第199話 怪しげな光景

 そうは言っても、薄暗闇の中でいきなり怒鳴りつけられて、ルーツがいつまでも冷静に、立ち振る舞っていられたはずもなく。

「何のつもりか知らないが、そこから一歩でも近づいてみろ! 此処で刺し違えることになろうとも、この手で八つ裂きにしてやるからな!」

 扉を挟んでいるとはいえ、どことなく狂気が混じっているような低い声で、そんなふうに凄まれると、なんだか力が抜けてしまって。ルーツは情けない声をあげながら、その場にへなへなと崩れ落ちてしまう。

 一方ユリは、脅しつけられたことなどどこ吹く風で、扉のノブをくるりと回し、今にも部屋に押し入ろうとしていたのだが。

 口をぽかんと開けたまま、まるで魂が抜け出てしまったように尻もちをついている少年を、そのままにしておくわけにもいかないと思ってしまったのか。

「……まったく。こんなのただの脅し文句でしょう? いちいち素直に受け取って、驚かなくてもいいんだから!」

 そう言いながら、両手でルーツを助け起こしていたために、結局二人ともが、扉を開けることをお留守にしてしまい、気が付いたときには、開き戸は完全に閉まってしまっていたのだった。

―――――――――102―――――――――

「ねえ。ここを開けてくれない? 私たち、あなたにお話があって来たの」

 仕方がないので、ユリはしばらくそんな感じで呼び掛けて、相手の反応をうかがっていたのだが。おそらく、相当警戒されてしまっているのだろう。どんな言葉を投げかけても、要件を手短に話しても、まったく返事は戻ってこない。

 というわけで、このままじっとしていても、らちが明かないと考えたのか。ユリは、前もって非礼をわびると、ふたたび扉に手を掛けていたのだが。

「……あれ? ひょっとして、何かにつっかえちゃっているのかしら。この扉、まるでびくともしないんだけど」

 まさか中から、鍵でもかけられてしまったのか。ユリの必死の頑張りにもかかわらず、目の前の扉は、ガタガタ音を立てるだけだった。

 とは言っても、こうして扉を眺めている限り、鍵穴のような存在はどこにも見当たらないのだが――。なるほど。どうやら内開きのドアであるのをいいことに、中から全体重をかけるようにして、扉を押し返している人が居るらしい。

「……ちょっと! 分かったんならいつまでも、そんなところに突っ立ってないで。少しは私を手伝うとか、してくれてもいいんじゃないの?」

 結局、ユリにそう怒鳴られて、ルーツが押し合いに加わると、扉は少しずつ動き始め、五分ばかりが経った頃には、ついに半開きの状態になった。

―――――――――103―――――――――

 けれども、それでも中の住人は、一向に諦めようとしないので、

 ルーツはそのうち、扉を押し続けることにも疲れてきて。とりあえず、ドアの隙間に足を差し込んで固定しておけばいいんじゃないかと、ユリに提案してみたのだが。

「アンタがそうしたいっていうなら、私は別に構わないけど。何かの拍子に扉が勢いよくバタンと閉まって、足の骨が砕けちゃうことになっても知らないわよ?」

 どことなく真に迫ったような口調で、そんなふうに脅されてしまっては、妙な気を起こそうなどと考えられるはずもなく。

 それからは、ルーツはもうひたすらに、ただ押すことだけに専念した。そうしていると、ついに二人の努力が実ったのか、ある時を境に、扉がふっと軽くなり――。

「来ないでくれ!」

 先ほどとは打って変わった、かすれたような呻き声が聞こえてきたと思った瞬間、二人は勢いを殺しきれず、もつれあうようにして部屋の中に倒れ込んでいる。

 しかし、二人が互いに謝っている間に、急いでどこかに身を潜めてしまったのか。肝心の住人の姿は、視界の先には見当たらず、ルーツは身体を起こしながら、不審に思って辺りを見た。

 すると、そこに広がっていたのは、何やら怪しげな光景で――。

―――――――――104―――――――――

 机の上に散らかっていたのは、乳棒と乳鉢。それに、擦り潰された黒い粉。

 壁や天井から垂れ下がっているのは、紐で結わえられた香草と薬草。それに、カラカラに干からびた鼠色の小動物の死骸。

 そして床の上に転がっているのは、瓶詰めになった虫とキノコ。それに、どう考えても身体に悪そうな色をした用途の分からぬ薬の瓶。

 他にも、紫色のあぶくが立っている薄汚れた大鍋。ほこりを被った幾つもの巻物。無数の材料が収納できそうな薬棚……。と、いかにも怪しげなものしか置かれていないこの部屋には、ひどく甘ったるい匂いが立ち込めていて――。

 その匂いを嗅いでいると、なんだか頭がクラクラしてきてしまうので、ルーツは窓を開け放ち、外の空気を取り入れようとしたのだが。一階の部屋と同じように、ここの窓もはめ殺しになっていて、どうやら換気は出来そうにもない。

 それならこうするより他はないと、二人はドアのところまで走って行って、必死に扉を開け閉めすることで、部屋の中に風を送り、何とか空気を入れ替える。

 すると、その部屋のどこかから、蚊の鳴くような頼りない声が聞こえてきて。

「……明かりをつけるな。つけないでくれえ」

 それを頼りにしながら、ルーツが回り込むようにして机の下を見ると、三十か四十くらいの年恰好をした、ひとりの男が、頭を抱えたままうずくまっている。

―――――――――105―――――――――

 だが、明かりをつけるなとは言われても、大鍋の下では明るい炎が躍っており、そのために、既に部屋の中は、薄仄かにだが照らされていたので。

 ルーツが言葉の意味を計り兼ね、困惑して立ちすくんでいると、ユリは男に近づいて、何やら話し始めたのだった。


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