第6話 紅花の憂鬱

 こんな事を訊いたら、また罵倒されるかもしれないが。

「安倍晴明さまって、狐なんですか」

 昼過ぎに目覚めたわたしは、婆1号に質問してみた。夕べ、月明かりの下では全く不思議とは思わなかったけれど、今思い返してみると異常なんてものじゃない事に気付いたのだ。


 婆1号は、おや、という風にわたしを見た。

「ええ、確かにあの方にはそういう噂がございますね」

 婆1号が隣をみて、婆2号と頷きあった後、首をかしげた。わたしが存外まともな事を言ったので不審がっているようだ。


「いわく、母君が信太しのだの森に住む妖狐なので、晴明さまご自身も不思議な能力をお持ちなのだとか、巷間では噂されていますよ」

 それを受け、2号が説明してくれた。

 なるほど、そうだったのか。


「つまり半人半妖で、最近流行りの『ケモ耳萌えー』でございますね」

 だから婆3号、あなたは一体……。


 ☆


 ……お腹空いた。

 それに、寒い。外は結構良い天気なのに気温は低いままだ。

 くしゃん! 大きなクシャミをしたせいで、はなみずが出た。慌てて紙で拭うけれど、固い紙のせいで、余計はながヒリヒリする。

 まずい。これでは、はなの先が赤くなったかもしれない。まさに赤鼻=紅花=末摘花になってしまう。


 そうか、こんなに寒いから、みんな重ね着しているんだ。この十二単じゅうにひとえも単なるファッションじゃなく、ちゃんとした防寒対策だったんだな。

 平安時代は小氷河期だったとも聞くし。

 婆3号が置いて行った防寒着に気付いて、衣装箱から出してみる。

「こ、これは……」


 一見すると、すごく上等そうな毛皮だ。手触りも悪くない。でも、あちこち毛が抜け、色褪せたこのマント、というか、パーカーみたいなのを羽織り、フードを被ると……。

 鏡を見なくても分った。


「完全に、ネズミ男じゃないかっ!」


 仕方ない。寒さを凌げるなら我慢しよう。でもなんて侘しい暮らしなんだ。ここって、本来は貴族の筈なのに。


 ようやく食事になった。

 でも、これが朝食なのか昼食なのかは分らない。もしかしたら夕食の可能性すらあった。

「おお、珍しい。今日の汁にはシジミがはいっておるではないか」

「本当じゃ。しかも二つも」

 婆1号と2号が歓声をあげる。

「よく見なされ、それはシジミではありませぬ」

 それを婆3号がたしなめている。

「何と、シジミではないと? では何なのじゃ」

「それは汁の表面に、そなたらの目が映っておるだけじゃぞよ」

「おお、これはしたり」

「なんとなんと、ぬか喜びであったか」

「かっ、かっ。なんとそそっかしい事よ」

 おーっほほほ、と三人で笑っている。


 完全に、魔女の集会に迷い込んだ気分だった。

 わたしは暗澹たる気分で、その何も具が入っていない汁をすすった。


 ☆


 もう、寝よう。

 日が落ちたのでわたしは寝所に入った。この婆さんたちと話をしていても、気が滅入るばかりなのだ。


「ああ、でも。光る源氏の君が来たらどうしよう」

 困った。とても時間稼ぎなんて出来そうに無い。この十二単をゆっくり一枚ずつ脱いでいけば、朝まで持たないだろうか。

「絶対むりだ」

 悪代官と町娘みたいに、くるくる回しながら強引に脱がされるに違いない。そのあと、わたしの初めてが……。


 わたしは、隣の部屋で眠る三人の婆さんたちに目をやった。

 あの三人って、一度寝たらまず目を覚まさないのだ。


「ほうほう」

 きっとわたしは悪い顔をしていただろう。



 ふと気付くと、夜更けに声がしていた。わたしは押し入れの中に隠れていたのだ。


「……おかしいな、噂ではもっと若い娘だときいたのだが……」

 とか言っている。

「くそっ、光源氏め。この頭中将をたばかったな」

 どうやら、今夜訪れた男も、光る源氏の君ではなかったらしい。


「まあせっかくだ。やることはやらねば、もったいないからな」

 衣擦れの音がして、そのあと何か、事におよんでいるらしい気配があった。


(ごめんなさい、三婆の誰か)

 わたしは心の中で手を合わせた。でも、本当、男って……。




 どうやら、わたしが身代わりにしたのは婆2号だったらしい。


「おや、どうしたのじゃ。今朝は肌つやがよいではないか」

「ほんに、別人のように若やいでおる」

 1号と3号が羨ましげに、2号の頬のあたりを撫でさすっている。

「なぜじゃろう、全身に精気が満ちておる感じなのじゃ。」

 お嬢さまはどう思われます、とわたしに意見を求めてくる。


 はあ、不思議なことがあるものですね……、わたしは言葉を濁した。






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