第3話

「見たら死ぬ呪いのビデオも、ネットに転がってる怪談も、誰かに知られて広まる事で効力を発揮する怪異や。今回のもその類で、下手に拡散してしまう前に打ち止めなあかん。わかるな?」

「やっぱり、俺にも憑いてるんですよね?」

「……まぁな。でも、俺が責任持つから安心してや!」


 白装束を着た霊能力者は、ビニール袋から取り出した鏡を俺の周囲に並べる。リビングの机には並々と酒が注がれた椀が並び、ソレに対峙するには万全の状態だ。

 大家から許可を得て、決戦の場は須田の住んでいた部屋という事になった。場所はどこでもいい、とは霊能力者の言葉だが、決着を付けるならここが適しているだろう。

 霊能力者は大きく息を吸うと、頰を数度叩いて気合いを入れる。そして、思い出したかのように懐からシンプルな名刺を取り出した。


「もしこの除霊が成功したとして、今後なんかあったらここに連絡して。アフターケアならタダやで!」

「なるべくアフターケアは避けたいですけど……」

「せやな、キミが安心できへんもんね……」


 俺は名刺の名前をしっかりと記憶し、須田の机の上に置く。こちらの着ている修行僧のような白装束にポケットはないからだ。


「よろしくお願いしますね、阿倍野あべのさん……」

「任された。キミも肩の力抜いて、こっちに委ねてくれたらええから……」


 正直、不安で仕方ない。もう一度あの怪異を見てしまうと、本当に気が狂ってしまうかもしれないのだ。今なら、須田が飛び降りた理由も分かる気がした。


「悪いけど、例のヤツを思い浮かべてくれ。強くイメージしたら、それに反応するはずやから」


 記憶に強くこびりついたモノを引っ張ってくるのは簡単だ。むしろ、思い出さないようにする方が難しい。俺はあの怪異のおぞましい姿を瞼の裏に留め、気分の悪さを感じながら虚像を例の一角に投影する。


「……来た。見えたら教えて!」

「…………!!」


 視界が歪み、危うくブラックアウトしそうになる。途端に息が上がり、胃から昇ってきた不快感が喉の奥につっかえる。阿倍野さんに背中をさすられ、俺はフローリングに胃液混じりの異物を吐いた。

 異物の正体は、数珠玉だ。その特徴的な黒は、玄関に架けてあった数珠によく似ていた。糸の代わりに、濡れた黒髪の束で結ばれている。


 長い、髪。恐怖が近づいて、床が抜けた。気がした。ぬるい息が足元にきて、腰にふれて、耳をたどる。

 笑い声がきこえる。どこから? あたまの裏から。ちるだ様、こわいです。たすけてください。たすけて。そのお姿をおれの目に映さないで。ちるだ様、やめて。やめてください、やめて。ちるだ様、ちるだ様、ちる


「……数珠は破られたか。もう霊じゃなくて神やな。キミ、これ飲めッ! 早く!」


 促されるままに飲み込んだ酒は傷んだ喉を焼いたが、意識を平静にする効果があった。俺は慌てて息を整えると、視界は現実に帰る。なんとか呑まれずに済んだようだ。

 円形に囲まれた鏡を隔てて、“ソレ”はすぐ目の前に立っていた。液晶画面に映る姿と寸分違わない、おぞましい姿だ。三つの眼はどれも俺を凝視し、ケタケタと笑っている。


「見え、ました……ッ! 鏡で囲んだ外側にいます!」

「たかまのはらにかむづまりますかむろぎかむろみのみこともちてすめみおやかむいざなぎのみこと……」


 阿倍野さんは一心不乱に祈祷している。俺も自分の装束の端を握り、必死に祈った。


「つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらにみそぎはらいたまうときにあれませるはらいどのおおかみたち……」


 ソレはたじろぎ、苦悶の声を上げたように思えた。血の涙を止めどなく流し、転がりながら吠える!


「いけます、苦しんでます!」

「……まだや。もろもろのまがことつみけがれをはらいたまいきよめたまえとまをすことのよしをあまつかみ・くにつかみ・やおよろずのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみまをす。たかまのはらに……」


 早口で詠唱し続ける阿倍野さんの隙を突き、周囲を囲んでいた鏡が一つ割れた。机の上の椀には波紋ができ、水面に気色の悪い気配を写した。


「壊されました! どうすれば……」

「なるべく恐怖を抱くな! そこに付け込まれる!」

「そんなこと言われても!」


 結界をこじ開けるように、二つ目、三つ目の鏡が割られていく。ソレは小刻みに震えながら、動揺する俺を嘲笑うように首を振る。

 阿倍野さんの方を向けば、苦悩の色を隠せないでいた。やがて、何らかの迷いを振り切ったのか、静かに口を開く。


「……仕方ないな。今から俺に呪い移すわ。何が見えるか、説明して」

「……でも、それだと阿倍野さんが!」

「俺の仕事は、キミを安心させることやで。そう考えると、完璧なアフターケアちゃう?」


 阿倍野さんは俺を安心させるためか、無理に笑顔を作っていた。


「輪郭はぼやけてますが、長い黒髪の女です。病的なまでに白い肌に眼が三つ縦に並んでて、赤い唇が歪んでケタケタ笑ってます。しかも、あぁ……徐々にこっちに近づいてきてます!」


 目を伏せていた阿倍野さんは、イメージが完了したのか気配の方を凝視した。 どうやら見つけたらしい。青ざめた顔で例の言葉を唱えながら、真っ直ぐに怪異の顔を見据える。


「やっと、捉えたで……!」


 怪異は新たな標的を見つけたのか、ケタケタと笑いながら阿倍野さんへ接近しようとする。既に結界は壊され、彼が放っている呪文のような言葉を聞くたびに動きを止めているが、それでも完全に活動を停止するまでは至っていない。


「……逃げろ。ええか? 俺のことも、これのことも忘れろ。誰にも話すなよ?」


 奇妙に顔を歪ませながら、阿倍野さんは俺に忠告をする。それが苦労して作った笑顔であることに、俺は気づいてしまった。


 玄関を出て、数段飛ばしに非常階段を降りる。身なりなど構う暇もなく、俺は無言で自宅へ歩を進めた。

 震えが止まらなかった。目眩がした。それでも、俺は平穏な日常へ帰らなければならない。阿倍野さんは、きっとそれを望んでいるからだ。


    *    *    *


 それから数週間後、例のマンションの取り壊しが決まったという噂が耳に入った。402号室で死体が見つかったのが理由だという。阿倍野さんがいなければ、その死体は俺だったかもしれない。


 それからの日常は平穏そのもので、俺もSNSを軒並み退会したこと以外は普段と変わらない生活を送っていた。もう一度ログインすれば、あの忌々しい記憶が蘇ってきそうで怖かったからだ。

 あれは悪い夢だった。友人の死は早々に切り離し、自分の人生を歩んでいかなければならないのだ。俺は自らにそう言い聞かせ、今日も通勤電車に揺られる。


 手持ち無沙汰を満たすためにニュースサイトを閲覧しながら立ち尽くす4駅の間、通学途中の女子高生が目の前で談笑している瞬間に出くわした。一人は楽しそうに話し、もう一人は顔を覆っている。


「……様が居たマンションは、取り壊されたんだって……」

「え〜、怖いよ……」


 胃が逆さになるような衝撃に、思わずうずくまる。冗談だろ? あれは須田と俺、阿倍野さんしか知らないはずだ。

 思わずスマートフォンを取り出し、無駄だとわかっていても、キーワード検索に文字を打ち込む。意味がないと思っていた検索結果に、無数の意味を見出してしまう。


 ちるだ、〜《チルダ》、相似……。俺は目眩を感じながら、その名前に冠された意味を類推し、戦慄する。

 情報は全てが正しく届くとは限らない。それが伝播していくごとに別の形に揺らぐ可能性だってある。


 俺が目撃した怪異は。

 阿倍野さんが対峙した怪異は。

 須田が見たモノと、本当に同じだったのか?

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ちるだ @fox_0829

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