第203話 お化け

 だが、何かを知ってしまった瞬間、知らないままでいればよかったと後悔することはよくあるもので――。遂先ほどまでは少なからず好奇心に突き動かされていたはずなのに、男の顔を見た瞬間、ルーツは自分の行いを後悔する羽目になるのである。

 と言うのも、やっとのことで拝むことができた男の顔の右側には、まるで緑色の藻のような、ドロドロとした物体が幾つもこびりついており。

 左側には、みょうちきりんな物体こそ、くっついてはいなかったものの、おびただしい数の傷痕が、そこかしこに出来てしまっている。

 そして首筋の辺りには、よく見れば両の手のひらにも、盛り上がって引き攣れたような、大きな火傷の痕が残ってしまっていて――。

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「……お化け」

 たった今、傷つけないと約束したばかりであったはずなのに、どうしてそんな残酷なセリフを、口に出すことが出来たのだろう。

 たとえ本音であったとしても、言ってはならない悪口をポツリと漏らしてしまった少年は、すぐに我を取り戻すと、何度もペコペコと頭を下げた。けれども、ひとたび口にしてしまった言葉のナイフを、そう簡単に取り消しにできるわけもなく。

「……虫のいい話に聞こえるかもしれないけれど、今の言葉は聞き流してあげてもらえないかしら。多分、予期せぬものを目にしたせいで、ちょっぴり驚きすぎちゃっただけだと思うから」

 ユリがそう言いながら下手に出て、なんとか取りなそうとはしてくれたものの、男はもう見るからに難しい顔になってしまっている。

 しかし、半獣人に風当たりが強い王都に長らく住んでいたせいか、心ない反応や、悪口などに対してのみ、男の心は人一倍に強い耐性をつけていたようで。

「気を遣うのは止めてくれ。並大抵の悪口に比べたら、自分より遥かに年下の子どもらに、こうして機嫌を取られているという事実の方が、よっぽど心にグサリと来る」

 少しばかり、しょんぼりしたようにそう言うと、男はこちらを見向きもせず、戸惑いと喜びが入り混じっているような喋り方で、ユリに向かって話を続けた。

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「……そんなことより、お前は本当につまらなさそうな顔をするんだな。今までこの顔を初めて目にした者たちは、悲鳴をあげたり、怯えたり、逃げる際に荷物を落としていってくれたりと、多かれ少なかれ、皆一様に驚いた顔を見せてくれたものだったのだが。……こうも、ひょうひょうとした様子で応じられると、何だか幽霊でも相手にしているような奇妙な気分になってくる」

 その言葉はどことなくおじん臭くて、ルーツはどうにも受け付けられない。だがユリは、なぜか男と、妙に馬が合ってしまっているようで。

「私の事を、まるで感情の乏しい生き物みたいに呼ぶのは止めてくれないかしら? あなたと比べてどうなのかは知らないけれど、私は別に、並外れて肝が据わっているってわけじゃないんだから。……それにこのことは、おいおい話していくつもりだったんだけど、私たちは、半獣人がたくさん暮らしている村の出身なの。だから、トカゲのような可愛い尻尾をつけていたり、サメのような鋭い歯をいっぱい生やしていたり、それこそあなたのように、顔全体に何かしらの特徴を持っていたりする人たちのことは、前々からよく見知っていて、それで驚く気になんてなれなかったってだけなのよ。……まあ、若干一名。久しぶりに半獣人の方とご対面をして、びっくら仰天しちゃった人もいたみたいなんだけど、あれは例外だから、ちょっと勘弁してやって」

 そんなふうにユリにようやく気に掛けてもらえたところで、今までずっと蚊帳の外に置かれていた少年は、ちょっと頬を膨らませた。

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 しかし、ユリはルーツの様子より、どうやら別の物の方が気になっているようなので。見知っていると言っておきながら、まるで感触を確かめてでもいるかのように、男の顔に自分の指を突き立てているユリを見て、

 止めさせるべきか、それとも勝手にやらせておくべきなのかと、ルーツは実に詰まらぬことで思案に暮れることになるのである。

「……それにしても。あなたの顔にひっついている、やけにぬるぬるしているものの正体っていったい何なの? コケ? カビ? それとも新種の寄生生物? もし剥がすことが出来るなら、その欠片を少し分けてもらえないかしら。出来ることなら、あとでじっくり観察してみたいから――」

 そこまで言ったところで、ユリは男に引かれていることに気がついて、慌てて口をつぐんでいたのだが、この分だと、知らないものを目にした時に、ついつい理性より探求心を優先させてしまう性格は、以前とあまり変わっていないらしい。

 だが、例え好奇心に浮かされて、幾つか不謹慎な言葉を口走ってしまっていたとしても、ユリの態度は、少年の心の内に比べれば、さほど問題のないものだったろう。

 と、言うのも。

 ――直に触って、大丈夫なのだろうか? これは病気ではないのだろうか? 病気だとすれば、触ってうつることはないのだろうか……?

 男の顔に触れているユリを見た瞬間、たった一瞬の事とはいえ、ルーツはそんな考えを巡らせてしまって――。

 会ったばかりの相手を、見た目の不気味さだけを理由として警戒しているようじゃあ、僕も、あの同胞団の構成員たちとあまり変わらないことになってしまうじゃないかと、ルーツは自分自身をひどく嫌悪したのだった。

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