第19話 若紫の君はいずこに

 わたしは夜中に目が覚めた。部屋の外に人の気配を感じたのだ。

 どうも最近、変なやつらがやって来るので熟睡出来ていないようだ。


 やはり、かすかにあの男の香りがしている。また性懲りもなく夜這いにきたらしい。

 あの男。そう、光源氏。


 でも障子は開くことなく、気配は遠ざかろうとしている。

「ちょっと待て」

 それはそれで腹立たしい。

 わたしが急いで縁側に出ると、光源氏が走り去って行くのが見えた。


「すまん。あとは頼む!」

 そう言って姿を消す。なんだ、一体。

「あれ?」

 縁側に箱が置いてある。


 中を見ると小さな子供が丸くなって眠っていた。衣装からすると女の子のようだ。

「ねえ、ちょっと君」

 まさか、あの男。この子を誘拐してきたんじゃないだろうか。そして始末に困ってここに置いて行ったとか。いよいよ犯罪的だな。


 少女は、ぼんやりと目をあけた。

「お姉ちゃんは、だれですか」

 おお、可愛い声。声優さんみたいだ。

「わたし、みさきって言うの。あなたの名前は?」

 その少女は箱の縁に手をかけて体を起こした。


「はい。犬君いぬき、といいます」

 ……。頭のうえで三角形の耳がぴくぴく、と動いた。

 か、可愛い。って、しっぽもあるし。

 これ、いぬっていうのか。


 よく見ると、彼女が入っている箱には紙が貼ってあって『誰か拾ってください』みたいな事が書いてある。

 どうも捨て犬だったらしい。


 ☆


 あー、でも可愛いな。

 がつがつとご飯や目刺しを食べている犬君ちゃんを見ながら、わたしは目を細めていた。昔飼っていた犬によく似ている気がする。


「だけど、いったいどうして捨てられてたの?」

 犬君ちゃんの手が止まった。……しまった。わたしったら、なんてことを。

「ごめん、酷いこと言っちゃった」


 でも犬君ちゃんは不思議そうに小首をかしげた。

「分からないんです。ある日、あたしのご主人さまがいなくなって」

 ご主人さまが?


 そこで、やっと犬君ちゃんの表情が曇った。

「きっとあたしが、お嬢さまが飼っていた雀を……」


 雀を。そうか、逃がしちゃったんだね、きっと。

「勝手に食べちゃったからだ」

 食べたのかっ。


「美味しかったぁ」

 晴れやかな顔で犬君ちゃんは言った。

 それは、うちのご飯のことか。それとも雀のことだろうか。


 ☆


「それはおそらく、兵部卿ひょうぶきょうの宮のお嬢さまではないでしょうか」

 さすがに婆さんたちは事情通だった。すぐに犬君ちゃんのご主人さまの目当てがついたようだ。

「そうそう。ある、やんごとなき方がお引き取りになられたとか」

 でも誰だろう。そのやんごとなき方って。


「要するに、光源氏の君が、そのお嬢さまを夜陰に紛れて拉致し去った、という事にございます。で、今はご自宅に監禁していらっしゃると」

 なるほど。婆3号、分かりやすい。

 でも。

「完全に犯罪でしょ、それ」

 この前は変態プレイで、ひと一人殺してるし。いくら平安時代とはいえ、これが許されるというのがすごい。


「ですが、お嬢さま。この邸では犬を飼うような余裕はございません」

「そうでございます。もとの所に捨ててきて下さいませ」

「この邸の賃貸契約書をお読みになっていないのですか、お嬢さま。ペットは禁止でございますよ」


「だけど、可哀そうでしょ。わたしがちゃんと世話しますから」

「そんな事をいって。結局わたしたちが世話をする事になるに決まっています」

 うう。そう言われると反論しにくい。


「あ、あのこれはわたしが拾って来たのではなく、光源氏さまから預かったものなんです。きっとお礼があると思いますけど」

 まあ、出まかせなのだが。


「おお、光源氏さまが。そうでしたか。なら宜しいでしょう」

「このように可愛いですしね」

「ほんにオタク好みの容姿をしておりますから」


 光源氏の名前を出した途端に手のひらを返したな。この婆さんたち。


 ☆


 ある屋敷の一室。ふたりの男が向かい合っていた。

 一人は安倍晴明。そして上座に座るのは、末摘花の庭の古池に出現した小野 たかむらだった。


「なるほど。六道珍皇寺へ出るはずが、あの者の池に出ていたと……」

「そうよ。泥に埋もれて、危うく死ぬるところであったぞ。もう駄目かと思ったその時、あの不細工な娘に助けられたというわけだ」

 ほう、と晴明は感極まった声をあげた。


「やはりあの娘のところにはあやかしや、この世ならぬものが集まるようでございますな」

「あの不細工な娘はそれほどの力を持っておるのか、晴明」

 くくっ、と晴明は笑った。


「珍しゅうございますな。篁さまがそれまでに不細工と仰るのは」

 小野 篁もつられて笑みを浮かべた。

「わしの『不細工』は誉め言葉じゃ。実に個性的な顔であろう、あの娘」

「篁さまは、地獄の亡者や獄卒で慣れておいでだからでしょう」

「ふふ。お主も口が悪いな」


「だが、あの顔どこかで……、そうじゃ、同じ顔の女が地獄に落ちておった」

 そこで小野 篁は表情を曇らせた。


「これは、閻魔大王と相談してみねばならぬ。これ以上、この世のことわりを乱すようであれば、あの娘。……何か手を打たねばな」

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