第16話 末摘花、百鬼夜行する

「やはりおかしい」

 安倍晴明は渾天儀こんてんぎを前に、ひとり呟いた。最近になって天体の運行に乱れが生じているのだ。

「なにか、途方もなく大きな力が働いているとしか思えぬ」

 そして考えられる理由はただ一つ。


 ☆


「えっ、屋敷まで送ってくださるんですか」

 内裏を下がってきたわたしは、晴明さまに呼び止められたのだった。ちょっと遅くなったので、喜んでお言葉に甘えることにした。

「実は、末摘花どのにお話したいことがあるのです」

 あくまでも丁寧な口調で言うと、晴明は一礼した。


 牛車ぎっしゃというのは優雅ではあるが、乗り心地はどうなんだろうと思っていたが、意外と悪くないものだと分かった。

 まあスピードが遅いから、乗り心地も悪くなりようが無いのかもしれないが。

「そういえば沖縄の辺りにもありますよね、竹富島でしたっけ」

「存じ上げません」

 素っ気ない返事だった。そうか、平安時代の人が知っている筈もなかった。それによく考えたら、あれは水牛だったし。


「ところで晴明さま。お話というのは……」

 その安倍晴明は固い表情で車の外を見詰めていた。

「あの、晴明さま?」

「静かに!」

 鋭い声で制された。

「何故だ、方違かたたがええまでしたと云うのに」

 方違え?

「今宵、内裏から貴女の邸へは方角が悪いのです。あやかしに行き合わぬよう、わざと通常とは異なる方角へ向かい、別の道から戻ろうとしたのですが」

 ははぁ。


「それで、一体何が起きたんですか。妖って?」

 晴明は牛車を止めさせた。牛飼いには、その場でうずくまり声を立てないよう指示する。

「あなたも一言も喋ってはいけません」

「あの、だから一体なにが……」

 彼の切れ長の目が、すっと細くなった。


百鬼夜行ひゃっきやぎょうです」


(百鬼夜行……聞いたことはあるけれど)

 わたしは言われた通り声をたてず、車の隙間から外を覗いてみた。


 都大路を我が物顔に歩いて来るのは鬼ばかりではない。動物や、何か壊れた物が変化へんげしたらしい異形の妖怪も多く混ざっている。

 そういえば中国的に言えば鬼は幽霊を意味するらしい。つまり死者だ。

 そうだ。何だか見覚えがある光景だと思ったら。


「ハロウィンみたいですね、これ」

 だってゾンビみたいなのもいるし。

 思わず声に出してしまっていた。


 ☆


「あ、すいません」

 晴明にすごい目で睨まれて、わたしは口を押えた。


 途を行く異形の者たちがざわつき始めた。

「なにか声がしたぞ」

「人がいるのではないか。どこかから人の匂いがするぞ」

「捜せ。見つけて喰らおうではないか」


(ひええー)


 車の御簾が撥ね上げられ、顔中に目がある鬼が頭を突っ込んできた。

 ぶしゅーっ、と生臭い息がかかる。

「ぐ、ぐ……」

 わたしは必死で歯をくいしばった。涙が止まらない。

 鬼の目が一斉にこっちを向いた。

 この鬼、完全にわたしが見えている……。


「なんじゃ、お前。こんなところで何をしている」

 鬼が言った。

「へ、へえっ?」

 つい変な声が出てしまった。


 しまった。今度こそ食われるっ!


 その途端、車の中に何本もの鬼の手が伸びてきた。腕や髪の毛が掴まれる。

 わたしは何の抵抗もできず、車の外に引きずり出された。

(せ、晴明さま!)


 地面に座り込んだわたしを、禍々しい鬼たちが取り囲む。

「せめて、ひと思いに殺してから食べてください」

 生きながら食われるのは、すごく痛そうなので勘弁してほしい。

 動転したわたしは、本気でそんな事を鬼たちに懇願していた。


「何を言っておる」

 真ん前の鬼が嗤った。


「百鬼夜行は始まったばかりじゃ。お主も列に加われ」

「は、はあ?」

 そんな。いくらわたしがこの世界ではブスだといっても、妖怪と同列にされるほど酷くはないと思うんですけど。

 いくら鬼とはいえ、女子に対して失礼なんじゃないでしょうか。


「よいから、来い。今宵はと妖物の饗宴だからの」

「あ」

 そうだった。わたしは死んでこの世界に来たんだった。


 わたしは牛車の方を振り返った。

 晴明さまと牛飼いの少年が、敬礼して見送ってくれている。


「許さん、安倍晴明……」


 ☆


 結局わたしは一晩中、京の大路を歩きまわる事になった。

 月がかかっているとはいえ、薄暗い中を意外と大勢の人が歩いるのに驚いた。


 そういえば藤原道長さまや光源氏も真夜中にやって来るな。

 あれもみんな、夜這いに行く男たちなのだろうか。


 みな、こっちに気づくと慌てて道を変えて逃げ去っていく。その中で何人か不運な人が捕まって食われているらしい。

 悲鳴のあとに、ボリボリとなにかを齧るような音がしている。

「うわ、これが自然の摂理と云うもの?」

 次第に、サファリパークを歩いているような気がしてきた。


「お前も食うか」

 そう訊かれたが、遠慮させてもらった。

 さすがに、そこまで人の道を踏み外す訳にはいかないだろう。



 遠くで、鶏の鳴き声が聞こえた。

 東の空が白々と明けてきた。


 気づくとわたしはひとり、大路の真ん中に取り残されていた。


「まったく。夜遊びとは、はしたない」

 邸の前で待っていた婆1号にこっぴどく怒られた。

「出会った方が妖怪と間違えてびっくりするではありませんか」

 すみません、婆2号。実はそれに近いこと、やってきました。

「それに、今はハロウィンの時期ではありませぬぞ」

 本当にすみません。少しだけ愉しかったのも事実です、って。


 あれ。


 気のせいかな。

 昨夜の一団の中に、婆3号に似た人がいたような気がしたけれど。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る