第2話 恋文には和歌を添えて?
もちろん『光る源氏の君』といえば、あの方をおいて他にいる筈もない。
(だけど、あれって物語の登場人物だよね)
そう、光源氏。
源氏物語のスーパーヒーローだ。
「その人は実在の人物なのですか」
わたしがそう言うと、婆さん三人は同時に愕然とした表情になった。どうやらわたしは、とんでもない地雷を踏んでしまったようだ。
「こ、この罰当たりが! よいですか、あの御方は今上天皇の第二皇子にあらせられるのですよ。その高貴な方に対し、存在を疑うなどと」
「まったく愚かしいにも程があるというものじゃ」
「とっとと、元の世界に戻りなさいませ。このブサイク女」
うわー、三人同時に責められるとへこむ。
ん? 最後に何かちょっと気になる事を言われたような気がしたのだが。でも、今はそれどころではない。
「そんな偉い方がいったい何をしに、こんなボロ家に……」
「ボロは余計でございます、お嬢さま」
おっと、考えたことが口に出てしまっていた。
「屋敷の事はさておき、お嬢さまのような方に会いにいらっしゃる事を不思議がって下さいませ」
もう分ったから、容姿の事は言わないで欲しい。
「ではこのお手紙に返事をお書き下さい」
そう言って婆1号(名前が分らないので取りあえずこう呼ぶことにした)が差し出したのは、『光る源氏の君』からの手紙らしい。
淡い色合いの、見るからに高級な紙に、細く美しい筆文字が並んでいた。もう美術館に展示してあっても不思議ではないレベルだ。
だけど。
「……。これ、何て書いてあるんですか」
☆
それからわたしは、どんなブラック企業だってここまでのパワハラは無いだろう、という勢いで罵倒された。しかも三人掛かりで。
何とか手紙の内容を教えてもらったのだが、さらに無理難題を押しつけられた。
「返書は、歌を添えるものでございます」
「はあ?」
歌? 歌って、あの歌?
「カラオケとか……、じゃ無いですよね」
「……」
ついに返事もしてもらえなくなった。まあこれはきっと、カラオケの意味が分らなかったのだろうけれど。
どうやら和歌の事のようだ。
「そんなもの、生まれてこのかた詠んだことが無いんですが」
「じ、じゃあ、こんなのは」
散々に責められ涙目になったわたしは、思いつくまま、適当に何か詠んでみることにした。
『はたらけど はたらけど わがくらし らくにならず じっとてをみる からごろもかな (みさき)』
「お嬢さま」
婆1号が恐ろしいほどの無表情でわたしを見た。いや1号だけじゃない、他の二人もだった。これは流石にふざけすぎたと反省する。なにより、石川啄木に謝らなくてはならないだろう。
「す、すみません。ついこんな冗談を……」
「お嬢さま」
もう一度呼ばれた。三婆が揃ってわたしを睨んでいる。
その、彼女たちの目から涙が噴き出した。
「なんという名歌でございましょう!」
「おお。私ども、このように鳥肌が立つほど感動致しましたぞ」
「お嬢さまは見掛けによらず、すごい才能をお持ちだ」
三人が抱き合うように慟哭している。
嘘だろ。
どうやら、このお婆さんたちも相当、生活に困っているようだ。歌のどこかが疲れた心に響いたのかもしれない。
やっと泣き止んだお婆さんは、紙と筆を差し出した。さっきのものとは明らかに質が落ちる。ほとんど新聞紙みたいな紙質だ。こんなので失礼に当たらないのだろうか、少し心配になる。
「ではこれに、先程の歌を」
「はい?」
わたし、筆で字なんか書いたことないんですけど。
☆
「……」
そのミミズが這った跡のような手紙をしばらく眺めたあと、婆1号は深いため息をついた。……これは、酷い、とその唇が動いたような気がする。
でも本当にため息をつきたいのは、このわたしだけれど。
どんな羞恥プレイなのだ、これは。
「ではこれを
そういって、婆2号は部屋を出て行った。
その大輔の命婦というのは光源氏の身辺の世話をしている女房らしい。ちなみに女房というのは女官の名称で、別に奥さんではない。
そうこうしている内に、夕食の時間になった。
「今日はすこし豪華にしてみましたよ。なんといっても、光る源氏の君をお迎えするのですから、精をつけておかなくては」
「……」
これは豪華、なのか。
玄米っぽい蒸し米に、よく分らない濁った汁。かちかちの干し魚と塩漬けの菜っ葉。それだけ。
お婆さんたちが、さっきの歌に感動した理由が少しだけ分った気がする。
「ところで源氏の君はいつ、ここにいらっしゃるのですか」
一緒に夕食を食べるとか、しないのだろうか。
「またご冗談を」
婆1号の顔がニヤリ、と歪んだ。
「知っておられるくせに」
と、婆2号。
「このカマトト、ぶりっ子めが」
どうもこの婆3号は平安時代っぽくない。
「あの、わたし全然そういった経験ないんですけどもっ!」
☆
夜も更けた頃、その男は静かに部屋に入ってきた。逃げようにも、わたしは婆ぁ共によって柱に縛り付けられていた。
「しかもなんで、こんな状況で!」
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