第9話 吸血鬼はイロゴノミ?

 平安時代とはいえ、さすがに眠るときまで十二単じゅうにひとえを着ている訳では無い。今は、わたしも肌着の上に少し重ね着しているくらいだ。


(しまった。もう二十枚くらい着込んでおけばよかった)

 悔やんだが、明らかに遅かった。

 光源氏がわたしの襟元を寛げにかかる。

 抵抗しようにも、やはり手足が痺れて動かなかった。狩衣にしびれ薬をしみこませて、なんでこの人は平気なんだ。


「ほほう。なんと美しい鎖骨だ。食べてしまいたいぞ」

 生まれて初めて鎖骨を褒められた。まあ、こんな状況だからという訳でもないが、まったく嬉しくはない。

 むにゅ、と、そこに唇が押し当てられる。

 ぞわ。


 長い舌が、鎖骨からわたしの首筋にかけて這い上がってくる。

 ぬるり、とあごの下まで舐め上げる。

 ぞわぞわぞわ。全身に鳥肌がたった。


「おや、何か妙な匂いがするね」

 光源氏が首をかしげ、眉をひそめた。

 そういえば、わたしの身体から臭っているような……。

 そうだ。ここ最近、ネギとかニラばかり食べさせられていたのだ。精をつけるため、とかあの婆さんたちは言っていた。


「ニラやニンニクに含まれる硫化アリルが、に効くのですよ」

 とか、婆3号が言っていたような気がする。


 そうだよ、吸血鬼対策にはニンニクじゃないか。だから、光源氏はこんな顔をしているんだ。ちょっと女子的には問題ありだが、これで助かったかもしれない。


 どうせ、庭で自生している雑草を食べさせてるんだろ、と邪推していたが、これは感謝すべきだろう。勿論ここまで先を読んでいた訳ではないだろうけれど。

 でも、ありがとう、婆さんたち!


 ところが、光源氏はにやりと相好をくずした。

「なんだ、姫もその気で準備していたのだね。なんと可愛い」

 はい? もう、いやな予感しかしない。


「ほら、私もこうだぞ」

 そう言うと光源氏は、わたしに息を吹きかけた。


「に、ニンニク臭いっ!」

 全然、わたしどころじゃない。すり下ろし生ニンニクを鼻腔に流し込まれたくらいの匂いだった。

 刺激臭で目が痛い。

 あんまりビックリして声が出るようになったほどだ。


「何なんですか、女の子を訪問するのにそのニンニク臭はっ!」

「おや、これは異なことを。せっかくその気になっている女子を前に、使い物にならなかったら、それこそ失礼というものではないか」

 現に私はこうなっているぞ。光源氏はそう言って袴を脱ぎ始めた。


「ちょ、ちょっと。あの、こんな所で……、おおう!」

 こ、これは。ホンモノはこんななのか。わたしの愛読するBLマンガ『浴場に欲情する執事』で見たモノの数倍はある……。

 あ、いや。暗いから、本当は全然見えて無いんだよ。そんな、月明かりに目をこらして凝視してるなんて、そんな事は全然ないんだからね。だいいち、見たくもないし。そんなモノ。

(……誰に言い訳してるんだ、わたし)


 光源氏の手がわたしの着物の裾から侵入し、内腿を執拗に撫でている。

「ちょっと、あの。やめてください……」

 まずい、なんだか少し気持ちいい。なぜだ、こんな状況なのに。これが光源氏の魅力という奴なのか。そのまま一番奥まで指でなぞられ、わたしは呻き声をあげ、唇を咬んだ。


「ふふっ、身体は正直だな。もうこんなに反応しているじゃないか。私の服の、媚薬の香りに」

 やっぱり薬のせいか! どれだけ薬品好きなんだ。おまけに言ってることはただのエロ親父だし。


 その最低男はわたしの着物の前をはだけていく。

 とうとう最後の一枚になった。わたしはきつく目を閉じる。


 ころん、と、ふところにしまっておいた、それが床に転げ落ちた。

「うん、何かな?」

 光源氏はそれを拾い上げた。

「ほう、珍しいインノーだな」

 ほら。ほーらみろ、やっぱりインノーが正解だったんじゃないか。


「いや、姫。ここは笑うところだぞ。私はいま、印籠いんろうとインノーを言い間違えたのだから。ちゃんと突っ込んでもらわなくては困る」

 まじめな顔で、光源氏にダメ出しをされた。

 なんだか悔しさが倍増した。


「まったく、近頃の若い娘はこれだから……」

 そう言いながら、印籠に目を近づけた光源氏は悲鳴をあげた。

「うわーーーーーっ!!!!」


 すごい勢いで床に平伏し、その印籠を頭上に捧げ持っている。

「お、お許しくださいっ、もう浮気はしませんからっ!」

 これは誰に言っているんだろう。その目から妖しい赤い光は消え、牙も引っ込んでいる。


「申し訳ありません、鬼ヨメ…、いや、あおいどのっ!」

 どうやら葵の御紋に謝っているらしい。知らなかった。この時代からすでに徳川家は隠然たる勢力を持っていたのだろうか。

 歴史の不思議を垣間見た思いだ。


 ☆


「そこまでだ、光源氏!」

 低く渋い声が部屋に響き渡った。

 ああ、この声は!


「遅いです、道長さま」

 思わず恨み言の口調になってしまった。

 縁側に颯爽と立つ藤原道長は、ふふっ、と笑って片手で乱れたびんをなでつけた。

「そう申すな。先程まで、女が離してくれなかったのだ」

 そうだ、こいつはこんな奴だった。


「もう逃げられんぞ。覚悟せい、光源……じ」

 一歩、室内に踏み込んだ道長はそのままばったりと倒れた。

「あれ?」

 ああ、どうもこれは光源氏のしびれ薬にやられたらしい。

 ちょっと、道長さま。何しに来たんですか。


「勝手な事をして、余計な仕事を作らないで下さい、道長さま」

 後から現れたのは安倍晴明だった。

 手にした小壺から何かを口に含み、それを、ぶふぉーっと霧状に吹き出した。

 おお。悪役プロレスラーみたいだ。


 その噴霧で、部屋に立ちこめた妖しい匂いが消えていった。

「消臭剤みたいなものかな」

 決してプロレスラーが使う毒霧ではなさそうだ。


「ちっ、今宵はここまでかっ」

 光源氏は身を翻した。

 

「ああっ?」

 彼は一瞬で小さな蝙蝠こうもりに変身していた。


「逃がすか!」

 晴明が、手にした紙人形を空中に放った。それは意志あるもののように蝙蝠に襲いかかり、その羽ばたきを押さえ込もうとする。

 よろよろ、と床近くまで降下してきた蝙蝠だったが、大きく羽を拡げ紙人形を引きちぎった。

「むむっ!」

 晴明が呻く。呪法を破られ、ダメージを受けたのだ。


「さらばだ、異世界の姫よ。貴女あなたを必ず私のものにしてみせるぞ」

 わはははは、と笑い、その蝙蝠は金色に輝きながら月の夜空に消えた。


「貴女、の間違いであろうが」

 ぽつりと晴明が言った。

 

 こうして『光る源氏の君』捕獲作戦は失敗に終わり、平安京の女たちの眠れぬ夜は、まだしばらく続くのだった。


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