第166話 嘘でもいいから

 まさか記憶を教えてもらえるなんて――。ユリの言葉は、ルーツにとって予想外の申し出だった。が、この機を逃がす理由はない。

 ルーツが即座に頷くと、ユリは、分かった、とそれだけ言い、目を瞑ると、胸の前で指を絡め、手を組むようにして構えた。大きく息が吐きだされ――、にわかに、ユリの身体全体が青白く薄仄かに光ったかと思うと、合わさっている手のひらの合間から、こちらは真っ黒な、それでいて、糸くずのように長細い、正体不明の物体が無数に溢れ出す。

 数限りなくあるさまと言い、うごめくようにしながら互いに絡み合っているさまといい、その様子から、ルーツは一瞬、小さな虫がユリの身体を這いまわっている光景を連想した。しかし、よくよく目を凝らして見てみれば、この独特の形はまるで文字のようで――。

 しばらくの間、ユリの作り出す異様な空間に圧倒されていたルーツは、糸くずが平たい一枚の板のような長方形を形成し始めたところで、ようやくユリが記憶の紙らしき物体を作ろうとしていることに気が付いた。が、その出来上がる過程を見ていると、たかがペラペラの紙を一枚破ったところで――誰かの記憶の中に入り込んだところで、僕は本当にその人を全て理解できたことになるのだろうか? ルーツは途端にそんな不安にさいなまれ、それと同時に、今さらになって、先ほど頷いたことを否定したくなってくる。

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「違う、いや、違わない。知りたくないわけじゃないんだけど、見たくはないって言うか……」

 思考がまとまらないままそう言うも、ユリは手元に集中していて、ルーツの言うことなんか聞いてはいなかった。仕方がないのでユリの右手を掴み、無理やりに引き剥がすようにする。すると、両の手のひらが離れた瞬間、現実離れした光景や神秘的な色合いは、霧が晴れるようにどこかに消し飛んでしまう。我に返ったユリは、ルーツが自分の腕を掴んでいることに少しびっくりした様子だった。が、ユリが不信感を募らせる前に、ルーツは何とか自分の気持ちを見つけ出すことが出来た。

「ユリの口から直接話して欲しいんだ。見たいんじゃなくて、聞きたい」

「え? 何? 何てったの?」

 ルーツの言葉に、ユリは聞き違えたとでも思ったのか、自分の耳を疑るように聞き返してくる。

「記憶の見方、アンタは知ってたと思ってたんだけど……紙を破って、相手の記憶に入る。見るって言い方でなんか間違ってた? 盲目の人の記憶を覗くのでもない限り、聞くことだけ体験することなんて不可能だと思うけど」

「やっぱり記憶の紙を作ろうとしてたんだ。じゃあ、止めてよかった。確かに僕は、昔のユリを知りたいって思ってるけど、記憶を覗きたいわけじゃなかったから」

 そう言って笑いかけるも、ユリはいまいちルーツの言うことが理解できていないようで、目をパチクリさせてルーツを見た。

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「うーんと、もしかして心配してるの? じゃあ、アンタも記憶の部屋で一通りの説明は受けたんだ。私がアンタに記憶を見せたら、アンタが色々知れる代わりに、私の頭の中から昔の思い出が消し飛んじゃうかもしれないって、どうせそんなことでも考えてるんでしょ?」

 多分、これだろうと、ユリは決めつけるように言った。

「でも大丈夫。それは要らない心配。アンタには多くてわずか数日分。重要な箇所をこっちで選んで見せてあげるだけだから。私は残った記憶を繋ぎ合わせて補完するから問題ない。……あ、このアイデアは全部、私の友だちの受け売りなんだけどね」

 ユリはそれで、ルーツが安心してくれると思ったのだろうが、当のルーツと言えば、記憶を誰かに見せれば、自分の記憶が消えてなくなるなんて、どこで聞いたのかと、必死で思い返している真っ最中だった。

 そういえば、記憶の部屋で、とある男の記憶に入った時。記憶は共有できず、見た人物に譲渡される、と職務に不熱心な役人に言われたような気もするが……あの時は確かに大きな衝撃を覚えたはずなのに、その記憶は度重なる他の事件の前に、すっかり薄れてしまっていたようだ。

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「あー、心配とか、そういう話じゃなくて……」

 ルーツはそんな大切なことを忘れていた事実を慌てて隠しながら言った。

「僕は自分の頭でゆっくり考えたいんだ。例え時間が限られてても、そういうことには時間をかけるようにしたい。だから、ユリの言葉で聞きたいんだよ」

 その言葉に、ユリは戸惑い、そして言う。

「でも、それだと……私の話を聞いてるだけじゃ、それがホントのことなのか、アンタには何も分かんないじゃん。記憶を見さえすれば、アンタは嘘偽りのない、私のすべてを手に入れることが出来るってのに、どうしてそこで拒んだりするの?」

「確かに、記憶の紙を破る方が、時間をかけて打ち解け合うより、手っ取り早く、そして正確に過去を伝えることが出来るのかもしれない。だから一瞬は、それでもいいかなって、僕もそう思ったよ。でもさ……ほんの数日分だったとしても、後から補完するにしても、ユリは自分の記憶の一部を忘れちゃうわけじゃんか。話し合えば考えを共有することだってできるはずなのに、わざわざどちらかしか覚えておけないやり方なんて取りたくないんだよ。それに――、」

 ユリの疑問に答えるように言ったルーツは、此処で一つ、話を区切り、そして、緊張から自分を解放するように大きく息を吐くと、続けた。

「それに、分かる。全部わかるよ。記憶なんか見なくたって分かる。信じられる」

 だが、ユリはルーツの言葉を受け付けようとはしなかった。

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「どうして? 私は今日だけでもアンタのこと、いっぱい騙してきたってのに。証拠もないのに、相手の口から出た言葉を鵜吞みにするのは愚か者のすることよ。それともまさか、アンタ、相手の言ってることが嘘かどうか判別する魔法でも使えるって言う気なの?」

 またユリが、少し取り乱しかけているのを感じ取り、

「本当のことを全部話してくれなくても構わない」

 ルーツはユリに言い聞かせるようにそう話す。

「時には真実より嘘の方が役に立つこともあるのかもしれないし、何か話したくないことがあるなら、本当のことなんか無理に言おうとしてくれなくてもいい。例え全てが嘘だったとしても、僕は今までのユリを信じる。ユリが見てきた昔のユリじゃなくて、今まで僕と一緒に過ごしてきたユリを信じ続けるから。……きっとまた、何か一人で抱え込んでるんでしょ? 話してよ、嘘でもいいからさ」

 その言葉を言い終わるころには、泳いでいたユリの目は、また元の芯の強さを感じさせるものに戻っていた。

「分かった、アンタがそれを望むなら」

 そう呟くと、ユリも大きく息を吐く。

 ユリの話は、数時間にわたった。


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