平安京キュリオシティ ~末摘花はブスじゃないっ

杉浦ヒナタ

第1話 これって価値観の違い?

 白く霞んだ世界に一人の男が立っていた。

(平安時代の貴族かな……)

 わたしは思った。


 それは彼の装束のせいだろう。狩衣かりぎぬというのだろうか、何かの本の挿絵とか、陰陽師を描いた映画などで見た事がある。彼の長身に、そのゆったりとした服がよく似合っていた。

 (そうだ、男子フィギュアスケートの羽生くんもこんな感じの衣装だった)


 整った色白の顔は気品と優美さを感じさせる。そして彼の切れ長の双眸は、じっとわたしを見詰めていた。

「あなたは……」

 わたしのその声は音にならなかった。何かがわたしの喉を塞いでいる。今は、柔らかな光を湛えたその視線を感じるだけで満足するしかなかった。


 ふっ、とその情景が消え、わたしの視界は闇に包まれた。


 ☆


 男の、ごつごつとした指がわたしの喉に食い込み、強い力で締め上げている。明らかな殺意を持った行動だった。

 (誰だっけ、この男)

 一瞬途切れ掛けた意識が、また戻って来た。


 スーツ姿のその男。落ちくぼんだ目は血走って、口の端からよだれが垂れている。

 わたしは、一体なぜこんな男に殺されようとしているのだろう?


「お前が悪いんだ。この取り澄ました顔で俺を誘惑したお前が。そのせいで俺は……」

 男が何か叫んでいる。

 そうか、なるほど。このわたしの美貌がいけなかったのか。

 いやいや、だけど、それで殺されるのは割に合わないんだけれど。もちろん、この男を誘惑した事なんかないし。


 わたし、紅野こうの みさきは学校に通う傍ら、この小さな会社でアルバイトをしていた。

 目の色が少し薄いのに加え、鼻筋がすっと伸びて、あごが尖り気味なので、よくハーフと間違われる。

 こんな事を自分で言うのは憚られるが、そこそこ美人だと思う。


 両親を早くに亡くし祖父母に育てられたので、若干、感覚が古いと言われることはあるが、まあ社会的にも上手くやってきた筈だ。

 こんなどこの誰とも分らない男に、命を狙われるような事をしてきた覚えはない。


 壁際に押しつけられて気付いた。

 窓が開いている。


 「わああっ!」

 その悲鳴はわたしのものだったのか、それとも窓際に呆然と立っているこの男か。

 そこでやっと思い出した。この男、隣の会社の社員だ。一度だけ挨拶したことがある。どうやら、そこで勘違いが起きたらしい。


 最近ずっと粘っこい視線を感じると思ったら、こういう事だったのか。

 (まったく、男って……)


 バランスを崩したわたしは、四階の窓から転落していった。


 さっきと同じ白い闇がわたしを包んだ。


 ☆


「お嬢さま、お嬢さま!」

 その声にわたしは意識を取り戻した。

 目の前にはやたらと重ね着をしたお婆さんが三人、わたしを取り囲むように座っている。わたし自身も同じような衣装を着て座についているのだ。これはいわゆる十二単じゅうにひとえというやつじゃないか。

 まるで平安時代の絵巻物の一場面だな、と思った。

「あれ、わたしは一体?」

 四階の窓から転落して平気なんて、あり得ないし。それにこの婆さん連中は……。


「まさか、これって」

 悲鳴のような声をあげたわたしを、三人の婆さんは蔑むような目付きで見た。

「なにが、まさか! でございますか。まったくお嬢さまは目を開けたまま寝ておいでなのですか、ほんとにもう、この……」

 お嬢さまと呼んでいる割には、ひとかけらの敬意も感じられないのだが。


「あの、変な事を訊くのですが」

 おそるおそる、一番偉そうな婆さんに声をかける。

「はい。お嬢さまの質問が的外れでなかった事がありましょうか。今度は何です?」

 これは困った。対応が冷たいぞ。


「もしかしてお婆さま方は、わたしを異世界に転生させてくれる女神か何かですか? ……ああ、答えなくていいです、分りました」

 質問した瞬間、婆さんたちの表情が暗くなったのだ。やはりどうも、そういう事ではないらしい。

 でもこれだけは聞いておかなければ。


「ここは何処なんでしょう、それにわたしは、誰なんですか」


 ☆


 そのあと、この婆さんたちに散々にののしられた。

 まあ、あまりにストレートに訊きすぎたのは認めるけれど。何もそこまで言わなくたっていいんじゃないだろうか。


 婆さんたちが嘲罵の合間に教えてくれた事情によると、どうやら今は、やはり平安時代のようだ。そしてわたしは常陸宮ひたちのみやという方の娘らしい。一応天皇家に繋がる家系なのだが、その父宮も亡くなり、こんな風に没落してしまったようだ。

 確かに邸の規模はかなり大きい。でも庭には雑草が生え放題だし、部屋の隅には埃が溜まっていて、手入れが行き届いていないのは見え見えだ。

 使用人もこんなお婆さんばかりだし……。


「よろしいですか。お嬢さまは、見た目が他人より不自由なのですから、もっとその、せめて言動に、注意をして頂いてですね……」

 それも酷い言われようだな。見た目が不自由って。


「あ、あの。ちょっと鏡を貸してもらっていいですか」

 婆さんはため息をついた。

「今更、確かめても遅いでしょうに。それに知りませんよ、石になっても」

 わたしはメドゥーサか。


「……」

 鏡を覗き込んで、わたしは沈黙した。

「こ、これって?」

 やっと、それだけ声になった。

 三人の婆さんが、そっと涙を拭っている。そこまでされると、流石に傷つくんだけど。


 鏡に映ったわたしの顔。

 すらっとした鼻梁に尖り気味のあご。長い髪を真ん中で分け、後ろに流しているので額の広いのが分ってしまうが、それだってどちらかと言えば、知的な印象を与えるだろう。

 

 つまり向こうの世界、というか前にいた世界と、わたしの顔はんですけど。


 ええー? とわたしは、三人の婆さんの顔をまじまじと見詰めた。

 鼻は低く頬はふっくら下ぶくれ。

 なるほど、わたしとは全く逆だ。これが平安時代の美人の条件なのか。だとすると、ここにいるわたしは、とんでもないブスと云うことになる。

 やっと、婆さんたちが嘆いている理由がわかった。


「納得いただけましたか、醜女……いえ、お嬢さま」

 呆然とするわたしを見て婆さんはため息交じりに言った。


「とにかく、今宵はあの『光る源氏の君』がこの邸においで下さるのです。決して粗相のないようにお願いいたしますよ。この日のために、われら一同あれこれとお嬢さまに教育して参ったのですからね」


「あ、そうなんですか」

 わたしは不承不承、頷く。でも残念ながら、その教育って何も記憶に無いんですが。


 それに『光る源氏の君』って、誰?


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