ロゼット
たまき瑠璃
1作目
色黒でがっしりとした担任、山センの声が職員室に響く。机の上にはあたしの成績表。
「園咲オマエ、二年になっても遅刻は多いままだし、その髪色はやめろと何回も言っているだろ?このままだと期末後には親御さんに連絡することにもなるぞ?」
恥ずかしいからもう少し声のボリュームを下げてほしい。ピンクアッシュの可愛さわかんないかなあ?
「わかってまーす」
窓の外の川沿いに咲く桜並木を見つめ葉桜が揺れているのを横目に見ながら返事をする。お母さんはあたしの成績に興味なんてないよ、出来のいい姉や弟に夢中だもん。平凡なあたしを有名進学校に押し込めただけ、エスカレーター式だから、別に頑張らなくていいの。正直言うと勝手にどーぞって感じ。
(もう十分くらい経ったかな、担任な上に生活指導もしているとか二倍だるい)
立ち疲れて足の重心を掛け直していたら、突然後ろから声がした。
「山崎先生」
振り返ると見知らぬ男子が近づいてきた。真面目そうな雰囲気で制服をキッチリ着こなし手には大きめの茶色の封筒を持っている。
「僕が教えてあげましょうか」
落ち着いた丁寧な口調の低い声で彼は言った。山センとあたしがキョトンとしていると、彼はもう一度口を開いた。
「僕が彼女に勉強を教えてあげましょうか」
あんた誰と聞こうとすると、山センの大きな声に遮られた。
「藤宮、お前A組だろ。いいのかぁー?」
A組は一風変わった特別進学クラス。少人数制だがA組に入った時点で特待生になり授業料は免除。海外にある系列校にも、A組ならば無償で留学することができる。だから皆入りたがる。クラス分けはシビアに成績順でクラス分けされる為、全生徒は一年に一度チャンスが巡ってくる。
「はい。教えると僕も復習になるし、丁度いいんです」
そう言って彼はちょっと口角を上げた。
「あたしは別に」
必要ないと言おうとしたのに、白い歯を見せながらカッカッと笑う声に掻き消された。
「そうかぁ! ならいっちょう頼むわ。よかったなぁ園咲!」
山センはそう言いながらあたしの背中をバンバン叩いた。
(痛いっつーの)
あたしは幼等部からの流れでここにいるだけ、そう思っても最低ランクのE組の自分と比べてしまい妙な苛立ちを覚える。あたしが話すタイミングもなく担任とA組男子の話はドンドン進んでいった。話が終わり二人で廊下に出て、職員室のドアがぴしゃりと閉まる。
「ねぇ、あたし教えてなんて頼んでないんだけど。A組様がいきなり何の用なの?」
思いっきり皮肉をこめて聞いてやった。
(見覚えのない顔、高等部から入ってきたのかな)
しかし彼は動じず、涼しい顔をしている。クルクルの癖毛に黒縁の眼鏡がいかにもインテリって感じ。
「A組様はやめてくれ、俺は藤宮拓」
「藤宮くんねってそうじゃなくてさ!初対面なのに勉強教えるなんて、意味わかんないでしょ」
あたしの言葉を無視して淡々と彼は続ける。
「早速明日から始めよう。放課後、俺がE組まで行くよ」
「ちょっと! 話は終わって――」
「じゃあ、また明日」
あたしの話も聞かずに、突然現れて突然去っていく。なんなのよ、もお。スマホを見ると時刻は十七時半をまわっている、もういいや帰ろう。校舎を出て正面にある大理石の白い噴水を避けるように正門に向かって足早に歩いていると、左側のA組の為だけに建てられた新校舎から生徒が数人出てきた。
(さっきの彼もA組って言ってたけど、新校舎にはあんな地味なのばっかりなの?)
正門を出ると目の前には川があり、川沿いに桜並木が続いている。
(堅苦しいのは嫌いなんだよね)
大きく伸びをして川の流れに沿って歩きだす。小さな頃から歩き慣れている道は少し退屈で安心でもある。この学校の敷地には幼等部から大学院まで全部揃っている。川の向こう側にある大学を眺めていると、欄干の付いたアーチ橋を、お姉ちゃんが小走りで渡り近付いてきた。
「らん! 今帰り?」
そう言って小首を傾げると、サラサラの髪が肩からするりと落ちる。相変わらず真っ直ぐでお姉ちゃんらしいなと思う。
「まぁね。さゆり姉は珍しいね、大学忙しそうなのに」
「今日はたまたまね。ほんと、もういつもは全然休みなんてないんだから」
そう言うさゆり姉の顔がどこか嬉しそうに見えて、また自分と比べてしまう。あたしと同じ内部進学でも、さゆり姉は高等部の頃はずっとA組だった。今は法学部で、将来は母と同じ弁護士になるんだろう。両親からするとまさに自慢の娘といったところだ。
「そう言えば楓も忙しそうだよね。全国大会近いらしいじゃん?」
「キャプテンになったし、張り切ってるのよ。バスケ始めたら前よりもっとモテてるって言ってたよ」
弟の楓はお調子者だが成績は良い方、認めたくないけど文武両道ってやつだ。
「二人とも自由がなくてかわいそー、あたしの自由を分けてあげたいくらい!」
そう言ってあたしは、さゆり姉と歩調を合わせずにわざと早足で歩いた。今、顔を見られたら、暗い気持ちがバレてしまうと思ったから。
号令とともにみんなが教室から出て行く。あたしもさっさと帰ろうと鞄を持ち上げて廊下を見ると、藤宮くんと目が合った。
「ほんとに来た」
他人の教室に躊躇なく入り、彼はあたしに真っ直ぐ近づいてきた。よく入って来れるもんだとある意味感心する。
「藤宮くんだっけ? もういいよ、あたしに構わないで」
「まだ何も始まってないけど」
「始まんなくていーの」
「俺と一緒に勉強しよう。きっと面白いと思う」
彼の横をすり抜けようと踏み出した足が止まった。
「面白くないよ、そんな風に思ったことないもん」
そうか、と一呼吸置いたあと、藤宮くんは唐突に尋ねてきた。
「園咲さんは、タンポポって分かる?」
「知ってるよそれくらい」
「タンポポの葉は地面に張り付いて広がっているだろ? あの形をロゼットって言うんだ。そのお陰で冬の寒さに耐えられるし光も沢山受けられるんだ」
「だから?」
「要するに伸び伸びしている奴の方が、生き残れるのさ。適応しているんだよ」
「なにそれ馬鹿にしてんの?」
「成長しやすい土台があるってこと。むしろ褒めているんだ。ロゼットは春になると茎が伸びて花をつける。そのときに伸びた茎にも更に葉をつけるものが多いんだ」
淡々としていると思っていた人物の突然の熱い語りに少し気圧されていた。なんでいきなり花の話?
「まあ、座れ。面白くさせてやる」
藤宮くんの勢いに根負けしたあたしは椅子に座りなおした。
「ねえ、なんであたしに勉強教えるなんて言い出したの?」
「園咲さんは忘れてるみたいだけど、入学したての頃に職員室まで案内してもらったんだ。これはその時のお礼のつもり」
やばい、全く記憶にない。
あたしそんなことしたっけ? でもそうだとしたら、彼の好意を無下にするのは少し気が引けた。
「わかった、あと園咲さんはやめて。らんでいいよ、藤宮」
そう言って鞄からノートと筆箱を出したところで、あたしは観念した。
悔しいけど、藤宮の教え方は上手いと思う。あたしが理解するまで丁寧に教えてくれたり、わかりやすいように例え話にしてくれる。すぐにバックレるつもりだったのに、気づいたら一週間過ぎた。
「ほら参考書。俺が使ってたやつ」
「えー、お古じゃん」
「文句言うな」
あたしは付箋がたくさん貼られた参考書をパラパラとめくった。参考書はくたびれているけれど、ポイントには藤宮の綺麗な文字が均等な間隔で並んでいた。
(うわ、超書き込んでるし)
ここまでやり込むとか、あたしには無い部分だから、ちょっと凄いなって思う。補習も律儀に毎日してくれるし、相当マメな人なんだろうな。
そして補習が終わると決まって藤宮は言う。
「じゃあ帰るか」
あたしはその言葉と同時に、勉強が終わった開放感や達成感の心地よさに包まれた。
「やっと帰れるー!」
大きく伸びをしてから帰り支度をした。
空は薄暗くて藍色の端っこがほんのり赤みを帯びていた。いつもこの時間になると生徒は殆ど帰っていて、部活で残っている人が少しいるくらい。男子と二人で帰るなんてちょっと気恥ずかしい……そんな感情を隠すように、あたしは藤宮に話しかける。
「そういや藤宮ってスマホゲームとかしたりすんの?あたしラインポカポカとかツミツミやってんだけど」
「ポカポカ? いやアプリは入れてないな」
「はあ?」
信じらんない。あたしからしたらスマホはゲームもスケジュールも思い出も管理できちゃう魔法の道具なのに。
「ああ、でもラインだけは入れてる」
「えっ、マジ!?」
「周りが入れろってうるさくてな。母さんが特にうるさかったよ」
「へえ、でも藤宮のこと気にしてくれてるんでしょ? いいお母さんじゃん」
「そうかな。早く子離れしてほしいもんだよ。行事ごとがある度に父さんを巻き込んでカメラを何台も持ち出したりしてさ」
眉を下げながら、藤宮は笑った。
「あー、運動会とか大声で応援してくるタイプ?」
「そう」
「でも似てる。って言っても、うちはお姉ちゃんや弟が優秀でさー、あたしが記念写真撮ってたんだ」
そういえば昔は写真撮るの、結構好きだったなあ。最近はそんな気分じゃないけど。
「らんは撮ってもらってないのか?」
「あたしは記念されるようなことないもん。ずっと撮る方だよ。二人が優秀だからね!」
強がって笑ってみせるとあたしの話を断ち切るように藤宮が口を開く。
「らんってさ、良い名前だよね」
「何いきなり」
「祝い事には蘭の花飾ったりしてるだろ? 胡蝶蘭とかさ」
「うん?」
「おめでたいとこが、お前と似てるよ」
「……バカ宮。いじわる捻くれ者!」
悪態を言い合っていたら、なんだか面白くなって、どちらともなく笑っていた。教室で勉強している時はあまり気にしていなかったけど、意外と背が高い藤宮を見上げていると、ワイシャツの襟元で髪がフワフワ揺れている。
「そのやばい癖っ毛とか切っちゃえばいいのに」
「俺はこれが気に入ってるんだ。らんだって人のこと言えないだろ」
藤宮があたしの髪の毛を繁々と見る。変ってこと? 先週美容院で染めてもらったばかりなんですけど。
「あたしのこれは、毎朝コテで巻いてんの!オシャレなの!」
「毎朝わざわざうねらせてるのか」
小馬鹿にしたように藤宮は言う。
「うねっ――!」
束の間の沈黙。え、うそマジ?
「本気でダサかったら言って」
少し自信を無くしそう言うと、藤宮が小さく吹き出して笑った。
「嘘だよ。らんに似合ってる」
「もう、このバカ宮!」
からかわれた事が悔しくて、むくれながら藤宮の腕を小突くと更に笑ってくる。ムカついているのに居心地が良い。
「藤宮はあたしに直せとか言わないよね」
「だってそれがお前の個性だろ」
「真面目なA組なのにそんなこと言うの?」
偏見があったのはあたしの方かも、A組ってだけで判断していた。藤宮は藤宮なのに。
「ほんとはみんなお前が羨ましいのさ。うちの学校は堅いから」
羨ましい、あたしが? そんな風に言われたのは初めてでよく分からなかった。ただ藤宮はA組とかE組とか関係なく、あたしをあたしとして見てくれていることが嬉しかった。
一段と晴れていて気持ちいい日差しの朝。スマホを弄りながら、いつもの川沿いを歩いていると足下に連なっているタンポポを見つけ、藤宮の言葉をふと思い出した。
「ロゼットだっけ?」
スマホでロゼットについて検索する。
(ふーん、放射状に広がる葉をロゼットって言うんだ。そういえば藤宮もそんな事言ってたかも)
よくよく足元を見てみると割とたくさんある。その時、追い風に押されスカートがふわりと揺れた。乱れた髪を整えようとしていると、目の前でたんぽぽの種が一斉に舞い上がった。遠くに行っちゃう――!咄嗟にスマホを構えシャッターを切った。
(写真撮ったのっていつ振りだろう?)
もう一度空を見ると、綿毛はさっきよりももっと高く遠くへ飛んでいき、やがて見えなくなっていった。
灰色の空から雨が降り注ぎ、色とりどりの傘がパッと咲いては連なって帰っていく。最近は学校が少し楽しくなった。相変わらず勉強はスパルタだけど。そんなことを考えながら窓を眺めていた。
「らん、集中しろ」
「もームリ。頭パンクするー」
「どんだけキャパ小さいんだよ」
そう言いながら藤宮は鞄のファスナーを開けていく。この問題が終わったら休憩の合図だ。昨日はここから桜味や抹茶味をした華やかなパステルカラーのトリュフが出てきた。藤宮って意外と女子力高いんだよね。今日はなにかな? おのずと期待が高まる。
出てきたのは薄ピンク色の生地が桜みたいで可愛いフィナンシェだった。どんな味がするんだろう。あたしは気合いを入れ直し、必死に問題を解いた。
「ねえ、これって何味?」
「フランボワーズ。木苺とかラズベリーの方がわかりやすいか?」
「ああー! ラズベリーね」
そっちの方が確かに馴染み深い気がする。食べてみると、生地に果肉が混ぜ込まれており、甘酸っぱい風味が口の中で広がった。砂糖の甘みとフルーツの酸味が丁度いいバランスで混ざり合っていて美味しい。
食べながらふと思う。そういえば最近は毎日お菓子を持ってきてくれるけど――。
「ねえ、藤宮ってお菓子好きなの?」
「いいや」
「え、でもいつも持って来てるじゃん?」
「お前、お菓子みると笑うからな。安心する」
なんだか気恥ずかしい気持ちが駆け巡って頭が真っ白になる。その時、足元でトンッと軽い音がして、見てみるとあたしの消しゴムが転がっていた。
「あっ」
肘が当たっちゃったんだ、拾おうとすると藤宮の手が先に伸びる。
「ほら」
やっぱり最近ちょっとおかしい。例えば今の。落ちた消しゴムを拾ってもらっただけなのに、彼の顔が見れない。
「……ありがと」
手渡された消しゴムをギュッと握って声を絞り出す。こんなのあたしの柄じゃない。自分の中にある気まずさを誤魔化すために、あたしは話題を変えた。
「そういえば、こないだの話きいてさ、なんとなくタンポポ撮ったんだよ」
スマホの画面を藤宮に見せると彼は目を見開いた。
「お前が撮った写真綺麗だな」
「え?」
「俺が撮ったのとは全然違う」
そう言いながら彼は鞄から、片手に収まるサイズのデジカメを取り出し画面を見せてきた。どれも見たこともない花ばかり――どこで撮ったんだろう。ロケーションは悪く無いはずなのに、画面写りが味気なくて勿体ない。
「うわ、ヘタクソ」
「はっきり言うな」
「藤宮でも苦手なことあんだね」
意外な一面をみて微笑ましい気持ちになり、つい笑ってしまう。すると彼はバツが悪そうに目を逸らした。
「これは記録用なんだけど人に伝えるときに、らんみたいに撮れたら、もっとこの感動が伝わりやすくなるだろうな。そんな風に俺も撮ってみたい」
「ま、まあコツくらいなら教えてあげるけど」
(なにそれ、照れんじゃん……)
デジカメの電源を切り藤宮に返すと、一つ疑問が湧いてくる。
「ねえ、記録用って何のための?」
そう聞くと、彼は一息置いてゆっくり話し出した。
「国内希少野生植物種って何か分かる?」
「なにそれ早口言葉みたい」
「要は絶滅寸前の植物の話さ」
「ふーん?」
「俺、そういう植物を保護する団体をつくりたいんだ。男が花なんかって散々言われてきたけど、やっぱり好きなんだ……」
彼は歯切れ悪くそう言って、困ったように笑った。
「なりなよ。藤宮ならきっとなんだってできるよ!」
自然とあたしはそう言っていた。藤宮が努力家なことをあたしは知っている。なんの確証もないけれど、藤宮なら絶対にできると自信をもって言える。
「らんならそう言うと思った」
今度はすごくおかしそうにお腹を抱えて藤宮が笑う。まるであたしがそう答えることを知っていたみたいに。
「ありがとう」
なぜかお礼を言う藤宮には、さっきまでの困った表情はなく、晴れた顔をしてる。
藤宮を純粋に応援する気持ちと同時に羨ましくもあった。あたしが子供の時、なりたかったものって何だろう? 正直言うと、藤宮の話はよく分からなかった。無くなることがそんなにダメなことと、思わなかったから。ただ藤宮は目の前にいるあたしではなくどこか遠く先の未来を見るような目をしていた。あたしにはまだ見えていない。
日差しが強くなり、期末テストが近づいてきた。こんな暑い中、夏バテにも耐えながらお勉強してるなんて、偉いぞあたし。
「ちゃんと勉強しとけよ」
「わかってるー」
少し口を尖らせてみるけど、藤宮はリアクションもなく図書館へ本を返しに、教室を後にした。
(とは言っても、素直に言うこときかないよ)
「さーて今日のお菓子はなにかなー?」
藤宮の鞄をサッと開き、お菓子の包みらしき物をつかんで引き抜いた。
「あ、やば」
放課後の静寂に包まれている教室にバサッと何かが床に落ちる音が響く。お菓子と一緒に大きめの茶色の封筒が鞄から引きずり出されたのだ。慌てて拾いあげると、中にはパンフレットが入っていた。
「ん、なにこれ?」
『海外研修・留学のお知らせ』
「留学……」
ご丁寧に日時と場所の欄にマーカーまで引かれてある。夏休み明けからのニューヨークへの留学らしい。自分には無関係だと、意識したこともなかったが――。
(藤宮が、遠くへいく)
隠すようにパンフレットとお菓子を鞄へ戻す。平静を装って問題を解き直そうとしても、文字が記号に見えて頭に入ってこない。どうしよう。
「大人しく勉強してたか?」
不意に背後から声がして体がビクっと小さく跳ねた。
「あー、まあね」
「その割に進んでないみたいだけど?」
藤宮がチラッと様子を伺う。やばい、気付かれる。
「ちょっと集中力切れちゃったみたい! 休憩まだなのー?」
わざと明るい調子で返すと、しょうがないなぁといった風に藤宮は鞄からお菓子を出し、いつも通り二人で食べた。あたしが以前好きだと言った店の、ストロベリーワッフルだったけど、なんとなく甘いような気がしただけだった。このままじゃ美味しいお菓子も美味しく食べれないじゃん、あたしは意を決して藤宮に尋ねてみた。
「ニューヨークに、留学するの?」
声、震えてないかなって少し心配になった。
藤宮の顔色が変わる。
「ごめん。待ってる間、鞄の中見ちゃって……」
数秒間の沈黙がやけに長く感じた、静寂を割いたのは藤宮の方だった。
「まったく、お前の食欲には驚かされる」
「そんな意地悪言わなくていいじゃん!」
「膨れてどうした? ワッフルじゃ足りなかったか」
「あたし今日はもう帰る!」
藤宮を置いて教室から飛び出した。夏休み明けなんてもうすぐじゃん……。教えてくれたってよかったのに!
川沿いを今日は一人で歩く。さっさと帰りたいのに足が重い。アイツ、人の気も知らないで皮肉ってきてホント嫌なやつ! 気を紛らわす為に何となくスマホを弄る。トントンっとスマホをタップし最近の写真をスクロールして眺めていた。
(なんでほとんど藤宮関連なのよ)
彼がくれたお菓子や、教えてくれた花、悪戯心でこっそり撮った気の抜けた横顔――。
「らんっ! 何見てるのー?」
急に背後から肩を掴まれて心臓が跳ね上がった。
「わ! さゆり姉、びっくりさせないでよ!」
「あれ、これ誰?」
「勝手にスクロールしないで!」
つい口調が強くなり、しまったと思ったが、さゆり姉は気にしていない様子で続けた。
「ごめんごめん。でも落ち着いていて、お兄さんみたいな雰囲気だったね」
お兄さん? 藤宮が?
「全然だよ! 頭は良いけどあたしのこと食いしん坊みたいに言ってくるし、スマホ全然活用できてないし、植物オタクだし」
そうだ藤宮は変わってる。変なんだ。
「勉強やだって言ってんのに俺が楽しくさせるからとか言って引かないし、しかもスパルタだし、せっかく楽しくなって来たと思ったら留学するとか言うし……」
さゆり姉があたしの顔を覗き込む。
「らん、泣いてるの?」
その一言で堪えていた何かが崩壊した。
「あんな変なやつ他にいないなーって思って」
さゆり姉が小さい頃にしてくれた様に、頭をポンポンと撫でるから、さらに涙が込み上げる。
「よかった、らんがそんな人に出逢えて」
ニッコリ笑いかけるさゆり姉の顔を見て、会えなくなるのは悲しいけど、それでも藤宮と出会えて良かったと心から思えた。
さゆり姉の言葉に大きく頷き、あたしは精一杯の笑顔をつくった。
「さゆり姉おはよ! あたしもう学校行くね!」
「もう? はやくない?」
いつもはまだ寝てるのに。という姉の声を背中で聞きながら返事をした。
「学校で勉強すんのー!」
一晩悩んだけど、きっと藤宮は将来について色々考えていて勉強しなきゃいけないことが山程あるのに、あたしの為にその時間を使ってくれてたんだ。今度はあたしがその気持ちに応えたい。
(次のテストでいい点とって超ヨユーって笑って、心配すんなって言ってやるんだ)
早起きして学校に来たせいか午後はすごく眠かった。
(眠い、でも授業は聞き逃すもんか!)
そんな気持ちで食いしばって黒板を見ていた。休み時間にわからないところを質問していたら、それを見た山センが小さい目を思いっきり開いててウケた。
そして放課後になり、昨日のこともあって来てくれるか不安だったけど、藤宮は来た。
「藤宮、その、昨日はごめん!」
開口一番に謝り、手を合わせ頭下げた。許してくれるかな……。
「いや、俺の方こそ言い過ぎた。ごめん。お詫びと言ったらなんだけど……」
藤宮がラッピングされた小包を差し出してきた。
「これなに?」
「開けてみてくれ。気に入ってもらえるといいが」
リボンを解き小包の中を見ると、チャーム付きのシャープペンが入っていた。黄色いぽんぽんがユラユラしていて、タンポポみたいで可愛い。藤宮の方を見ると照れくさそうに目線を逸らしている。
「テストまでもうすぐだしな。お守りみたいな感じだ」
「ありがとう藤宮!」
期末テストまでのラストスパートも一か月程続き、あたしは今までの人生でこんなにしたことないってくらいに必死に勉強し、テストも乗り越えた。
今日やっとその結果が手元に返ってきた。
「藤宮! 藤宮ー!」
今日もいつもと変わらない時間に藤宮がきた。あたしは姿が見えるや否や彼に駆け寄って行く。
「見て! 見てよこれ!」
今までと比べて飛躍的に伸びた点数を彼に見せびらかし、彼の顔をじっと見た。
「やったな! らんが頑張ってたこと、ちゃんと結果にでてるじゃないか。良かった」
藤宮の顔は綻んで締まりない顔になっている。こんな顔もするんだ。
「これくらい当たり前じゃん、超ヨユー……」
藤宮の言葉を聞いてポロポロ涙が溢れた。
「な、泣くほど嬉しいのか、それともどこか痛むのか?」
見当違いな心配をしている藤宮の優しさ、そういうところほんと嫌いになれないな。あたしは袖で目をゴシゴシ拭く。ホントなんで泣いてんだろ。
「ばか宮! 泣いてないし! あーあもう、慣れないことしたすっごい疲れたじゃん」
「じゃあこの後甘いものでも食べに行くか」
「行く!」
「復習、終わってからだけどな」
「えーまだするのー!?」
「当たり前だろ、テストの見直しは重要だ」
そう言うと意地悪そうに藤宮は笑った。
「――ねえ藤宮、向こういくの楽しみ?」
「まあな」
もう一緒にお菓子を食べることも、こんな風に新しい顔を発見することも出来ないんだろう。それでもこの別れはあたしが一歩、大人になる為に乗り越えなきゃいけないこと。光を受けて立派なロゼットを育てよう。いつか写真に撮った綿毛みたいに、追い風を受けて青空の向こうを目指したい。
「写真送るよ。日本にはない植物だっていっぱいだからな」
「藤宮、テンション高っ!」
どちらからともなく笑い合い、いつも通り藤宮との補習が始まった。
ロゼット たまき瑠璃 @kuruliokai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます