第200話 逃亡生活

「……怖がらせてしまったのならごめんなさい。あなたの許可も取らずに、勝手に家の中まで押し掛けてしまったことは悪かったと思っているわ。……でも、これは急を要する用事なの。出来れば、路頭に迷っている哀れな子どもを助けると思って、ほんの少しでいいから私たちの話を聞いてもらえないかしら」

 形式的にそう言って、一度深々と頭を下げると、ユリは机の下を覗き込み、男の背中をツンツンと突っついた。だが、聞こえています? と呼び掛けたところで、男はますます身体を小さく縮こまらせては、小刻みにぶるぶると震えるばかり。

 結局、この際、一方的に話しかけた方が早く済むと判断したのか。ユリは男の反応を待つこともなく、ため息をついてそのまま続けた。

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「もしかしたら、もうおおよその事情は察してくれているかもしれないけれど。……本当なら、私たち。昨日のうちにこの街の観光を終えちゃって、今頃は遠く離れた自分の村まで、魔脚に乗って帰っているはずだったのよ。だけど、いったいどういうわけなのか。どこのお店を回っても、まともな魔脚は売り切れちゃっているし、信じられないことに、もう碌に動かない観賞用の年代物でさえ、今は数日間の入荷待ち。

 ……まあ、でも、手に張らないよりはマシだから、最初は律儀に順番を待つつもりでいたんだけど。よくよく考え直してみたら、ポンコツ製品を買うために、列に並び続けることほど、馬鹿らしいこともないじゃない? だから、ただ何日も待つくらいなら、自分から魔脚を探しに行った方がいいんじゃないかなあ、なんて考えながら、この辺りをぶらぶらしていたんだけど。そうしたら、あなたの屋敷の裏側で、狼の形をした乗り物が、ちょこんと停まっているのを偶然見かけて、その愛くるしさに、ひと目で心を奪われちゃったってわけなのよ。

 ……で、ここからが本題なんだけど。あなたが所有しているあの魔脚、私たちに譲ってはもらえないかしら。……もちろん、ただでとは言わないわ。いろいろ迷惑をかける代わりとして、お金はいくらでも払ってあげるから。……どう? これは、あなたにとっても、そう悪くない提案なんじゃない?」

 その詳細はともかくとして、財布の中身がほとんどすっからかんであるにもかかわらず、どこぞの大金持ちのようなことを言うユリの態度に、ルーツはすっかり慌てふためいた。だが、真意を尋ねようと近づくと、いいからアンタは黙っていなさいと、ユリは目でそんな合図を送ってくる。

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 すると、ユリの語り口と態度から、自分の家に押し入ってきたのがただの子どもであることに、ようやく気が付くことが出来たのだろう。

「お前は、自分が今どこにいるのか分かった上で、そんなことを言っているのか?」

 少し時が経ったのちに、男は大きく首を振り、なんだか少しピリピリとした調子で、自分の意思を苛立たし気に表明してくる。

 しかし、黙っていても、喋っていてもひしひしと伝わってくる、頑なで、融通の利きそうにない性格がそうさせているのだろうか。

「分かっているとは思うが、此処はどこかの店先じゃない。私の自室だ。だから、急ぎの用で来たのなら、とっとと他を当たってくれ。強盗に来たのなら、金でも何でも持って行ってくれ。いずれにせよ、いつまでもこんなところで、呑気に子どもの相手をしていられるほど、こっちにゃ余裕が残されちゃいないんだ」

 そんなふうに話している最中も、やっぱり男は顔を伏せたままで、二人の方を見ようとすらしなかった。すると、

「どうして? 魔脚を一台譲り渡すだけで、お金がいくらでも貰えるのよ? この提案は、商人のあなたにとって、とても魅力的だと思うんだけど。……それとも、もしかして、今すぐに移動手段が必要な用事でもあるのかしら」

 わざとらしくそう言って、ユリは探るように男を見る。

 だが、さすがに売り買いの世界に身を投じているだけあってか。男は顔色ひとつ変えることもなく、すぐに言葉を返してきて、

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「……何を勘違いしているのかは知らないが、元来、商人というのは抜け目なく、それでいて用心深いものなのだ。上手い話には裏がある。まずはそう考えて、何事も疑ってかかるのが普通だろう? ましてや、見るからに危ない匂いを放っているこんなヤマに、進んで手を突っ込むような蛮勇が、この界隈にいるわけがない」

 すげない口調でそう言われてしまったユリは、なんだか当てが外れてしまったような残念そうな顔になった。

 しかし、いくら男の喋りが達者でも、事前に言葉を考えておけた者と、思いつきで話すことを余儀なくされている者とでは、歴然たる余裕の差があったのだろう。

「……まあ、私はお願いしている立場だから、あなたが嫌だっていうなら無理にとは言わないけれど。でも、大丈夫なの? お金があるのとないのとでは、今後の逃亡生活が随分変わってきちゃうんじゃない?」

 ユリがそう言い放つと、男は一度ピクリと震えて、さっきからお前は何を喋っているんだと、笑いながら言ってくる。そんな男に、ユリは何気ない口調で更に続けた。

「王都から逃げ出すつもりなら、出来るだけ早く決断した方がいいわよ。この街の住民は、今でもあなたたちのことを探し回っているみたいだから」

―――――――――109―――――――――

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