

 年長から声をかける定めになっている。私がきっぱりとそう告げると、恋歌はたいそう喜んだ。私はこういう儀式めいたことがあまり得意ではなかったのでさっさと切り上げたかったが、彼女は私の手を取って、それがどれほど嬉しいことかということを蕩々と説いた。

「お姉様」

「佐里で結構です」

 本当は苗字か、「先輩」くらいで全然構わないのだけど、皆「お姉様」と呼びたがるし呼ばれたがる。仕方ない。郷に入っては郷に従え、だ。

「前に助けていただきました。覚えていらっしゃいますか?」

「わたくしが?」

「はい。私が中学生の時、通りすがりのお姉様が、落とした私のハンカチを拾ってくださったの」

 その程度のことを「助けられた」としていつまでも覚えておく辺り、彼女の善良さと言う物がうかがい知れる。残念なことに、私はさっぱり覚えていない。

「申し訳ないけど、覚えてないわ」

「ええ、構いません。お姉様、どうして私を選んでくださったのか、おたずねしても?」

 選ばれたそうにしていたから、という言葉は飲み込んだ。

「あなたが『いい子』だからです」


 それから、今日のこの卒業式まで、私と彼女はパートナーとして学園生活を送っていた。時には勉強のことを、時にはクラスでの人間関係のことを、相談したり、されたりしながら、一年間、過ごしてきた。

「お姉様、ご卒業おめでとうございます」

 恋歌は薄化粧をしていた。シスターに咎められるのではないかと一瞬思ったが、ハレの日だからと見逃されたのか、それとも元々綺麗な顔立ちをしている彼女だから、化粧をしても気付かれなかったのか。

 だが、パートナーとして誰よりも彼女のそばにいた私にはわかる。ファンデーションを施して、ナチュラルな色のアイシャドウを薄く塗り、口紅も目立たない、けれど愛らしい色のものを使っている。グロスだろうか。つやっぽい。

 彼女は式が終わるや、私の手を引いて聖堂へ連れて行った。長椅子に座る。私は立ったままだ。早く教室に戻らないといけない。最後のホームルームがある。


「お姉様、懺悔をさせてください」

 彼女は目を細めて私にそう告げた。

「告解はわたくしにする物ではありません」

「お願い。あなたにしかお話できないことです」

「何かしら」

「私、嘘を吐きました」

「どんなことで?」

 仕方なく、私は長椅子に座った。長くなりそうだ。私たちの吐いた嘘なんて、せいぜいが、実は他に組みたい相手がいたけど、相手を一番だと言ったとか、宿題をやってないのにやったとか、それくらいのことだろう。

「お姉様が私をパートナーに定めてくださった時、私はお姉様に助けていただいた、と申し上げました」

「はい。覚えてますよ。残念ながらその、助けた時のことについてはとんと記憶にないのですが」

「ええ、なくて当然ですわ」

 口紅を塗った唇が、薄明かりの中でつややかに光っている。

「嘘ですもの」

「嘘?」

「でも、お姉様の出会いが私を救ってくださったのも事実です。私ね、あの時、父の再婚相手の連れ子の……姉、と呼ぶのもおぞましい女から、毎日酷いことをされていたんです」

 恋歌が家族のことをあまり語らないことには気付いていた。聞かれたくないのだと思って聞かなかった。否、深入りしたくなかったのだ、恋歌に。

「私が中学生の時、学校帰りに、帰りたくなくて寄り道をしていたの」

 彼女はとても楽しげに、悪戯っぽく語る。

「その時に、お姉様とぶつかったの」

 全然覚えていなかった。

「お姉様はあの女に顔が少し似ているの。だからね、私ぶたれると思いました」

 聖堂の空気が冷えたように感じる。

「でも、お姉様はぶたずにいてくださいました。ただ、一言、ごめんなさいね、それだけ言って去って行かれました」

「なにそれ」

 覚えていない。

「それから、私、あの女に何をされても平気でした。だってあんな女所詮偽物ですもの。本物はお姉様だけ」

 意味がわからない。恋歌はなにかとんでもない勘違いをしている。そんな、当たり前のことで。道でぶつかった相手に一言謝っただけで。

「だから、お姉様に一目お会いしたくて私、この学校に入ったのです。ごめんなさい、お姉様。わたし、一つも『いい子』ではありませんでした。シスター・由香と仲がよろしくていらっしゃるから、私、彼女に聞いたの、お姉様のこと。そうしたら、シスターは私に仰いました」

「『いい子にしていれば、きっとお姉様の方からあなたを見初めてくれるでしょう』」

「ええ。お姉様にもそう仰ったって。だから、同じようにいい子にしていたら伝わるかもしれませんよ、と」


 お姉様は「いい子」が好きですものね?


「だから、いい子のふりをしていました」

 つややかな唇から次々と私を裏切る言葉が流れてくる。


「この一年、私とても幸せでした」

 恋歌は私の手を握る。

「私、いつまでもお姉様のおそばにいたいのです。たくさんお勉強をいたします」


 ──大学まで追ってくるつもりだ。

 そう直感した私は震えた。恋歌が怖い。どんな決まりよりも、叱責よりも、今はただ恋歌が怖い。彼女の唇が怖い。いい子を演じ続けた、その唇が怖い。


 けれど、握って、絡められた指の温度が心地良くて、

「お姉様」


 パートナーシップ制度というものは、私にはどうしても苦手意識のあるシステムだった。一人を永遠に、というのが苦手だ。


 永遠なんて地獄じゃないか。


「はい」

 私は頷いていた。


「待ってますよ、恋歌さん」


 地獄への道は愛で舗装されている。


「嬉しい」

 彼女は私の歩く道に花びらを撒く。地獄行きを言祝ぐように。


 共に歩く道を。

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