星明かりと消灯《下》

「マユ先生・・・」

呼ばれたマユは、男の苦しそうな様子を心配そうに見つめて頷いてみせた。

「僕はあなたに憧れて、小説家になった。だけど・・・あなたのような優しい言葉を、僕は作れなかった。気づいたんです。小説は自分の強い思いがあって初めて、形になるのだと。僕にはそんな強い意志なんて、何一つありはしなかった」

「文学は・・・裏切らない、から」

思いやる気持ちのこもったマユの言葉に、男は懐かしさを感じる。

彼女の教え子だった頃、よく聞かされた言葉の一つだったのだ。

(僕は、彼女の教えを心から信じることが出来ていなかったんだな)

目を不安げに少し泳がせながらも、にっこりと微笑みを浮かべてくれるマユに男は同じように笑いかけた。

しかし、彼の心中は決して穏やかなものではなかった。

(逆に、つらい・・・)


おそらく、この3人には男との現実での記憶が存在していないのだ。

もとからここは、男の『都合』で生まれた世界。

所詮彼らも男の『都合』に添って行動をとっているに過ぎないのである。


男が次にソラの方を向くと、彼女は肩をビクつかせて不安そうに男を見つめ返した。

そんな彼女に男はうっすらと笑みを浮かべる。

「ソラちゃん・・・」

「う、うん」

「僕は君の親だったんだ。だけど・・・みんなに褒められるような小説家になりたかった僕は、書き物よりも育てるのに労力のいる君を捨てた。本当にすまない・・・。けど、これだけは分かって欲しい。僕は君らの事を愛していないわけではなかったんだ。だから、君が大きく育っていくその過程を見逃したことを今ではすごく後悔している」

「べつに・・・いいよ」

ソラの言葉にも男は聞き覚えがある。

現実世界でも男が言い訳を垂れるたびにソラはそう言って、男を励ましたり叱ったりしていたのだ。

(ソラは僕のことをちゃんと見てくれていたのに、そんなことにすら僕は気づけなかったんだな)

仲良く手を繋いで、家までの帰り道を笑い合いながら歩いていく光景がすんなりと男の頭に浮かぶ。

今までに見たことのないほどに深く色づいた夕焼けが、脳内でユラユラと揺れた。

男は自虐的な笑みを浮かべて、最後に老父の方を向こうとする。

だが、どうしても足が動かず、常に乗っかっているはずの頭の重みにも耐えきれずにユルユルと垂れ下がっていった。

喉には蓋が被さり、声すらも出なくなってしまう。

いくら『都合』のよい世界であろうと後悔は後悔のままであり、懺悔は己の口から出ていくものにかわりはない。

男は、怯えていたのだ。

マユとソラが恐怖に身を侵食されていく男に様子を心配していることが伝わってくるが、今の彼には安心させる言葉の一つも頭に浮かびはしなかった。

重たい静寂が4人の間に流れ始める。


「私の番だろう?」


長い沈黙を破ったのは老父の優しい声だった。

男はその優しさに促され、おずおずと足を彼に向けた。

「僕は・・・ぼく、は」

全身を震えさせながら、首を前へと押し出す。

すると喉の圧迫感も和らいで、管に乗っかっていた重しが消えていくのを男は感じた。

「僕は、あなたの息子だ。出来損ないの・・・息子だった。あなたは僕の夢を応援してくれたのに、僕はあなたを裏切ったんだ。子供を押し付けて面倒を見させて・・・僕はあなたに甘えるばかりで、労ろうとはしなかった。あなたは立派な人だったのに・・・。1番の家族だったことさえ忘れて、優しさに甘えて、僕は自分のことしか見やしなかった」

恐る恐る、少しづつ、男は視線を老父へと上げていく。

男は実の父親に顔が怒りに染まっていく姿を、思い描いていた。

「君は・・・僕の息子なのだろう?」

しかし彼の目に収まった老父は、とても嬉しそうに顔を歪めるばかりである。

予想外の反応に男は驚いた。

男は『叱られること』を望んだのだ。

なのになぜ、こうも生ぬるい返答ばかり返ってくるのか・・・。

思わず彼は、老父を挑発せんと言葉を投げた。

「僕は、あなたに酷いことを言ったし・・・感謝しようとすらしなかった。あなたは、僕を怒って良いはずなんです!どうしてそんなに優しくするんだ!!」

徐々に荒々しくなる口調に、男は自分自身の事ながらひどく醜くいと感じた。

男は、こんな自分が大嫌いだったのだ。

苦虫を噛み潰したような表情でうつむく男に対して、目の前の老父は困ったように笑う。

「そうなのか。・・・あいにく、君の世界にいる私にはそんな記憶はないよ。だけどこれだけは言える。父親として、息子の助けをしただけさ」

老父が歯を見せて笑い直した。

『都合』いい世界。

その言葉に男は違和感を禁じ得なかった。

正直なところ、誰からも拒絶されることなく謝罪を受け入れて貰えたことは、男にとって『都合』のいい展開であった。

しかし彼らの返答を『許し』とするには、どうにも足りない気がしてならなかったのだ。

(・・・自分の『都合』すら、僕は想像することができないってことなのだろうか)

男は老父と同じように笑みを浮かべて、「ありがとう、ごめんなさい」と3人の顔を何度も見ながら繰り返し3人に呟いてみせる。

この与太話にもならない謝罪のワンシーンに、無理矢理に幕をかけたのだ。


男は振り返り、綺麗に輝くアーク灯の街灯に微笑みを向けた。

(この光は、僕の野望そのものだったんだ)

眩しい光を、目を細めてじっと眺めて眼球に痛みのはしる感覚を頭に覚えつけていく。

しばらくそうしていると、一つアイデアが浮かんだ。

やはりこの世界からの脱出方法は分からなかったが、最後ぐらい・・・自分の大好きな人々と時を過ごしたいと思ったのだ。

いくら彼らが、偽物だとしても。

「あの・・・これは本当に僕のわがままでしかないのだけど」

男が勢いよく振り返る。

見えたのは、どこまでも・・・どこまでも続く闇。


大好きな彼らの姿は跡形もなく消えていた。


「・・・ハハ」

それでも男は笑っていた。

笑って、闇を暖かく見つめつづけた。

彼の頭上では、相変わらず街灯がさんざめく。

この光はこの街が消えた後も、ひかり続けるのだろうか。

それは男にとってもう、どうでもいいことだった。

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星明かりと消灯 @Houki_kokoro

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