第5話 末摘花、囮(おとり)になる

 わたしは、こほんと一つ咳払いした。

「失礼、つい取り乱してしまいました」

 この平安朝に転生して以来、知らず知らず妙なテンションになっていたようだ。


「私とした事が、この尻尾を見られるとは。何という迂闊……」

 人間の姿に戻った安倍晴明は、白皙に少しだけ赤い色を浮かべて唇をかんだ。膝立になると、わたしのあごに指先をかける。


「姫よ、一度目は警告だ」

 そう言うとわたしのあごを、つい、と持ち上げ、唇を合わせた。

 お、おうっ?


「お、お……な、な、何をするんですか?!」

 わたしは口を押さえてうろたえる。身体の中から何かが吸い取られるみたいで、ちょっとだけ気持ち良かった。何故か少し目眩がするけれど。


 晴明はわたしから身体を離し、また道長の隣に戻った。

「あなたが不届きな真似をするからだ。次は無いと思いなさい」

 は、はあ。すみませんでした。


「二度目の口づけで、あなたは完全に私の式神になる。そして三度目では、この世から消えてしまうから、そのつもりでいるがいい」

 三度目では、わたしは存在を喰らわれてしまう、みたいな感じらしい。

 静かに激怒している晴明の冷たい視線に、わたしは背筋を震わせた。


「あの。それで、『光る源氏の君』を捕らえるって、どうすれば……」

 藤原道長に声をかける、が、返事がない。

「あの……道長さま」

 俯いた頭が、かくんと前に倒れた。

「ちょっと、おい!」


「おお、なんであったかな」

 はっ、と藤原道長が顔をあげた。手で口許をぬぐっている。

「道長さま、寝てませんでしたか?」

「な、何をいう。目をとじて考え事をしていただけじゃ」

 高校生の言い訳みたいだ。……左大臣か、なにかじゃなかったっけ、この人。


「いやー、普段から激務をこなしておるからのう」

 とんとん、と首の辺りを叩いている。

「すまぬが、膝枕だけでもしてもらえぬか。今宵は何もせぬよ」

 わたしが返事をする間もなく、道長はわたしの膝の上に頭を載せ、ごろんと横になった。すぐに寝息をたてている。なんだか可愛い寝顔だった。


「あの……これ、どうしましょう」

 わたしが指差すと、晴明は少しだけ笑みをみせ、肩を竦めた。

「仕方ありません。……よければ、しばらく寝かせてあげて下さいますか」


 やはり相当疲れているのだろう。そこは朝廷の要職にある人なのだろうから、大目に見てあげなくては。

「ええ。実は、今夜はあなたで四人目なのですから」

「起きろ、このエロ親父!」

 わたしは勢いよく立ち上がった。



「そなたは何もしなくても、光源氏の方からやって来るだろう。すでに大輔たゆう命婦みょうぶを使って接触を持とうとしていたようだからな」

 道長は床にぶつけた頭を押さえながら言った。


「この屋敷の廻りに式神を配置しておきますので、奴が現れれば、すぐに私どもに報せが参ります。あなたは我らが駆けつけるまで、時間稼ぎをして下さい」

「は、はい」

 私は頷く。そうか、時間稼ぎをすればいいのか。


 ん、だけど。時間稼ぎって、何をすれば?

 平安時代の人が興味を持つような話題なんか知らないし。


「心配ない。奴は儂に似て、あちらの方は絶倫らしいからな」

 だから、わたしはそんな経験ないんですってば!


 ☆


 翌朝、わたしは三人の婆に囲まれていた。

「首尾はいかがでした、お嬢さま。上手くあの御方を、ものにされましたか」

 勢い込んで婆1号が詰め寄ってくる。そこは自分たちの生活がかかっているからだろう。恐ろしく真剣な表情だった。


「ええ。二人とも素敵な方でしたけど……」

「何ですと、二人?」

 婆2号が愕然とした表情になった。

「さ、さんぴーを? ブスのくせに」

 だから婆3号、あんたやっぱり平安時代の人じゃないでしょ。


「昨夜は『光る源氏の君』ではありませんでした。また改めていらっしゃるのではないかと思います」

 ふあーっ、とわたしは欠伸をした。

 とりあえず、今は眠い。


 おとり作戦は、起きてから考えよう。


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