第202話 恨み言
それにしても、降参すると言ったそばから、ヒステリックに暴言を吐き、隙あらば逃げ出そうとでも考えているかのように、両手両足をしきりにバタつかせ始めるなんて……。実際に口をついて出てくる言葉と、腹の中で思っていることがほとんど一致していない嘘吐きを相手取った交渉は、おそらく至難を極めることになるのだろう。
もっとも今は交渉どころではなく、暴走してしまっている目の前の男性を、いかにして平常心に戻すかが先決の問題になっていたのだが。全ての確執は、きっと時間が解決してくれるだろうというルーツの安易な考えとは裏腹に、時とともに、事態が良くなってきているような兆候は一向に表れてこなかった。……と言うのも、
「……頭をぶつけたみたいだったけど大丈夫? どこも怪我しなかった?」
そんな風に、ユリが心底心配そうな口ぶりで、ルーツのことを気遣っている最中でも。男は全くお構いなしに、人殺しだの、外道だの、悪魔だのと、聞いているだけで気分が悪くなってしまいそうな酷い罵声を、ずっとユリに対して浴びせかけていて。
「……ねえ、商人さん。早く自由になりたいのなら、いい加減に静かにしてもらえないかしら? あなたに冷静さが戻ってきたことが確認できないと、こっちも拘束を解くに解けないんだけど」
いよいよ神経が参ってきてしまった様子のユリに、呆れた調子でそう言われても、男は相変わらず一方的な恨み言をつぶやいたり、締め上げられている腕の痛みを訴えたりするばっかりで、抵抗を止めることはおろか、此方の話を聞く素振りすら微塵も見せることがない。
―――――――――114―――――――――
ただ、それでもどういうことなのか。ユリは相手が言わんとしていることをきちんと読み解いて、男に反応を返しているようなので。
どうしてユリは、ろくに会話も交わしていないはずの相手の考えが分かってしまうのだろうと不思議に思いながらも、ルーツが男の一言一言を注意して聞いていると、
「……どうせお前らも、表に居る奴らの仲間なんだろう? たとえどんな頼みごとであったとしても、差別主義者の申し出など、こっちは死んでも願い下げだ」
ここでルーツは、男が恨み言という形をとりながら、既に重要な事実や自分の意見を大っぴらに語っていたことに気付き始める。そして、
「……群れることしか出来ない能無しどもめ。ケダモノ狩りに来たならそれらしく、問答無用で痛めつけて、お仲間が待っている場所まで引っ立てていけばいいものを」
その言葉で、ルーツはようやくこの男性が、二人を同胞団の仲間か何かと勘違いして、憎悪を向けていることに気づくことが出来たのだった。
しかし、今さら同胞団の名前を持ち出して、その団体と自分たちの間には何の関わりもないのだと、つぶさに事実関係を訴えたところで、男は信じてくれないだろう。
かと言って、下手になだめて逆上されても敵わないし、相手の意見や感情に同調しているふりが出来るほど、ルーツは演技が上手くなかった。
それならやっぱり、一度この場から退散して、自然に怒りがひいていくのを遠くで見守るくらいしか、男を落ち着かせる方法はないのではなかろうか。
―――――――――115―――――――――
そう考え、ルーツが思い悩んでいると、ユリは文句を言っている男の耳元に顔を近づけて、すうっと息を吸い込んだのちに、張り上げるような声でこう言い放つ。
「……だから、静かにしてって言ってるでしょ!」
それは、男だけでなく、少し離れたところに立っていた少年の鼓膜さえをもジンジンさせるほどの大声で。ルーツは耳を抑えたまま、一瞬、ユリの正気を疑った。
だが、いきなりユリに耳元で喚き散らされてしまった可哀そうな男は、そのあまりの剣幕に圧倒されたのか、まるで怒ることを忘れたように固まってしまっていて。
「ね? こんなふうに大声を出してたら、外まで響いちゃうかもしれないじゃない。だから一旦、落ち着きましょう? ……別に私たちは、あなたが半獣人であることを、誰かに言いふらして回ろうとしているわけじゃないんだから」
大声をあげ、男の注意を引き付けたところで、そう諭したユリを見て、ルーツはその手法にいたく感心する。とは言っても、なんだか事を慌ただしく進め過ぎているような気がして、ルーツはあまりこのやり方には賛同できなかったのだが。
「よーし、それでいいの。まずはゆっくり息を吸って――、吐いて。それから少しずつ気を静めていって。……私たちは絶対に、あなたに危害を加えたりしないから。それでも心配だっていうのなら――、あそこに落ちているあのナイフ。あなたが両手で握っていてもいいわ。……もちろん、私たちを刺そうとしない限りはね」
そう言うと、ユリは男から手を離し、それからこちらの方を向いて、床に突き刺さっているナイフを持ってくるようにと頼んでくるので、ルーツは少し不安になりながらも、人を殺せるだけの力を持った刃物を引き抜いて、男の右手に手渡した。すると、乱れていた男の呼吸は徐々に整っていき、部屋にはふたたび静寂が戻ってくる。
―――――――――116―――――――――
そんな中で聞こえてきたのは、なんだか頼りないような男の声。
「本当に、本当なんだな。お前らは、外にいる奴らとは違うんだな」
そうやって何度もしつこく意思を確認される度に、ユリは大きくうなずいていて、
「お前もか、お前も……私を傷つけたりしないって約束してくれるのか」
その言葉に、ルーツが小さな声でうなずくと、男はついに顔を上げ、二人の前で素顔をあらわにしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます