第4話 では光源氏を捕獲します。
「やはり死んでいたのですね、わたし」
「心当たりがお有りなのですね、異世界の姫」
安倍晴明は、切れ長の少しつり上がった目でわたしを見た。
「あなたをこの世界に呼び寄せたのは、きっと、ここの使用人達でしょう」
現世でも地獄でもない、ましてや天国でもない
あの婆ども。そんな能力を持っていたとは。
「でも、そんな事が現実にあるんですね」
「現実? これは面白い事をいう姫だな」
藤原道長はいたずらっぽく笑った。
「この世界は、儂が作り上げたものだ。……ふふっ。つまり、この世界を現実と呼んでいいのは儂だけなのだぞ」
わははは、と、突然高笑いし始めた。やはり、ちょっと危ない男のようだ。
「この世をば、我が世とぞ思う望月の……とか仰っていましたね」
晴明は呆れた声で言った。
「ああ。さすがに天皇の前で言ったのは失敗だったがな。これでまた、儂の悪評が世に伝わってしまった。困ったことだ」
なのに、何故か嬉しそうだった。全く気にしていない、というか。
とにかく、すごい権力者なのだということだけは良く分った。
☆
「ああ、『光る源氏の君』か。あれも、儂が造り出したようなものだな」
なんだか、とんでもない事を言い出したぞ、このおっさん。
「儂の娘付きの女房のなかに文才のある者がいてな。それが書いている物語が、これまた傑作なのだ。『若紫の物語』というのだが」
その物語に登場するイケメンが『光る源氏の君』というらしい。
「あれは、じつは儂の事を書いたものなのだよ。数多くの女性との愛欲にまみれた生活を、事細かく描写させたものなのさ」
この物語はすべてノンフィクションです、という訳だ。
まさかそれを、あの紫式部に書かせたというのだろうか。
「うむ。恥ずかしがって耳を塞ごうとする式部に、儂がどんな風に女を陥落させ、嬌声をあげさせたかをじっくりと話して聞かせ、それを、式部がいやいやながらに文章にしている様を見るのが、儂の無上の愉しみなのだよ」
変態だ。真性の変態がここにいた。
「いや、もちろん言葉だけでは伝わらないだろうから、手取り足取り、夜通し再現してやった事は言うまでもないがな」
紫式部、可哀想すぎる。
「いやいや、だからこそあれだけ真に迫った色男が出来上がったのだろう。さすがは儂、と云う他ないのう」
そのモデルを前にして、何とも言いようが無いのだが。
でも、一言で言うならこうだろうか。
(地獄に落ちろ、この女の敵)
「でも、源氏の君はあくまでも物語の中の登場人物なんですよね」
道長はにやっと笑った。
ちっちっちっ、と人差し指を左右に振る。
「やつは、存在しているぞ。この現実の中にな」
晴明が、ぷいと横を向いた。
陰陽師といえば、
式神とは、人型に切った紙や、小動物。あるいは悪鬼、精霊の類いだが、それを意のままに操り、呪法などに用いるのだ。
「そうか、『光る源氏の君』は晴明さまの式神なんですね」
「いや、それがそうとも言えないのだ」
答えたのは道長だった。
「確かに造り上げたのは晴明なのだが、源氏の奴め、勝手に動き回り始めてな。今では晴明の命令すら聞かないのだ」
道長は困ったように、腕組みして首を振っている。
「最近では、儂の友人の六条の
もうそれは完全に自業自得というしかない。
だって、モデルがこれなら出来上がったものがそうなるのは自明のことだ。
「そこで、姫に力を貸して貰いたいのだ。つまり奴を捕獲したい」
道長がにじり寄ってくる。わたしは思わず後ずさった。
「私からも、ぜひお願いします」
そう言って晴明も頭を下げた。
ま、まあ、こうやって晴明さまに頭を下げられては、断るわけにはいかないだろうけれど。
「はい、分りました。わたしに出来る事なら、協力を……あれ?」
そこでわたしは気付いた。
晴明さまの背中側に、なんだか大きなふわふわしたものがある。
成人式とかで、よく和服に合わせる、もふもふ襟巻きのような、あるいは犬夜叉の殺生丸が纏っているようなあれだ。金色で、ぱたぱた動いている。
なんだか気になって仕方ない。ああ、気になる、触りたい。
「にゃうっ!」
ついにわたしは、猫じゃらしを見たネコみたいに、それに飛びかかった。
もふっ、とした感触。わたしはそれに顔を埋めた。
「な、何をなさいます!」
晴明さまが慌てた声を上げる。
わたしは構わず、それに頬を擦りつける。ああ、これ動物のしっぽみたいだ。もっとすりすりしてやる。
「ああ、暖かい。気持ちいい♡」
「きゃ、きゃうん!」
晴明さまが変な声で叫んだ。
途端に、わたしが抱えていたそれは小さくなった。
「あ、あれ」
そこに晴明さまは居なかった。
代わりに、そこに座っていたのは。
「駄目だぞ、姫。そんなふうに晴明のしっぽを触っては。ほら、呪がとけて正体を顕わしてしまったではないか」
さっきまで晴明さまだったもの。それは全身、黄金色に輝く小ギツネだった。
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