第11話 紫式部の壮大な野望

 この話は余談になるのだが。


「みさき様は、受領ずりょうという階級をご存知ですか」

 ある日、雑談の中で若紫ちゃんが切り出した。

「すみません。ご存じ上げないです」


 無知な事を罵倒されるのは、うちの三婆ぁでもう慣れっこだ。こんな事で見栄を張っても仕方ないことくらい、わたしも学習したのだ。


 聞けば、彼女の父親がその受領階級なのだそうだ。役割としては地方の行政と徴税を受け持っていて、今で言えば県知事といったところみたいだ。

 経済的には恵まれている者が多いが、やはり貴族と比較するとその地位は低い。


「だからわたしは、物語の力を使ってこの世界を支配したいのです」

 ぐっ、と拳を握りしめ宙を仰ぐ若紫ちゃん。

「お、おおう。それは、すごいですけれど」

 すごいけど、目が怖い。


「そこで、みさき様。あなたにも力を貸して欲しいのです」

 若紫ちゃんは、わたしの手をとった。

「わたしと一緒に、世界征服をしましょう」


 ……、できればお断りしたい。


 ☆


 どうやら、わたしの出自について道長さまから聞いたらしい。安倍晴明さまから固く口止められていた筈なのだが、そこはピロートーク、というやつなのだろう。

 まったく、どうしようもない男だ。


「未来には、世界を征服する物語も数多くあるのでしょう。その物語を、この平安京から展開すれば、わたしたちは世界の王となれるのです!」


 若紫ちゃんが世界征服の物語を書き上げ、光源氏がそれに沿って実行に移すのだ。

 さあ、教えろと、若紫ちゃんが、ぐいぐい、と迫ってくる。


「わたしには『光る源氏の君』という無敵の主人公がいます。そこへあなたの物語の知識が加われば、世界など……」

 そこで若紫ちゃんは、ふん、と鼻を鳴らした。

「あんな『枕草子』だか、まくら営業だかに描いたような、ちゃちな世界など……、こうです!」

 何かを握り潰すように、握り拳をつくる。

 やはり、清少納言が絡んでいたか。また何か意地悪なことを言われたのだろう。


「でも、あれはあれでキレイな文章ですよ。とても日本的で」

 ぎろ、と睨まれた。

「それは認めますが、そんな事を言っているのではありません」

 やはり、認めてはいるんだ。


「わたしが欲しているのは、堕落した女房どもを正義の女官が叩きのめして、若い東宮とうぐう(皇子)さまとともに天下に君臨する物語です!」

 それって、めちゃくちゃ個人が特定出来るんですけど。



「そうですか。やはり、そんな話はありませんか」

 がっくりと肩を落とす若紫ちゃん。ちょっと可哀想な気もする。

 でもなんだか、韓国ドラマにそんなのがあったような気もするが、詳しく見てないので分らないから、ここは黙っておく。


 その代わり、といっては何だけれど。

「若紫さま、こんな話はお好きですか?」

 わたしは、ある物語のあらすじを話しはじめたのだった。


 ☆


 昨今、平安京に暗躍する光源氏。

 彼が原因となって、不仲となった男女は数え切れないという。


 夜半、恋人のもとに男が忍んで行っても、部屋に入れてさえもらえず、冷たくあしらわれるようになると云うのだ。

「ああ、源氏さま……」

 そして部屋の中からは必ずそういう声が聞こえてくる。

 いわば都市伝説といってもいいような事態が、ずっと続いていたのだ。


 藤原道長や安倍晴明が対応に駆け回っていたのはそのせいだった……のだが。

 それが、ある日を境にピタリとその噂が止んだ。


「へえ、良かったじゃないですか」

 わたしは干し柿をつまみながら言った。この時代で最高のスイーツだ。


 でもなぜか道長さまは機嫌が悪い。

「よい訳があるか」


「いったいどうしたのです、殿」

 若紫ちゃんが筆を止め、顔を上げた。最近は表情が穏やかだ。世界征服はあきらめて、書きたいことを見つけたから、らしい。


「今度は、頭中将とうのちゅうじょうをはじめとして、若手の官僚どもが揃って朝議に欠席をしておるのだ」

 話しながら、怒りが募ってきたらしい。顔色が赤黒くなっている。


「理由を問うても、やれ尻がどうだのと、訳の分からぬ事をぬかしおって。一体どういう事であろうか」


「どうなんでしょう、痔瘻じろうと云うものは伝染するのですか」

 真面目な顔で若紫ちゃんが訊いている。

 だが、まあ、お尻の病気であれば、それしか考えられないだろう。


「そんな事、儂が知るものか。晴明にでも聞いてみるがいいわ」

 いや。多分、晴明さまも知らないと思う。


「まったく困ったものだ」

 道長さまは顔を両手で擦る。

 ふと、若紫ちゃんの文机に目をやった。


「ところで、式部。最近はどんなものを書いているのだ。全然見せてくれないが」


 若紫ちゃんは、少しはにかむ。

「ええ。これは、みさき様に教わったのですけれど」


 題名は『寝台を支配する執事』


「びーえる、と云うものらしいのです」

 そう言って、彼女は艶然と微笑んだ。




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