第17話 紫式部、ストーカーに悩む

「あー、もういや」

 若紫ちゃんのつぼねに出向いてみると、なんだか彼女の機嫌が悪い。というか、ずっとため息ばかりついているのだ。


「どうしたんですか、若紫さま」

 わたしの顔を見て、また、ため息をつく。

「わたしの時代では、ため息をつくと、幸せが逃げていくといいますよ」

「えー、幸せ? そんなもの、私には元から無いんです。放っておいてください」

 これは重症だ。のちの紫式部がやさぐれている。


「これを見てください、みさきさま」

「はい」

 若紫ちゃんは、紙に包んだそれをわたしの前に押しやった。なんだろう、結構な大きさだ。


「うおっ」

 わたしは思わず声をあげた。

「こ、これは……」

 日本のホラー映画とか漫画にはよく出てくるが、実物を見たのは初めてだ。


 それは墨で『呪』と書いた紙と一緒に、さび釘を打ち込まれた藁人形だった。

「すごいですね、これ」

 呪ってやる、という気持ちが最大級に伝わってくる。

「どうしたんですか、こんなもの」


「もらったの。清少納言に」

 彼女が近くの神社で見つけたのだそうだ。

「この人形の顔が私にそっくりだから、とか言いやがって。あの女」

 ああ確かにこの、ぱっちりとした目は若紫ちゃんぽい。


「でも、わざわざそれを持ってくるというのは……」

 すごいな、清少納言。

『春はあけぼの~』の謂いで、『神社は丑三うしみつ時~』とか書いてたっけな、あの人。この手のものが怖くないのだろうか。


「あ、でも。神社にあったら呪いが成就しちゃうから、こうやって取って来てくれたんじゃないですか。その……親切心で」

「そんなの、絶対いやがらせに決まってます!」

 まあ、たしかにそうだろうけど。そもそも、なぜ彼女が神社に居たのかも謎だが。


 でも、この人形。欲しいな。

「これ、もらってもいいですか?」

 はあ? 若紫ちゃんが呆れた顔になった。

「なんでこんなものを」

「だって可愛くないですか、これ」


「かわいい? みさきさま、あなた……」

 沈黙した若紫ちゃんはついに、異生物を見る目になった。

「他人の嗜好をどうこう言う気はありませんけど……。いえ、そんなに欲しいならあげますよ。というか私のものじゃありませんし」

 嬉々としてそれを懐にしまうわたしを、若紫ちゃんは気味悪そうに見ていた。


「原因は想像がつきます。私が書いた光源氏の行動です」

 ほう、『源氏物語』が。

「光源氏が藤壺の宮に不義の子を身ごもらせてしまったからです……」


 藤壺の宮というのは源氏の父(天皇)の奥さん、つまり義理の母親だ。天皇の奥さんだから皇后さまということになる。


 そうか、こういうことは昔から微妙な問題をはらんでいるのだな。

「つまり、天皇に対し不敬だというのですね」

 すると若紫ちゃんは驚いたように手を振った。

「ああ、いえ違います。藤壺の しの殿方から匿名のお手紙を何通も頂いていましたから。きっとこれも、その方の仕業だと思います」

 手紙を見せてもらったが、わたしは未だに筆文字を読むことができない。

 ざっと内容を聞かせてもらうと、『ぼくの藤壺ちゃんに非道い事をした源氏も、その作者の若紫も、じぇったいに許さーん』ということらしい。

 わたしは額を押えた。


「一緒にこんなものも送られてきました」

 そういって出してきた箱の中には、錆びた包丁とか、よく分からない染みのついた布切れとか入っていた。

 意外と物持ちがいいな、若紫ちゃん。捨てろよ、そんなものは。

 若紫ちゃんにつられて、わたしもため息をついた。


 平安時代にもこんなストーカーみたいな奴がいたとは……。


 ☆


「物語作家って大変なんですね」

 現代でも、不倫した役の女優に剃刀とか送られてたとか聞くし。どの世界にも、現実と物語の境界が無くなった人というのは少なからず存在するらしい。


「でも、そんな事はどうでもいいんです。もっと大事なことがあって」

 いや、十分大事だと思うよ。現にわたし、それで殺されてるし。


「物語の続きが、書けないんですぅ」

 若紫ちゃんは血を吐くような声で、わたしに縋り付いてきた。

「どうしたらいいんですか、私。このままじゃ、道長さまに捨てられちゃいますよぉ!」


 光源氏が都を追放され、須磨という瀬戸内海沿いの寒村に引きこもった処から、物語が進まなくなっていたのだという。

「光源氏も、そこで私みたいな受領ずりょう(地方長官)の娘と結婚して、ずっと幸せに暮らせばいいのよ、って思ったら、筆が……」


 どうやら若紫ちゃん自身が、現実と物語の境界線がなくなった人みたいだ。

 


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