第204話 狂った世界

 しかし、ほんの一月ほど前までは、ルーツは確かに、自分だけの身体的特徴を持っているエルト村の人たちのことを心底羨ましく思っていたはずなのに。

 村人たちと同じ半獣人である男の素顔を見て、あろうことか、不気味だと考えてしまうなんて。ひょっとすると僕は、王都で日々を送っている間に、人間こそが至上の種族であり、半獣人を劣等とみなす、この街の住民たちの考え方に、少なからず染まってしまっていたのだろうか。

 ルーツがそう考え、ちょっぴり気落ちしていると、男は机に背中を預けながら、力どころか、魂まで抜け出てしまったような深いため息をついて口を開く。

「いろいろ関心を持ってもらったところで悪いんだが……。実は今となっては、この顔のことも、その他のことも、もう何だって構いやしないんだ。……なんせ、今じゃあ半獣人というだけで、どんなに格好の良い見てくれをしていたとしても、表の通りを歩くことすら出来なくなっちまったんだから。

 衛兵が何人も殺された数日前の事件。たとえこの街の出身じゃなかったとしても、お前らもこの事件のことは知っているだろう? 真偽のほどはさておいて、あの殺しが、半獣人の仕業だとみなされてしまった時点で、王都に生きる半獣人たちの暮らしは、みんな等しく崩れちまったのさ。

 殺人犯の仲間だと勘繰られて、不当な暴力を振るわれないようにするためには、風より早く王都を発つか、素性がバレないでいるうちに店を畳んで引きこもるか。いずれにしても、ひっそりとした余生を送ることくらいしか、俺らに道は残されちゃいない。……やったのが何処のどいつかは知らないが、全くとんでもないことをしてくれたよ。人を殺したそいつらは今もどこかでのうのうと生きているというのに、事件とは少しも関係のない俺たちがこうして路頭に迷わなきゃいけないことを考えると、俺はこの世の理不尽さに、怒る気にすらなれなくなってくる」

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 その言葉から察するに、男は、ルーツとユリの行いのせいで、人生を狂わされてしまった者の一人だったのだろう。

 この男がそうであったように、そして浮浪者たちがそうであったように。自分たちが軽率な言動を繰り返してきたせいで、不幸のどん底に叩き落とされてしまった人たちが他にも沢山いるんじゃないかと考えると、ルーツの心は更に暗くなる。

「だけど、不当な暴力って言っても、具体的にどんなことをされるわけ?」

 ユリがそう尋ねると、見れば分かるだろうとぼやきながらも、男はちゃんと答えを返してくれたのだが、その声は、今のルーツの心と同じほどに、暗く淀みきったものになってしまっていた。

「ケダモノ狩りだよ。……酷いものさ」

 そう言うと、もう聞かないでくれと言わんばかりに、男は両の耳を覆おうとする。

 だがユリは、まだまだいろいろ聞き足りないことがあったようで。だけど、今までだって半獣人に対する風当たりは強かったんじゃないの。と、強い口調で尋ねられた男は、仕方なくといった様子で、口を開いた。

「そりゃあ確かに、侮辱的な言葉や汚い唾を吐き掛けられたり、人間たちが頻繁に利用する宿や店を利用できないなどの不便が無かったといえば嘘になるが……。これでも少し前までは何とかうまくやっていけていたんだぞ? こっちに非でもない限り、過剰な暴力を受けることは無かったし、たとえ面倒ないざこざに巻き込まれることになってしまったとしても、誠意と称したお金とやらを色んなところにばら撒けば、大抵の物騒な問題は平穏無事に済ませることが出来ていたんだ。

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 だが、今度ばかりは違う。どうも、そういうわけにもいかないらしい。……お前らも、表の惨状を目にしただろう? あれは、デマや噂話に踊らされた一部の者たちが徒党を組んで、相手の言い分も聞かぬまま、辺り構わず、乱暴を働いた結果なのだ。

 勝手に家に押しかけては、違法な手段で集めた汚い金だと言いがかりをつけて、真っ当に稼いだ売り上げを持っていったり。家の中に犯罪の証拠が隠されているに違いないと決めつけて、床板や壁を剥がしては、元に戻さず帰っていったり。挙句の果てには、穢れを払うためだとか何とか言って、わざわざ誰もが寝ている時間に、人の家を燃やしたり――。奴らの行為は、既に、差別なんぞという言葉で片付けられるような生易しいものではなくなってきている。しかも、どうにも始末の悪いことに、奴らはここまで行き過ぎたことをしでかしておきながら、自分たちのやっている事が明るい未来に繋がっていくと、そう信じて疑っていないのだ。

 ……幸い、ここはまだ、暴徒たちの目に留まっていないみたいだが、奴らはいずれこの場所をも見つけ出し、全てを奪い去っていくのだろう。我々は、国に仇なす半獣人どもを無償で追い出してやっているのだから、感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないと、勝手なことをつぶやきながら」

 そこまで言うと、ひと息ばかりの時間をおいて、群れなきゃなんにもできない癖にと、男は憎々し気に言い放った。そして、唇をギリギリと噛みしめたのち、眉間に皺を寄せながら、さらにポツリと漏らすように続ける。

―――――――――123―――――――――

「……なあ。いったいどこをどう間違ったら、半獣人だとバレただけで袋叩きにされてしまうような狂った世界が出来上がっちまったんだろうな。もし、この世の中を作り上げた存在とやらがいるのなら、俺はそいつに言ってやりたいよ。この世界は何処からどう見ても失敗作だから、出来れば今すぐ見切りをつけて、一からすべてを造り直すのを強くお勧めするってね」

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