第201話 死に至る呪い
すると、しばらく口をつぐんだあとで、どうして私がこそこそと逃げ出さなければならんのだと、男は小声で反論してきたのだが。
「言っておくが、私はどんなことがあったとしても、この王都という街から離れるつもりはまったく無い。……何と言っても、此処は、私が生まれ育った場所であり、それでいて、終の住処となるべき安住の地。例え、この家が無くなろうとも、今さらその他の場所に移り住むことは考えられないのだ」
そんな勇ましいセリフを聞かされたところで、当の本人が机の下で隠れるようにしている以上、その本気のほどは伝わってこない。
「それにそもそも、この私には、後ろめたい事情など何もありはしないんだ。……証拠もないのに疑って、変な言いがかりをつけるのはよしてくれ」
そう続けるも、男の声は少し震えていて、ユリの言葉に何か思い当たる節があったのは、まず明らかだった。しかし、その何かが何なのかは分からず、ルーツが経過を見守っていると、ユリは男の傍にしゃがみこみ、ルーツがとても気になっていた、とある言葉を口にする。
「……だったら、面と向かってそう言ってくれないかしら。別に、他人には見せられないような醜い顔をしているわけではないんでしょう?」
その口調は少し挑発的で、なんだか人を小馬鹿にしているような不愉快な響きすら覚えている。だが、きっとユリは、男を焚きつけるために、敢えて憎らしいことを言ったのだろう。
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ルーツがそう思っていると、ユリはふたたび男の背中を優しくつつき、ますます煽り立てるようなひどい文句を口にする。
「……分かった。あなたが少し姿勢を変えて、こっちに顔を向けることさえしてくれれば、私たちはすぐにでもこの場所から立ち去ってあげる。……さすがに、この条件なら素顔を見せてくれるでしょう? 顔を覆っている自分の手をずらすだけのことなんて、聞き分けの悪い子どもでも出来る、とても簡単な仕草なんだから」
だが、隠さなければいけない理由が何かあるの、と問われても、男はその場にうずくまったまま、聞く耳を持つこともなく、沈黙を保っていた。
それはどこかユリに似たなかなかの強情っぷりで、場の空気が重たくなってきたことを感じ取ったルーツは、長期戦になることを悟り、ため息をつく。
しかし、例え、並々ならない複雑な事情を幾つも抱え込んでいたとしても、自分の秘密を明かした瞬間、死に至る呪いにでも掛かっていない限りは、他人に顔をさらけ出したところで、そう問題はない気がするのだが。
ここまで頑なに、顔を見せることを拒否しなければならない理由とはいったいどのようなものなのだろうか。と、ルーツがひとりで男の事情を色々想像していると、
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「……もう、帰ってくれ。これ以上、ここに居座ってあれこれと問いただされると、こっちはお前らを、衛兵隊に突き出さなければならなくなる」
男はなんだか疲れが滲み出ているような口ぶりで、二人に脅しをかけてくる。
とは言っても、ここが男の所有地である以上、それは正当な主張以外の何ものでもなく。ごもっともな言い分に、ルーツはすっかり怖気づいてしまったのだが、ユリは以前と変わることもなく、実に堂々とした態度を保っていた。
「……私は別に構わないけど、そんなことをして本当に大丈夫なの? 人を呼ばれて困るのは、あなたの方だと思ってたんだけど」
そう言うと、ユリは机を引きずって、隠れていた男の姿を露わにする。そして、男がたじろいだその隙に、ユリは続けてこう言い放った。
「ねえ。そうなんでしょう? 半獣人の商人さん」
その瞬間、ひどい悪寒がルーツを襲った。
気が付けば、男は何やらぶつぶつと、まるで悪霊にでも憑りつかれてしまったように繰り返し同じ文句をつぶやきながら、ゆらりとその場に立ち上がっていて。
視界の隅では、ユリが頭を低くして、背中を丸めるようなポーズをとり、警戒している子猫よろしく、男の方に睨みつけるような視線を送っている。
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しかし、ルーツには、男から目を離した覚えが無かったのだが――。男とユリはいつの間に、向かい合うような態勢になっていたのだろう。と、そんなことを考えながら、ルーツがぼんやりと男の挙動を観察していると、
「下がって!」
鋭い声を耳にした瞬間、お腹の辺りに突き飛ばされるような感覚がやってきて。それが何かも分からぬうちに、ルーツはもろに背中から、固い床の上に倒れ込む。
「此処から離れて! もっと遠くに!」
そんな声と時をほぼ同じくするようにして、何とか身体を起こそうとしているルーツの視界に飛び込んできたのは、ぎらりと煌めく銀の刃と、取っ組み合うようにしながら男に覆いかぶさっているユリの姿。
慌てて立ち上がろうとして、薬棚に頭をぶつけたあとで再度見ると、ユリはうつ伏せになった男の腕を、背中側にひねるようにして締め上げていて。
まるで食事に使うナイフのような、細長い形状をした銀の凶器は、ルーツからほどない場所にある床の割れ目に、その刀身を深々と突き立てている。
一方、ユリに組み伏せられている商人らしき男はと言うと、
「止めてくれ。降参だ。殺さないでくれ、頼む……」
今にも事切れてしまいそうな弱々しい声でそう言って、二人の同情を誘った後に、ユリの力が緩んだところを見計らい、あらん限りの力で反抗を試みていたのだが。
結局ユリに、関節技だか寝技だか、よく分からないものを極められて、ふたたび呻き声をあげることになっていたのだった。
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