第18話 末摘花、男を掘り出す
台所がなにやら騒がしい。
覗いてみると、三婆をはじめとした使用人たちが集まり、何かを囲んで歓声をあげている。
「ああ、お嬢さま。珍しいものが手に入りましたよ」
「おおきなスッポンでございます」
「鍋にしたいと存じますが。お嬢さまも召し上がられますか」
それは、出来るものなら食べたい。わたしも最近はよく働いているので、食べる資格はあるだろうと思う。
「でも、これ。本当にスッポンなの?」
わたしは目を疑った。あまりにも大きすぎる。動物園とかで子供が背中に乗ってるやつじゃないか。そう、ゾウガメだ。
「ねえ、これ。どこで買ってきたんですか」
「まさか、お嬢さま。そんなお金などありませんとも。拾ってきたのです」
落ちてるものなんだ、ゾウガメって。
「一条戻り橋というところで、子供たちにいじめられているのを三人で救出したのです」
その結果、食べられてしまうって、幸運とも不運とも言いようがない。
そのゾウガメと目があった。潤んだ瞳で何かを訴えかけている。
食べないでくれ、と言いたいんだろうな、きっと。
「そうだ。普通、亀とか食べるときって、まず泥抜きするんでしょ。きっとこのままじゃ、まだ泥臭いと思いますよ」
ほう、と婆さんたちが驚いた顔になった。
「われら感服いたしました。まさかお嬢さまにそんな知恵がおありだとは」
完全にばかにされているな、これは。
「それでは池にしばらく放しておきましょう」
だけど、庭のあの池って。
「ええ。今は埋まっていますから、これで掘り起こして下さいませ」
そういってスコップみたいなものを手渡された。
「あの。わたしがやるんですか」
「ああ、言うんじゃなかった」
作務衣に着替え、池に溜まった土を掘り出しながら、わたしはぼやいた。久しぶりの重労働だ。
スコップの先が何かに当たった。
「おや?」
土がぼこっと盛り上がった。いやだな、わたしカエルとかも苦手なのに。
だけど出てきたのは人の手首だった。
「ぎやーーーっ」
そしてもう片方の手も。
ぶはっ。土を掻き分け、貴族の装束をした男が顔を出した。
光源氏とはまたちょっと違うカッコいい男だ。わたしの好みよりは少し年かさかもしれないが。
「なんだ、ここは。六道珍皇寺では無いではないか。おお、そこの娘。手を貸してくれ」
わたしはその男を引っ張り上げる。
「おかしいな。井戸の位置が変わってしまったのかな」
どうも言っていることがよく分からない。やはり危ない人のようだ。
「感謝するぞ、不細工な娘。危うく窒息するところであった」
「どなたですか。あなた」
その男は服についた土を払い落としている。
「わしは小野
後で聞いたところによると、この小野 篁さん。朝廷では参議という要職についている優秀な官僚らしい。
だけど変な噂もある。それは夜な夜な地獄の閻魔大王の補佐官を務めている、というのだが。で、その地獄への通路が六道珍皇寺の井戸、というわけだ。
「おい、不細工な娘」
命を救われて感謝してるなら、それなりの言い方をして欲しいものだ。
「そのカメは何だ」
いつの間にかゾウガメが逃げ出してきていた。
「ああ、これは今晩のごはんです」
びくっ、とカメが首を縮めた。
「ふむ。おい貴様、式神であろう」
篁さんはカメに話しかける。いや、たぶんゾウガメだと思うんですが。
「おそらくは、安倍晴明の持ち物だな」
なんと。
それを聞くや否や、ゾウガメは脱兎のごとく逃げ出した。
「待てっ」
でもすぐに、わたしと篁さんとで取り押さえた。そこはやはりカメだった。
「不細工な娘、これはどこで手に入れた」
えーと、婆1号は何て言っていただろう。ああそうだ。
「一条戻り橋で、とか言ってました」
小野 篁は納得したように頷いた。
「一条戻り橋は、晴明がいつも式神を置いている場所だ。間違いないな」
では困ったぞ。晴明さまの式神を食べる訳にはいかない。そもそも、式神って食べられるものなのだろうか。
「わしが晴明に返してこよう。ついでに聞きたいこともあったしな」
「はあ。お願いします……」
ああでも、晩ご飯が。
「そうだ。助けてもらった礼をせねばな」
このカメの替りといっては何だが……、そう言いながら、小野 篁は袴を脱ごうとする。おい、一体何を出そうとしているんだ。
「いや、亀がな。この袴の中に」
この邸に来る男は変態ばかりなのか。わたしだって男性が亀と名の付くものを、股間にぶら下げている事くらい知っているぞ。
「ほら、見てごらん」
「いやーーーーっ」
わたしは顔を覆った。ちょっとだけ指の隙間が開いているのは仕方ないことだ。
「うわ」
それは篁さんの股間にぶら下がっていた。
「さっき、袴の中に潜り込んできたのだ。どうだ、これはスッポンであろう」
正真正銘のスッポンです。
「咬みつかれて困っているのだ。引っ張って、取ってくれないか」
と、取ってくれと言われても。いや、あの。スッポンが咥えているのは、篁さんのアレだし。まったくなんて光景なんだ。
「い、いいんですか」
ごくり、と唾を呑み込み、わたしはスッポンに手をかけた。
そっと引いてみる。うわー、伸びる。あ、もちろんカメの首が、だけど。
「えいっ」
目をそらし、思いっきり引っ張る。
「ぐわっ」
篁さんの悲鳴が聞こえた。見ると股間を押えてうずくまっている。
「う、うう。助かったぞ、不細工な娘」
涙目でお礼を言われた。
前かがみのまま篁さんは邸を出て行った。ゾウガメも大人しく後に続いている。
見送る私の手にはスッポンが握られていた。
わたしは、手にしたそれを見つめた。さっきの光景がフラッシュバックする。
完全に食欲が無くなった。
※この物語はフィクションです。スッポンに咬みつかれた時に無理に引っ張ってはいけません。水につけて静かにしていれば、勝手に離してくれるみたいです。
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