第197話 不用心
すると、ユリは口元に手を持っていき、
「ともかく、ここまでやっても出てこなかった以上、あとはどうやってこの館の住人と、顔を合わせる機会を作るかっていう問題なんだけど――」
悩まし気な口調でそう言うと、扉に片耳をぴったり当てて、中の音を聞き取ろうとしていたのだが、案の定と言うべきなのか、やっぱり音は伝わってこないらしい。
「とりあえず、残念だけど当分の間は、此処で日向ぼっこをすることになりそうね。……とは言っても、これほど小まめに花壇を手入れしている住人なら、あそこの土の乾き具合からして、夕方ごろまでには、水を撒きに出てきてくれると思うけど。……まあ、鍵の開け閉めは、私の魔法ではどうにもならないし。その時が来るまでは、お外でしばらくのんびりしていきましょう?」
そう続けると、こればっかりはどうしようもないと言いたげに、大きく一つ伸びをして、ユリは足元の階段に、欠伸をしながら座り込んでしまった。
だが、気長に待ち続けることしか出来ないと、ちゃんと分かっていたとしても。何もせずに、じっと待っている時間ほど、長く感じられる物もまたとないのである。
それに、しばしば狂いが生じがちなルーツの粗末な腹時計によると、今の時刻は甘く見積もって、昼時を回っていればいい方で。
ルーツは不意に与えられた、残り四、五時間もの休憩タイムを、ただイライラと気を揉みながら、持て余してしまう気しかしなかった。
―――――――――095―――――――――
というわけで、とりあえず玄関の見張りはユリに任せることにして、ルーツはひとりで屋敷の周りを、ぐるりと一周してみることにしたのだが。残念ながら、厚手のカーテンに遮られてしまっているせいで、部屋の中は見通せず。おまけに窓は、どれもはめ殺しになっていて、押しても引いてもびくともしない。
また、人目のつかない寂しい場所に取り付けられていた裏口は、一見そのまま裏手の方に通り抜けられそうな作りをしていたが。扉はおそらく長い間、開閉された形跡もなく、何もかもがサビついて、鍵が要らなくなっていたので。ルーツは何度かガチャガチャと取っ手をうるさく引っ張った後、することもないので大人しく、ユリの元まで戻ることにしたのだった。
「……おっかしいなあ。門に鍵をかけ忘れたことにも気づかないうっかりさんなら、てっきりどこか一つぐらい、開けっ放しのままになっていると思ってたんだけど」
そう言いながらため息をつくと、ほら見なさいと言わんばかりにユリは微笑んでいたのだが、こちらには、まだ試していない大きな扉が、あと一つだけ残っているのである。とは言いつつも、まさか一番肝心な玄関に、鍵をかけ忘れているとは考えにくいので、ルーツは半分諦めながらも、正面の扉をぐいと引っ張った。
すると――、
「え……、あ、開いちゃった」
これには、開けた当人が一番驚いてしまったのだが、ギイッという嫌な音を残して扉は動き、ユリは目を真ん丸に見開いて、ルーツの方をじいっと見た。
―――――――――096―――――――――
「……嘘。こんなことって有り得るものなの?」
自分のほっぺをつねりながら、ユリはそう言っているのだが。事実、扉の隙間からは、中の景色が見えている。
先ほどからさんざんノックを繰り返していたくせに、確認していなかったのかと尋ねると、なんでもユリは、開いているはずがないと思い込んでいたせいか、引っ張ることはしていなかったようで。
ルーツが扉を見ていると、ユリが傍まで駆け寄ってくるので、二人は顔を引っ付けるようにして、一緒に中を覗き見た。
だが、明かりがついていないせいか、屋敷の中は薄暗く、視界はあまりよろしくない。それに、長らく換気をしていなかったのか、空気もなんだか淀んでいて、少女は数度、くしゃみをした。
「それにしても、ひどい空気ね。とんとん拍子に事が進んで、嬉しくないといったら嘘になるんだけど、……用事が無ければこんなところ、とっととおさらばしたいくらい。それに、正面の門といい、玄関の扉といい。ここまで戸締りが不用心になってくると、何だか招き入れられているようで、かえって気味が悪くなってくるんだけど」
そう言うと、ユリは両手で手招きのポーズをとり、おまけにとてもおっかない顔つきで、こちらを見つめてきたのだが。人をこんなに脅かしておいて、今晩ルーツが寝られなくなったら、ちゃんと責任を取ってくれるのだろうか。
―――――――――097―――――――――
「……で、開いていると分かったからには、此処でいつまでも、ぐずぐずしてても仕方がないし。さっそく、中に入っちゃおうと思うんだけど。心の準備の方は、もう大丈夫よね」
正直、あまり大丈夫ではなかったのだが、その言葉にうなずくと、ユリは扉を勢いよく開け放ち、屋敷の中へと入っていく。
ホコリと塵が飛び散ると、そこには茜色の綺麗な床が現れて。格式高そうな絨毯の上に、どこを歩いてきたかもわからないような土足で上がり込むユリを見て、これはとんでもないことになって来たぞと、ルーツは心の中で冷や汗をかいたのだった。
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