第三章-09 転校生は暗殺者
※
「やめろ、ミカ!」
俺は叫んだ。
改めてミカの強さを目の当たりにして呆然としていた俺だが、止めずにはいられなかった。目の前でミカがニコルにナイフを突き刺そうとしたからだ。そんなことをすれば、当然ニコルが死んでしまうではないか。
「……兄さん」
ミカは、ニコルに振り下ろそうとしていたナイフを止め、こちらを一瞥する。
「……やめるんだ、ミカ。俺を守るためでも人を殺してはダメだ」
それを聞いたニコルがミカの下で大笑いする。
「馬鹿じゃないの! 私はあなたを殺そうとしているのよ! 何で止めるのよ! この子が殺さないと、あなたの方が殺されるのよ!」
トレバーさんは俺に言っていた。
もしも目の前に俺を殺そうとしているやつがいたら、俺を救うためにそいつを殺すことも厭わないと。
それを聞いた時、俺は仕方ないことだと思った。一種の正当防衛。ヤバい暗殺者たちから身を守るためなら、相手を殺す覚悟だって必要だ。
だけど、実際にその状況になった今、俺の考え方は変わった。
自分の命が助かる代わりに誰かが死ぬ。そんなこと、俺には耐えられない。
確かにニコルは組織の暗殺者だった。俺を騙して近づいた。名前も偽名かもしれない。けど、ニコルという存在は偽物じゃない。本当に存在する女の子なんだ。いくら暗殺者でも、俺と同じ血の通った人間。そいつの人生を奪うことを俺には耐えられない。彼女は組織のボスの指示に従っているだけ。出来ることなら、軽くお仕置きするくらいで許してやりたい。
そしてだ。
ミカが誰かを殺すこと。
そんなこと、俺は絶対にやって欲しくないんだよ。
「ニコル。お前に狙われていると知って俺はめちゃくちゃビビった。俺を騙して近づいていたって聞いてショックだった。だけどな、お前に死んで欲しいとまでは思わない。今日のデート、俺は楽しかった。学校でのこともそうだ。お前と一緒にいる時間、俺は楽しかったんだよ」
「……は? そんなの全部演技よ。あなたを安心させて近づくための」
「ああ、全部演技だったのかもしれない。俺が見てきたのは『本当のお前』じゃないのかもしれない。だから俺、素のお前ってやつを知りたいんだよ。もしかしたらさ『本当のお前』とも友達になれるかもしれないだろ? だけど、ここで死んでしまえば、そのチャンスもなくなってしまう。お前がどうして暗殺者なんてやっているのかは知らないし、何も知らずにお前とこのまま別れるのは嫌だ。お前のこと、俺はもっと知りたいんだよ」
「……ば、馬鹿じゃないの……。やっぱりあなた意味がわからないわ……」
「そうだよ。兄さんは時々分からないことを言うの」
ニコルの上でミカが言った。何故か自慢するような言い方でだ。
それを聞いたニコルは、大きくため息をつく。
「何なのよ、こいつら……。調子狂うわね……」
「――任務はもう終わりだよ、ニコルちゃん」
言ったのは、加純だった。
ニコルは怒りの表情を作る。
「はあ!? ふざけたこと言わないでよ! 終わってなんていないわよ! 確かに私はこいつに負けたわ! けどね、たとえ私が敗れても、第二第三の――」
「ううん、そうじゃないの! 今、組織から連絡が入ったの! 『加賀美 優の暗殺、及びマイクロチップ回収の指令は撤回する』って! ボスからのお達しだって!」
そう言って、加純はスマホの画面をニコルに向けて突き出した。
「なっ!?」
ニコルは鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。
おいおい、今度は一体何が起こったんだ。
※
加純のスマホのディスプレイに映し出されているのは、ニコルにとっても見覚えのある画面だった。組織との暗号通信時にのみ使われるメッセージアプリの画面である。
それは間違いなく、組織から送られてくる指令であった。
『加賀美 優の暗殺、及びマイクロチップ回収の指令は撤回する』
加純の言う通り、その旨のメッセージが書かれていた。
「ど、どういうことよ! 突然どうして!?」
加純は首を横に振る。彼女にも理由は分からないのだ。ボスが一度下した命令を撤回することは、少なくとも彼女たちが知る限りはあり得ないような事態だ。
驚き慌てる二人と、呆然とする優を尻目に、ミカは一人ホッとした表情を作っていた。
組織のボスが優暗殺を撤回した。この場でその理由を知っているのは、ミカだけだからだ。
水面下で進められていたトレバーの交渉が上手く行ったのである。
トレバーは組織の幹部からマイクロチップを奪取。手に入れた情報とマイクロチップの存在を盾に組織と取引を行った。
『もしも加賀美 優の命を狙うというのなら、マイクロチップの情報は世界に公開する』
ボスはその要求を呑んだ。もしもマイクロチップの中に収められた『機密文書・黒』が公表されれば、自身の身元が特定されてしまう。ボスの正体は秘密だからこそ無敵。正体が知られれば無敵の牙城は崩れ、今度は逆に自分が暗殺の対象となる可能性さえ出て来る。
だから優は組織のターゲットから外された。
全てトレバーの作戦通りとなったわけだ。
「理由なんて何だっていいよ! もう、私たちは加賀美くんを殺さなくていい! それで十分だよ!」
ニコルに報告しながら、加純は泣いて喜んでいた。
優を殺さなくて済む。
それだけではない。組織を裏切らずに、優の命を救うことが出来たのだ。この先、別の暗殺者が優を襲う危険はない。最大の懸念材料がこれでなくなった。
泣きじゃくる加純の様子を見ながら、ニコルは大きくため息をつく。
「……あーあ。ま、ボスからの命令じゃあ、優を殺すわけにはいかないわね」
やれやれといった言い回しだが、どこかニコルの表情は嬉しそうだった。
するとミカは拘束を解き、ニコルの上から退いた。
彼女からはもう殺意を感じないからだ。
※
ミカに手足の拘束を解いてもらい、ようやく俺は身体の自由を取り戻した。
シャッターをくぐり、外に出る。周囲は見覚えのない場所で、俺は大きな倉庫に閉じ込められていたらしい。空はもうすっかり暗かった。
俺が深呼吸をして思いっきり伸びをしていると、加純が俺に深々と頭を下げて来た。
「……加賀美くん。色々、ゴメンなさい。騙したり、怖い目に遭わせたりして」
「あ、ああ、いや。俺は気にしてないよ。もう俺の命を狙わないって言うなら、俺はそれでいいからさ、お前も気にするなって」
「加賀美くん……」
目の前にいるのは、いつもの加純だ。ミカと戦ったって話だし、髪の毛が乱れて、制服がところどころ泥で汚れてしまっているが、それ以外はいつもの加純と変わらない。暴力とは無縁の性格だと思っていたので、こいつが戦闘のプロっていうのが未だに信じられなかった。
「悪いのは俺の命を狙った組織だ。むしろ、加純は俺を助けてくれようとしたしな。これからも、前と同じように、俺とミカと仲良くしてくれよな」
隣でミカも頷く。
「そうだよ。あなたは兄さんを助けてくれた。あなたがいなければ、こうして兄さんを救うことは出来なかった。ありがとう、カスミ。これからも、よろしくね」
差し出されたミカの手を、加純は握り返す。
「ゴメンね……。ううん、ありがとう、二人とも」
俺たちのやり取りを見ながら、すっかり毒気の抜けたニコルが肩を竦めている。
「……ホント、優って不思議ね。普通ならもっと怒るか、私たちのこと怖がりそうなものなのに」
ぶっちゃけもう慣れてしまったからだ。妹のミカが暗殺者だったことを思えば、転校生のニコルが暗殺者くらい何てことはないと思ってしまう。
加純のこともそうだ。ミカより付き合いの長い仲の良いクラスメイト。それが裏で暗殺者をやっているなんて、今明かされる衝撃の事実って感じだが、こうなって来ると周りにそういうやつはもっといるじゃないかと思ってしまう。
ともかく言えることは、俺の命を狙わないっていうのなら、二人が組織の人間だろうが、暗殺者だろうが、俺の中では特に問題ないことなのだ。
「……ま、一応、私も謝っておくわ。仕事とはいえ、危害を加えてしまったしね」
加純と同じように、ニコルも俺に頭を下げて来た。こいつもこいつで極悪非道の暗殺者ってわけではないのだ。
「安心して。今後、あなたには危害を加えないわ。組織から命令されない限り、私があなたを殺す理由なんてないんだからね」
そう確認するように言いながら、ニコルは。
何故か俺にキスして来た。
「は……。え……」
しばらく固まる俺。
外国人特有の挨拶のアレではない。そんな生半可なやつではない。
ガッツリ唇にやって来やがったのだ。
「な、なんで……?」
「フフッ。お礼よ。さっき妹ちゃんに殺されそうになったのを助けてもらったから」
そう言ってニコルはウインクして来た。
あ、ああ……。
お、俺の初めてが……。
でも、すげえ柔らかかった……。
「な……! な……! な……!」
ミカが俺とニコルの間に割り込む。
「何をやっているの! 危害を加えないと言ったばかりなのに! 兄さん拭いて! 今すぐ拭いて! 毒を仕込んでいる可能性があるわ!」
「ニコルちゃ~ん……」
「へ?」
加純が地面にパンチを放った。
すると、地面にドでかいクレーターが出来上がった。
あ、加純ってマジで強いんだと、俺もこれではっきりと理解出来た。
「ちょっ!? なによ! そんなに怒らなくてもいいでしょ!」
ニコルは素早い身のこなしで跳躍。そのまま近くにあった建物の屋根に飛び移った。
「バーイ! 優! 今日のデート、割と楽しかったわよ!」
屋根伝いにニコルはその場から退散して行った。
「待ちなさい! ニコルちゃん!」
「逃がさないわよ!」
逃げ出したニコルをミカと加純が追いかける。
結果、一人その場に残される俺。
「あの……。俺はどうやって帰ればいいんでしょうか……」
どこなのか、帰り道も全く分からない場所に残され、途方に暮れる俺だった。
※
その後、家に無事に帰って来られた俺は、母さんが眠ってから、ミカと共にトレバーさんの部屋に呼び出された。
俺は裏で行われていたことを全て聞いた。トレバーさんは組織からマイクロチップを奪い、それを使って組織を脅したのだ。もしもまた、俺の命を狙って来ることがあれば『機密文書・黒』の内容を白日の下に晒す。そういう脅しである。
味方にすればこんなに頼もしい人はいない。恐ろしい組織を相手にたった一人で優位に立ってみせたのだ。
「ところで、ミカ。さっきから何やっているんだ?」
トレバーさんから事情を聞いている間、ミカがPCのキーボードをカチャカチャやっているのが気になったので俺は尋ねてみた。
「バックアップを取っているの。組織が怪しい動きをした時の保険にね。交渉は済んだけど、やつらがまた仕掛けて来ないとも限らない。そのための保険」
「え……、それじゃあ、まさかそれが……」
「ええ。兄さんが今回の騒動に巻き込まれた全ての原因。『機密文書・黒』よ」
「っ!?」
マジかよ。それじゃあ今このパソコンの画面に映っているのが、組織の重大な機密……。
良くないとは思いつつ、俺は食い入るようにディスプレイに注目する。
意外なことに、それは日本語で書かれた文章だった。ミカやトレバーさんが翻訳したというわけでもなく、原文そのままとのこと。
「どうやらボスは日本人のようなの。ここにそれを示す証拠が書かれている。ボスの本名がこの文書には載っているから」
国籍と本名。正体を隠している人間にすれば、それは重大過ぎるプロフィールだ。それならボスもこの文書の流出を恐れるはずだ。組織のボスは自分の正体に繋がるあらゆる情報を消して来ているって話だしな。
「……ただ、どうも不可解なの」
「不可解?」
「ええ。日本語では書かれているんだけど。私には理解出来ない内容だった」
理解出来ない内容?
ミカが分からないような複雑な日本語でも使われているのだろうか。
俺はミカの横からパソコンの画面を覗き込む。
「なになに。『俺の名はタカシ――』」
どうやらこのタカシというのがボスのようだ。なるほど、本名を堂々と記してしまっているな。
タカシはどこにでもいる高校生らしい。
タカシはある日、不思議な力に目覚め、学校に現れたテロリストをその力で無双して――。
「………」
すぐに俺は居たたまれなくなって読むのを止めた。
「どうかしたの、兄さん?」
「……ああ、いや。これはマジで公表するのはやめてあげよう。うん」
「もちろんよ。公表すれば報復のためにまた兄さんの命が狙われてしまうわ」
「ああ、いや、まあ、それもあるけどさ……」
これを公表すればボスは暗殺されるレベルのダメージを受けることになるだろうな。
『機密文書・黒』の正体。
それは組織のボスが高校時代に書いた自分を主人公にした俺TUEEE系の妄想小説だったのだ。
正に『黒』歴史であり、ボスにとっては重大すぎる機密だ。
おそらく俺たちの学校にボスも昔通っていて、この小説を学校に残して卒業してしまった。その回収を部下たちにさせようとして、今回の騒動になったということらしい。
ボスが必死になっていたのも納得ではある。
だが、こんなもののために命を狙われたことに落胆する俺であった。
※
こうして俺は安全な身となり、いつも通り学校に通うようになる。
登校中、誰かに命を狙われていない。
そんな当たり前のことが異常に嬉しい。
「おはよう、兄さん」
何より隣に可愛い妹がいる。こんなに嬉しいことはない。
「おはよう、加賀美くん」
加純も元通りとなった。
組織を裏切ろうとした加純だが、そうする前にボスは俺暗殺の命令を取りやめた。裏切ろうとしていたことも組織には伝わっていない。ニコルはそれを報告しなかったからだ。
そのニコルはというと――。
「おっはよう、優!」
変わらず俺たちの学校に通っている。
「……もう兄さんを狙う必要はないのでしょ? どうしてまだこの学校にいるの?」
ミカが不機嫌そうに言う。
「ええ、そうよ。優を殺すつもりなんてないわよ。でも、学校を辞める理由はないでしょ? 私だってここの生徒なんだから。さ、行きましょう、優」
「お、おい!」
ニコルは何故か俺の腕に抱き付いて来た。
「「何やってるの!」」
ミカと加純が同時に言う。
「何か問題ある?」
ミカ、加純、ニコルに囲まれ、俺は学校へと歩いて行く。
俺の謎のハーレム状態の日々が始まるのだった。
暗殺妹 蘇之一行/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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